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グアム

結婚してハワイに移り住み半年ほどたった後、
旦那の転勤で、今度はグアムに引っ越すことになった。

新婚であるにもかかわらず、ハワイにいた時点で夫婦仲はひどい状態になっていた。

場所を変えて心機一転したら、万が一にも状況は好転するかもしれない、とみる向きもあったが、見事に反して、さらに悪化していったのだった。
私自身のセラピーを受け、マリッジカウンセリングを2人で受けたり、
一応は努力はしたが、カウンセラー、本人たちともに、
この時点で口には出さないものの、修復不可能なんじゃないか、
という見解に達していた感じだった。

夫婦関係とは別に、私が病んでしまったのは、
モントリオールの時にもかかった、ホームシックだった。
モントリオールの時は、いわゆる「パリ病」のような異文化への適応障害だったのだが、グアムでは、都会暮らし VS 田舎暮らしの適応障害だった。

私は首都圏生まれの、首都圏育ちであり、
これまで住んできたのもトロントのような比較的、大きな町ばかりだった。
グアムは日本からも近いし、日本人、日本のものも多くみかけるし、文化的差異はなかったけれど、オアフ島から比べれば、小さな離島だった。
この規模の町、島生活が私にとって未知であって、
車で2時間ほどで一周できてしまい、そこからは他へどこにも行けないということに、すっかり閉塞感を感じて、まいってしまっていた。

そんな私を救ったのは、セラピーでも向精神薬でもなく、仕事だった。
日系旅行会社に応募し、インバウンド担当に配属された。
この仕事が、私がこれまで働いた中で一番最高な仕事であった、と言える。
ホテルのツアーデスクでオプショナルツアーを売ったり、ツアー受け入れのホテルへの外回りをする、といったような業務だった。

どんな仕事でも嫌なところはあるはずだけど、
この仕事に関しては、お給料が低めだということだけで、
ほぼストレスに感じることがなかった。

当時、70代でも活躍されている先輩もいたし、
同業他社では90代でも現役という方もいたほどだった。
優しい上司、先輩、同僚たちに囲まれ、毎日楽しく働くことができた。

そうしているうちに、元気を取り戻し、
離婚をし、人生をやり直そうと思うまで、立ち直ることができた。

無事に離婚手続きをすませ、グアムを離れることになった。
自分にとって、こんなに最高な職場、仲間たちから離れることについては、
だいぶ後ろ髪をひかれた。
だが、それ以上に都会へのホームシックを消し去ることができず、
このままグアムに残ることは、どうしても考えることができなかったのだ。

こうして、アメリカ本土での暮らしが始まることになった。

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