【Dear my Amnesia】第三話
第三話 狡猾な吸血鬼
トームは食事の準備を済ませると、食べずに妹を待っていた。
怪我人に料理を運びに行ったオフィーリアが戻ると、共に神に感謝を捧げて夕飯にありつけ始めた。
一日の間で彼が妹の傍に居てやれる時間は限られている為、トームは出来る限り食事は共にしようと心掛けていたのだ。
「怪我の原因はちゃんと訊いてくれたか?」
「悪魔にやられた訳じゃないみたい。逆に、天使の襲撃に巻き込まれちゃったんだって」
「そうか。それは災難だったな……」
トームの問いかけにオフィーリアはまた少し声を上擦らせたが、これは確かな事実だと自分に言い聞かせた。
特段怪しまない兄を見て内心安堵していたが、悪魔の仕業とあらばあからさまに憎悪を振り撒くのに、天使によるものだと「災難」で済ませる態度にオフィーリアは複雑な念を抱いていた。
「お兄ちゃん、ラシーさんってどんな人だったの?」
ふと、その問いかけでトームの食べる手が一瞬止まった。
今朝ミサに来た老婆の言葉を、妹は未だに気にしていたようだった。
トームは少し気まずそうに笑うと、此処に居たラシーという修道士の事を話した。
「調子の良い狡猾な奴だったが……、お前の事はずっと気にしていたよ」
「じゃあ、優しい人だったんだ……」
「落ち込む事は無い。母君の病が良くなれば、きっと戻って来るさ。その時にまた仲良くすればいい」
妹を気遣う兄の言葉に、オフィーリアも少し寂しそうに笑った。
そして夕飯を食べ終えた所で、彼女はまたヴィギルの様子を見に行った。
「わ、全部食べてくれたんですか!?」
「ああ、美味しかった。ありがとう」
客室に入ると、全ての食器が空になっていた。恐らく今までも、彼は人間の代わりにこうした食材を食べていたのだろう。
改めてオフィーリアは、ヴィギルの顔をじっと見つめた。
千年樹が言っていた通り、美しい顔立ちをしている。そしてそれとよく似た顔を、知っているような気がした。
「……食べかすでもついているか?」
「あ、いえ、ごめんなさい」
見つめられる理由が分からなかった悪魔は、自分の口元を手探った。
オフィーリアは慌てて顔を引っ込めると、少し目を泳がせて言い淀んでいた。
そして意を決すると、またヴィギルの目をしっかりと見て言った。
「実は、最近までこの教会にラシーさんが居たかも知れないんです」
「何だって!?」
悪魔は驚きのあまり声を上げて、傷口から激痛を走らせた。
自分の大怪我を忘れる程の反応から、余程ヴィギルは弟の心配をしていた事が分かる。
しかしオフィーリアは、それ以上は詳しく話せなかった。代わりに自分が健忘症である事と、先程トームから聞いたラシーという男についてヴィギルに聞かせた。
「狡猾で調子が良い……フラッセオもそんな奴だった」
「じゃあ、やっぱり……」
「いや、そうとは限らない。確かに弟のラシーなら教会を隠れ蓑にして、天使達の目から逃れる事も考えつくだろうが、あのトームが居る教会を選ぶとは考えにくい。それに君と知り合いだった方のラシーは、母親が生きているのだろう? 俺達の母親は、もうずっと昔に天使に殺されている。本当に此処に居たのが俺の弟なら、君の兄さんは嘘を吐いている事になるぞ?」
ハッとしてオフィーリアは押し黙った。
あまり傍には居てくれないが、いつも自分を心配して可愛がってくれる優しいトームを、何処か信用出来ていない自分が居る事に今になって気付いてしまった。
やがてそれは後悔になり、自責となり、オフィーリアの目から大粒の涙がぽたりぽたりと流れ落ちた。悪魔が慌てて彼女に寄り添う。
「すまない、言葉を選ぶべきだった! 弟を探す協力をしようとしてくれたんだろう? それも、こんな悪魔に……」
どうにか言葉を取り繕おうとして、やがてヴィギルも何も言えず項垂れてしまった。
とにかくこの少女の気を逸らさせようと、悪魔は今度は自分の弟について話し始めた。
「俺の弟は、吸血型なんだ」
オフィーリアの顔がこちらを向いた。あまり自分以外の悪魔について仔細を話すのは気が引けたが、この少女の気持ちを汲みたかったのもあり、最早今更な点もある。
ヴィギルは内心弟に謝罪をしながら、フラッセオについて話し始めた。
「元から人間界をよく行き来していて、人間の特に器量の良い女性を厳選して血を吸っていた。だがそれで人を殺した事は無い。数人から少しずつ血を貰う事で、何度でも同じ者から食料調達が出来る事を知っていたし、致死量程吸わない事で事件になる事も避けていた」
漸く涙が止まったオフィーリアは、ヴィギルの話を静かに聞いていた。
そしてふっと微笑むと、目の前で気まずそうにしている悪魔にこう言ったのだ。
「じゃあフラッセオさんも、ギールさんに似て優しい人なんですね」
ヴィギルは思わず目を丸くした。そんな言葉は、この世に生を受けてから一度もかけられた事が無かった。
彼は決して優しい訳では無い。唯臆病な性格をしているだけである。
人間を襲う勇気も無ければ飢えて死ぬ勇気も無く、その為他の悪魔はおろか弟からも見下されていたのだ。
そしてその弟も、心優しいとはとても言い難い性格であった。
人間を食糧としか見ておらず、円滑に食事が出来るように人間の女達に甘言を振り撒くような男だった。
その為ヴィギルは返す言葉に悩んでいたが、それが思いつくより先にオフィーリアがある疑問を投げかけた。
「ギールさんは、何型なんですか?」
悪魔は言葉を詰まらせた。そして落とした目線がグルグルと下に泳いでいた。少女は小首を傾げて返答を待っている。
ヴィギルはグッと口をへの字に曲げて、やっとオフィーリアの目を見るとこう言った。
「君の目には、どう見える?」
どうやら答えたくないようだと察したオフィーリアは、まじまじと彼の顔を見つめて口を大きく開けるように指示した。
悪魔の歯は全てが尖っており、これは血を吸うのに適していると推測したオフィーリアは結論に至った。
「フラッセオさんと同じ、吸血型ですよね! 変態さんっぽくないですし、契約型みたいに強そうにも見えないですから!」
「……まぁ、弱いのは事実だ」
しかしヴィギルは、何処となく不服そうな顔でそっぽを向いてしまった。
やはり違ったのだろうか。オフィーリアがその結論を取り消してもう一度訊いてみようとした矢先、また悪魔は突然布団を頭から被った。
「フィリー、もう遅くなる。そろそろ寝なさい」
それとほぼ同時に、トームが部屋の外からノックをしてきた。
オフィーリアは大きく返事をしてヴィギルにおやすみなさいと告げると、布団の中からぼそりと短い台詞が返ってきた。
ドアを開けると、トームが優しい笑顔を向けて妹の頭を撫でた。
「さ、今日一日あった出来事を今夜も聞かせてくれ。お前に代わって、私がしっかり憶えておくから」
健忘症の哀れな妹に向けた兄の言葉を聞いて、ヴィギルはトームも話せば分かる相手なのかも知れないとふと考えた。
だが慈悲深いと謳われる天使ですら、問答無用で祓おうとしてきたのだ。力の無い妹はまだしも、最強に近いと言われている祓魔師の兄は信用に足らない。
臆病な悪魔は、やはり正体がばれていない今の内に、早く傷を癒して此処を去ろうと決心した――。
――深夜灯りが点いていたのは町でも一際大きな建物、大人達が憂いを晴らす為に集まる酒場だけだった。
がやがやと酒に酔った衆が騒ぎ立てる中、カウンター席では今にも眠りこけそうな女性が店主にぼやきながら安酒を呷っていた。
「所詮美しさなんてね、物好きの前じゃ意味無いのよ。さもなきゃあの人が、あんな不細工な女に惚れ込むなんて有り得ない。そうでしょ? ねぇ?」
どうやらその女性は生涯を誓った相手を、自分よりも器量の劣る女に寝取られてやけ酒を食らっているようだった。
彼女のような客は多いらしく、店主は慣れた口調で相槌を打っている。しかし女性はてきとうにあしらわれていると感じたのか、不貞腐れて他に一人で呑んでいる客が居ないか探し始めた。
そして奥の席で、一人静かに赤ワインを飲む若い青年に目をつけた。
「あら、貴方お一人なの? 良かったらこの惨めな女と付き合って下さらない?」
美麗な青年はきょとんとした表情で振り返った。
顔は少し幼いが、この店で赤ワインを嗜んでいる事から成人している事だけは確かだった。
「お誘いは嬉しいけど、もう呑まない方が良いんじゃないかな? 今のお姉さん、林檎みたいに真っ赤だよ」
「あら、心配してくれるの坊や? でも良いのよ。どうせ無駄な人生なら、好きな風に振る舞った方が得ってものでしょう?」
青年が女性を気遣うも、自暴自棄になっている彼女の前では意味を成さなかった。
仕方無しと彼は女性とグラスを交わし、彼女が酔い潰れるまで話を聞いてやっていた。
やがて女性はカウンターに突っ伏した形で眠りこけ、青年は家まで送ってやろうと店主に彼女の家を訊いた。
「羨ましいような気の毒なような、お前さんが来ると毎度女性客はあんたに絡んでこうなっちまうな」
「偶々ですよ。神に誓って言いますけど、僕は一度だってこの人達に無理矢理お酒を呑ませた事はありませんよ」
溜め息混じりに嫌味を漏らす店主に青年は苦笑して答えると、彼女を背負いお代を払って店を後にした。
次に彼女が目を覚ましたのは、自宅のベッドの上だった。
未だに太陽は顔を出していないらしく真っ暗で、記憶が酒場で途切れている為どのように帰宅したかまるで憶えていなかった。
途中でぶつけたのか、首筋に何かが刺さったような痛みも残っている。
ふと、テーブルの上に紙が置いてある事に気付く。誰かの置き手紙のようだった。
『僕で良ければ、次はお酒の席以外でお話しましょう。お昼に時間があれば、ラズベリーの樹がある家に是非来て下さい』
女性はすぐに、あの時の美麗な青年の置き手紙だと分かった。その文章の下に、酒場で訊いた彼の名前が書いてあったからだ。
「ええ、必ず行くわ。待っていてね、ラシー……」
首筋の痛みなどすっかり忘れて、彼女は悦に浸ってそう呟いた。
一方でラシーと呼ばれた青年は、鼻歌混じりに機嫌良く帰路に就いていた。
唇の端を舐めずるとアルコールの味に少し咽せたが、それでも機嫌を損なう事は無かった。
ふと、上空で閃光が駆け抜けたのが見えてラシーは上を見上げた。
どうやら天使達がまた一人、悪魔を見つけて祓っているようだった。
ぼんやりとその様子を眺めて、特段興味も無さげにまた帰路に就く。
「此処が見つかるのも時間の問題かな。まぁ、来るならくればいいさ。僕にはとっておきがあるんだから」
そんな独り言を漏らした後で、悪魔フラッセオはくすくすと笑いながら無数の蝙蝠となって散っていった。
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