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わたしの心が満たされることの大切さ

自然の中でのびやかに遊ぶ子どもの表情が大好きです。
大好きすぎて、大自然に包まれたこの島に来てしまったくらい。 

海で波と戯れる姿や
川や海は夢中になって、何度も何度も飛び込む姿、
虫取りや木登りしてるときなんかも。


周りが消えちゃうくらい真剣に夢中になってる表情も。

穴を掘ること、砂遊びや泥遊び
お家の中だったら、折り紙、お絵かき、、、

大人が邪魔さえしなければ、
子どもならたくさんたくさん、他にもそんな姿をみせてくれるだろうと思う。

そのたっぷりと深ーーいところで満たされた感覚を、たくさん経験しておいて欲しいな、と思っている。
その感覚がきっと大人になってから人生の羅針盤になってくれるんじゃないかな。

、、、というよりも、

きっと生まれたときにはみんなもってるんですね。
自分だけのの人生の羅針盤。

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息子二人はモンテッソーリっ子です。
モンテッソーリ教育ではその子が没頭しているときは、その子の心が満足するまでそのことをやらせてもらえます。
教師にも、時間にも邪魔をされない。
みんながお弁当を食べていてもやり続けることができる環境なのです。

息子が通園している頃は、そのことの理解がとても浅くて、
ただ、個を育む、とか個性を大切にするとか、、、
そういうのをなんとなくいいなぁ、と思っていただけだったような気がします。



「マリア・モンテッソーリが目指したのは平和なんですよ」

このことをおしえてくれたのは、長男の通う園の園長先生だったと思う。
その時はなんだかよくわからないけど、その言葉に心が捉えられ、6年たった今でもこころのメモに残ってる。

それがこの間ふと思い出して、ものすごく腑に落ちました。

まずは、「 わたしの本質が満たされる経験 」があって、
その感覚があってこそ、まわりを本当に大切にしたいという思いが湧きおこってくる。
心から湧きおこってくる、まわりに貢献したいという気持ち。
逆に、自分に満たされた感覚がなければ、どうやって他人を大切にすればいいのかわからないんじゃないかな、と思う。
自ら湧きおこってきた感覚からの思いやりや貢献には、見返りも承認も必要がない。
それは自分の幸せな気持ちを入れるコップから溢れ出たものだから。

ひとりひとりの心のあり様がそんな風になれば、きっと世界は平和だろうな。

やっと、わたしの中でモンテッソーリ教育と平和がつながった。



まずはささやかでもわたしが満たされる時間を大切に、
わたしは今日もお母さんをしたいと思う。


mico


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