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下戸が浴びるように吞んでいた7年間①

長らく自分は酒に弱いと思っていた。
実際、ビールをちょっと飲んだだけで顔がかっと赤くなるし、
飲み会でチューハイを2,3杯飲めば、酔って気分がよくなる前に、
気持ち悪くなっていた。

アルハラ、といった言葉も概念もまだなかった時代に学生だったので、
春先になると、新歓コンパ(これも死語なのかも)で、一気飲みを強要された結果の死亡事故といったニュースを、幾度と耳にしていたと思う。

私本人も、安居酒屋で、体調の悪い時に激安チューハイを飲んで、意識が遠のいたことがあり、軽く(?)死を覚悟したのもおぼえている。
そこまでして何故飲んでいたのかというと、下戸だけれど、飲み会の雰囲気が好きであったからだ。

そうは言っても、社会人になってからは、職場の飲み会がある、といったような仕事にはつかなかったし、そのうち北米に住むようになってからも、深酒をするような機会はほとんどなかった。

いかにして、そういう状態から転機が起こったかと言えば、ダイエットがきっかけだった。
当時、糖質制限ダイエットが隆盛を極めていて、ご多分に漏れず私も実践していた。
その時に仲良かった友達が、ビールが好きで、一緒に食事に行くときに私もつきあって飲んでいた。
ダイエットしているからといって、酒を一緒に飲まない、ということをどうしてもしたくなかった。
でも、ダイエットは続けたいし…
アメリカでは、なくはなかったけれど、日本に比べて糖質ゼロビールなどは流通していなかった。

そこで、せめてビールでなくても、代わりに糖質が低いお酒で付き合いたいと思い、調べると、ウォッカなどのアルコール度数の高い蒸留酒は糖質が低いということだった。
それで、何はともなく、ウィスキーの水割りを頼んで飲んでみたのだ。

すると。
ビールよりもずっとアルコール度数が高いというのに、気持ち悪くならない。
いくらでも吞めて、ようやく私には未知だった「いい気分で酔う」、記憶を失うまで呑む、ということを達成できたのだった。

それがまさに入口となって、これまでは外で吞むことはあっても、家で呑むことはなかった私が、毎晩、ウィスキーで晩酌するということになっていったのだ。

飲み屋でみんなで、いくらでも呑めるのも楽しかったけれど、
当時、仕事もプライベートも何もかもうまくいかず、全く将来に希望がもてない時であったから、家でストレスの発散ができるので、願ったりかなったりだった。

あんなに下戸だったというのに、1.75Lのウィスキーの瓶を一週間で一人で空けるところまでになってしまった。
それまで外食に行くとなると、食べることが中心だったけれど、その時はどれだけ良いお酒が呑めるかというのが要となっていた。

新しい飲み屋を開拓し、そこで様々な素敵な出会いがあった。
コミュ障で人見知りの私が、吞んでいれば、知らない人とすぐ仲良くなれるのは、とても嬉しかった。
この時期に、多くの日本人、アメリカ人の友達ができたが、今でも付き合いの続いている良い出会いを得ることができたのは、本当に呑めるようになってよかったことだと思う。

その②へ続く…

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