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ニューオーリンズ

3年間はモンタナにいるはずだったが、私が勤めていた部署(リハビリ部)が、老人ホームチェーンを経営する他の会社に買収されてしまったため、
その時点で職を失うことになってしまった。
正確に言うと、買収先の会社で働くように頼まれたけれど、
病院で働くためにわざわざNYから引っ越してきたというのに、
何が悲しくてモンタナの老人ホームで働かなければならないのか…
ということで、お断りして、次の職を探すことにした。

計2か月間の転職活動、そのうち1か月の失業期間を経て、
奇跡的にも、別の病院から内定をもらうことができた。
たった7か月とはいえ、やはり「病院勤務の経験あり」という肩書の強さを目の当たりにした瞬間だった。

採用してくれたのはニューオーリンズの病院だった。
アメリカの北部から、南部を車で縦断して、引っ越した。

夏の盛りに到着したニューオーリンズは、モンタナとは何もかもが対照的だった。
住民のほとんどが白人だったモンタナに対し、
ニューオーリンズは白人、黒人がほぼ半々に、その他アジア系やヒスパニック系という構成で、バラエティに富んでいた。
大きな川、湖、海と水に囲まれた町で、広葉樹や草の柔らかな緑に囲まれた町だった。
日本の夏を思い出さす蒸し暑さの中、多くの人が行きかうのを見て、
ああ都会に、昔から人がたくさん住んでいるところに来たな、と実感した。

文化的にも、フランス系の影響が強い土地ということで、
町の建物、雰囲気、文化と何もかもが、独特だった。
人々は明るく、人懐っこくて、人見知りの私でもすぐに溶け込むことができた。
マルディグラに代表される、伝統的なお祭りを大事にしていて、通年いろいろなイベントがあって、全米随一のパーティーシティである、と住民は自負していた。

ニューオーリンズの病院ではリハビリではなく、一般病院で働くことができたので、急性期の経験を積むことができ、今後選べる仕事の幅が一気に拡大した。
正規雇用で、残業手当付きで働くことができたので、たまっていたクレジットカード、学費のローンの全てを返済することができた。

そんなわけで実り多い時期をニューオーリンズで過ごすことができたけれど、そこで腰を据えて住む、という気にはなれなかった。
長く住むなら、やはり日本人がある程度住んでいて、日本のものが手に入りやすい町がいいので、残念ながら、ニューオーリンズはそのほかの理由も含めて該当しなかったのだ。

2年間、ニューオーリンズで過ごした後、
今度はトラベルナースとして、全米各地をまわる生活をスタートさせることになった。

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