読み本「雨雲の出処」
前作「日照る雨」に登場する雨降の過去の話です。
一人読みの脚本になりますが、演劇でのご使用の際は「日照る雨」に挿入していただいても結構です。
ご使用の際は観に行きたいのでご一報いただけると嬉しいです。(強制ではありません。)
アドリブや言い回し等の変更は自由にしていただいて大丈夫です。
父の治めていた故郷は一時、酷い干魃に見舞われていた。
雨乞いの儀も虚しく、名ばかりの地と嗤われるばかり。
そしてついに父から領地を潤わす為、雨が続いている地へ調査するよう命じられた。
向かった先で地を打ち付ける雨を目の前にして、自身もすっかり潤った気分になった。
一先ずこの土地神に挨拶をすべきと考え、向かった社はあまりに小さく、思わず目を丸くした。
しかしまだ新しい沢山の供物を目に、しっかりと祀られている事には違いなかった。
ふと、何者かの気配を感じて振り返った。
そこには自分とあまり歳の変わらなさそうな雨笠を被った少年が、こちらを物珍しげに見ていた。
この辺りに住む子供であるらしく、この雨の中客人が此処まで来るとは思わなかったらしい。
名を問われたので正直に答えると、正にこの天のようだと少年は笑った。
子供にも名を訊いたが、小さく首を振るだけだった。
親の顔も知らないらしく、己の名を知らないようだった。
この恵まれた土地に出会った少年。我ながら安直とは思ったが、彼を恵雨と呼ぶ事にした。
すると恵雨は飛んで喜び礼をさせて欲しいと言われたので、この地で雨が続いている理由を尋ねた。
恵雨は少し悩んだ顔をした後に、自分が呼んだのだと言い出した。
突拍子も無い発言に呆然としている内に恵雨は社へ向かい、戻ってきた際にもう此処に用は無いと言った。
ならば父の治める土地に雨を呼びたいと頼み込むと、名が体を表さない事もあるのかとからかわれた。
どういう訳かは知らないが、恐らく恵雨は巫か天の使いの類の者なのだろう。
ともあれ承諾をもらったため、早速恵雨を連れて帰郷する事にした。
その道中、恵雨は自分からあの地に留まっていた理由を話し出した。
昨今その土地に住む者達が、神への感謝を忘れて供物を怠けたため、鉄槌を下す為に神が恵雨を呼んだらしい。
俄かには信じがたい話だが、一月は続いているらしいこの雨と、新しく供えられていた供物達から、恵雨の話に嘘は無いと思えた。
それから故郷に着くまで、雨はまるでついて来るかのように降り続いた。
見張りをしていた従者達が慌てて駆け寄って来て、雨が来た喜びを噛み締めていたが、その時には既に恵雨は姿を消していた。
その後父に呼ばれ、事の経緯を訊かれたが、どう答えていいか分からず、戻った時に偶々雨が降っていたと言うしかなかった。
ふと土地神の話を思い出したが、信心深い父が供物を怠ったという話は聞いた事が無い。
話が終わったら、この地に建てられた社を訪れてみようと思い立った。
案の定、恵雨はそこに居た。最初に会った時の様に、きょとんと目を丸くしながらこちらを見ていた。
何故急に姿を消したのか、そう問うと恵雨はやれやれと言いたげに溜息を吐いた。
土地神と言葉を交わし、雨を自在に呼べる存在など怪しまれるに決まっている。
そう言われてから気付いた。どうやら恵雨は、自身を不審な輩だと自覚していたようだ。
しかし、どうにも恵雨が邪悪な者であるようには見えなかった。
ただ不思議な力を持っていたが為に、今の様な肩身の狭い思いをして生きているのかと思えば、同情の念すら湧いた。
恵雨が望むならまた此処へ寄る。そして安心して寝食出来る場を必ず用意する。
そう言うと恵雨はまた一瞬だけ驚いた様な顔をして、何処か哀しげな笑みを見せた。
そしてその申し出を断り、代わりにこの社を建て替えるように言った。
恵雨が聞いた此処の土地神曰く、社が古く傷み始めているが、父がそれに気付かずにいたために日照りを起こしたのだと言う。
このまま放っておけば、先の土地と同様に恵雨はこの場を離れられないらしい。
何故離れる必要があるのか分からなかったが、恵雨が困るというのであれば、父に社の建て替えを進言すべきなのだろうと思い承知した。
父は雨が上がれば建て替えを行うと言ったが、数日経てども空は一向に泣き止まなかった。
やむなく社の建て替えが強行され、雨の中大工達がせっせと木材を運んでいた。
恵雨は社には居なかった。誰の目にも触れたくなかったのだろう。
探すにも土は酷くぬかるんで、あまり遠くへは歩けない。
後ろ髪を引かれる思いで屋敷へ戻り、外の雨をぼんやりと眺めながら自室へ向かうと、そこに探していた人影がちょこんと座っていた。
思わず声を上げそうになり、恵雨がしぃと人差し指を立てた。
社の建て替えが終わるまでの間、匿って欲しいとの事だった。
怪しい者が社の周りをうろついていると噂になれば、これ以上に恵雨の肩身は狭くなる。
仕方無く了承し、厨房から握り飯を持ち出しては恵雨に与えるようにした。
また数日が経ち、社のある山が雨による地滑りを起こした。
何人もの大工が生き埋めにされ、父は頭を抱えていた。
何故このような事になった。社を建て替えれば神は怒りを鎮めるのでは無かったのか。
込み上げる怒りのままに恵雨に問い詰めると、彼は困った顔で俯きながらぼそぼそと話した。
恵雨が言うにはあの地滑りは、神の怒りによるものではなくくしゃみのようなものであるらしい。
神は不満を抱いている訳ではない。どうか建て替えを諦めないで欲しいと、恵雨はそう言うのだった。
その時、襖が勢い良く開いたと思えば、父が鬼の形相でこちらを見下ろしていた。
先程の話し声を聞いた女中達が、不審がって父に告げ口をしたようだった。
父は従者達を呼び集めると、真っ先に逃げようとした恵雨を引っ捕えてしまった。
訳が分からないまま父に殴られ、事の経緯を事細かに問い詰められた。
そしてこの地に連れて来た恵雨は、巫や天の使いなどではなく、雨降小僧という周囲に雨をもたらし続ける妖怪なのだと教えられた。
妖怪は人間と相反する存在で、人間を恐怖に貶める者達であるとも言われた。
信じられなかった。呼び名をつけただけで飛んで喜んだ恵雨が、故郷の為に土地神と話をしてまで来てくれた恵雨が、人間に仇成す存在であるなどと。
捕らえられた恵雨は諦めたような顔をして、大人しくしていた。
しかし父がこちらを向いて恵雨を斬り捨てるように命じると、血色を変えて強く非難した。
卑怯者。子供の手を血で汚す気か。お前達の刀は何の為にある。
命乞いをしていると言うよりは、自分に斬られる事を嫌がっているように見えた。
自分としても、恵雨を殺したいとはつゆほども思わなかった。
表情で父に訴えかけたが、連れて来た者の責任だと突き放された。
雨降小僧が此処に居続ければ雨は上がらないまま、地滑りだけでは済まないと従者が言った。
作物は腐り疫病が流行り、この土地の者達全てを死に至らしめるとまで言われ、刀を握らざるを得なくなってしまった。
恵雨は説得しようと必死だった。大人に任せればいい。こんな事をする必要は無い。子の責任は親が取るべきだ。
そんな事を繰り返していたが、とてもそんな事が出来る状況ではなかった。
すまない。許せ。小さく何度もそう言って、恵雨の前に立ち、居合い一つ、恵雨の首を刎ねた。
恐怖と罪悪が、どっと胸に押し寄せて息が詰まった。泣かぬよう育てられてきた目でさえ、涙が溢れ出そうになった。
恐る恐る、ゆっくりと落ちた首の方を見る。
恵雨は悲哀に満ちた顔で固まっていた。せめてその目を閉ざしてやろうと近付いたその時、恵雨の目がぎょろりとこちらを向いた。
「お前さんを、呪いたかなかったのになぁ」
ぞわりと悪寒が背筋を走り抜け、目の奥の涙がさっと引いた。
それと同時に恵雨の首と胴体は溶けて水となり、地面を流れていった。
周囲の従者達は一瞬だけ歓喜の表情を見せたが、すぐにまた絶望に塗り替えられた。
空はまだ、泣き続けていた。
作物が腐り、疫病が流行り始めた。
父も母も病いに伏し従者達も何人か死んでいったが、自分だけは平気だった。
両親が息を引き取った時でさえ、涙が溢れる事はなかった。
原因は何となく分かっていた。分かっていて尚、両親が死ぬその時まで故郷を離れられなかった。
その晩、夢で恵雨に会った。酷く悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
本当は恨み言の一つでも言ってやるつもりだったが、そんな恵雨の顔を見ると、お前は悪くないとしか言えなかった。
「お前さんだって悪くない。悪いのはいつだって間さ」
声が震えていたが、恵雨の目からも涙は出ないようだった。
これから恵雨と同じ人生を歩む事になるのだろう。
地方を転々とし、雨を煙たがる者が出る前に去る。そんな生き方をするしか無いのだ。
しかし、そう言うと恵雨は首を横に振った。そして怒ったような顔をこちらに向けて、泣き叫ぶような声を張り上げた。
「お前さんは人間だ。妖怪じゃない! 不本意だが、おいらじゃ呪いは解いてやれない。でも、方法はある!」
その言葉を聞いて思わず身を乗り出したが、父も母ももう居ない。友人もこの手で殺してしまった。
呪いが解けたところで、今の自分に何が残るだろうか。
そんな思いが過り聞かないようにしたが、それを諭すように恵雨は続けた。
「大切なものなんて、また作れば良い。それがお前さんの涙を蘇らせてくれる。その時お前さんは、雨から解放されるんだ」
簡単に言い切った恵雨に少し苛立ちを覚えたが、それを言葉にする前に目が覚めた。
相変わらずの雨。恐らく生涯、晴天を見る事は無いのだろう。
旅支度を済ませ、腐敗した故郷を去った。
なるべく枯れた土地へ向かおうと、雲の無い場所を目指して。
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