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30年前の、とある不登校児の一日①

今日の投稿の主人公は、
30年余り前の、平成の高校生。
高くもなければ、低くもない偏差値の、
神奈川県にある私立高校に通っている。

まだ発達障害とか、ADHDの認識が普及してない時代だったが、
もし診断されたなら、間違いなく該当していた不適応児だった。
週5日ほとんど、1時間目から登校できず、
3時間目ぐらいからの、お大名登校。
もしくは、家は出たけれど、学校にはいかないで一日を過ごし、
下校時に帰宅する、という日もあった。
今回は、そんな日をどう過ごしていたかを、思い出して書いてみたい。

同じ神奈川県内だったけれど、自宅から学校までは電車を2つ乗り継いで、1時間半ぐらいかかった。
時間通り登校するには、遅くとも6時には起きて支度する必要があったけれど、目が覚めても、いつもなかなか起き上がれなかった。
そもそも学校が嫌いだったし、それ以上に満員電車に乗るのが苦痛で仕方なかったのだ。

5人家族で住んでいたけれど、皆夜型で7時になっても誰も起きてこない。
前日の夕食の食器が片付けられず、そのままになっている食卓で、
ご飯をレンジであたためて、卵かけごはんを食べる。
母親の財布から、弁当代の500円ほど抜き取って、家族が起きてくる前に、家を出る。

地元の駅で、電車が空いてくるのを待って乗り込む。
自ら遅刻しているわけだが、本当はちゃんと時間通りに登校したい。
ちゃんと登校できない自分にもストレスがいっぱいだったけれど、
満員電車に乗るのも耐え難く、自分としてもいかんともしがかった。

10分、20分ならともかく数時間も常習的に遅刻していれば、
影でも表でも、いろいろ他の生徒から言われる。
流せるときは流せるのだけれど、時々すごく気に病んでしまう時もある。
家を出た時に、最初から今日は学校に行けないな、と思うこともあれば、
行くつもりでいたけれど、学校最寄りの駅に着いて、
やっぱり今日は行けない、となってしまって、そのまま電車から降りないということもある。

その②に続く…

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