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自然にそこにあるあたたかな繋がり

こんばんは micoです。

アウトプットに超絶苦手意識がある私の6回目の投稿。まずは目標の20投稿を目標に書いてみたい思います。

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昨日は前のお家に住むおじちゃんが、紙袋にいっぱいのタンカンを持ってきてくれました。おじちゃんはみかん畑をもっているらしく、12月のポンカンに始まり、ずっと我が家にたくさんの柑橘類を届けてくれる。

昨日も 「猿に取られるから、全部先にとっちゃたよ〜!食べて〜!」と。まだここに来て一年も経たない私に、昔から知ってるみたいな親しさで届けてくれました。

島に母と子だけで暮らし始めてから、こういう温かさに本当に救われてきました。


ある時には、まったく知らないおばあちゃんと、散歩の途中で立ち話をしていたら、

「留学生なの〜。そう〜。来てくれてありがとうねぇ〜〜。あっ!そういえば、いっぱいもらったの。じゃがいももっていき〜。」と、袋に詰めて持たせてくれる。


物のやりとりにおいては、「 なにかもらったら、こちらもなにかお返ししなければ 」という構えが必要ない、というところに、そのモノを超えたところで幸せな気持ちにさせてくれるような気がします。

give&takeではなく、心からgiveできる、遠慮なく感謝してtakeできる そんな関係だと心地がいいな、と思います。

それは集落の行事的なことでも同じで、本当に気持ちよくお手伝いをするみなさんの姿に、今まで地域の役割をめんどくさいことだと思ってた自分が恥ずかしくなりました。

島の暮らしの中で、 「人はそこに心のつながりがあれば、喜んで貢献する」 ということをお腹の底から信じられるようになりました。

この環境から子どもたちが感じとることは、彼らの人生を底から支えてくれると思います。

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数年前に受講したNVCの講座でのこと。

「人は生まれながらにして自分以外の人を思いやり、与えたり与えられたりすることを楽しむ。」(「NVC  人と人との関係に命を吹き込む法」マーシャル・B ・ローゼンバーグ)

この冒頭の一文にはじめてであった時、なぜか心がふるえました。だけど、講座をナビゲートしてくれていたkokoさんから「それはどうして?」と聞かれても、その時の私は、なぜだかわからなかった。自分の感情というものをみつめてこなかったから。

今になってわかったことは、私はずっと、 "人を、この世界を、信頼すること”  をとても必要としていたのだと思います。

そして、私はそれとは真逆の世界に生きていたように思います。それは実際の私の周りがというより、私が生まれてきてから作り上げてきたストーリーを通してみてきた世界。


子育てという道の途中で、泣いたり、落ち込んだり、腹を立てたり、感動したり、喜んだりしながら、自分をみつめて、一歩ずつ、いろんな人、いろんなことから学ばせてもらって、少しずつ抱えてきたものを手放して、私の見えている世界に変化が起きたような気がします。じんわりじんわり。それは、気が付かないほどとても緩やかな変化で。


そして、今、ここにいる。

私とつながるすべてのものに感謝です。


読んでくださりありがとうございました。

mahalo nui loa

屋久島より  mico


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