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「自殺」末井昭

オーケンやらじゃがだらやら、あの頃のパンクカルチャーの匂いムンムンのインタビュー、文章。大学生のころ、オーケンの文章やその頃のめちゃくちゃなムードがだいすきで、そういう本を集めていたのでおそらくその頃の積読を約10年越しに読む。もうわたしは健康に価値を見出せるし、穏やかさや癒しなんかを自分に許可できる大人になったので、昔の自分を微笑ましい気持ちで見つめる。
なんの遠慮もなく人に依存する無一物の吉田さんの話がすごかった。お金を借りて、罪悪感なく使い果たし、また借りにくるという人もいる。お金が欲しいわけではなく、なくなったら補充しにくる。もしかしたら、お金に価値を感じていないとそうなるのかもしれない。黄色い家もお金の話だったけど「金の向こう側」とは臨死体験みたいなものなのだろうか。どちらかというと吉田さんぽさが自分の中に割とあるので、誰かに見られてるような嫌な気持ちになった。

ギャンブルの川を渡ってしまった人ではないかと。
その川を渡ると、ギャンブルをやっているときが生きているときで、やらないときは死んだようになります。その川岸まで自分も来ているんじゃないかと思ってゾッとしました。
そのときから、競馬はおろか、ギャンブルそのものから覚めたような気がします。
ギャンブルをやるとき、もちろん勝つつもりでいるわけですけど、負けることのほうが多いことはそれまでの経験からよくわかっています。勝つか負けるか、そのハラハラドキドキ感が魅力ではあるのですが、負けたときの意識がスーッと抜けていく感じや、放心した状態というのも結構気持ちいいものです。
それは、死の快感に似ているのかもしれません。自殺を思い留まって欲しいと思って書いている原稿なのに、こんなことを書くと本末転倒ですが、ギャンブルは疑似自殺のようなもので、勝ったらもちろん嬉しいのですが、負けたら負けたで魂が抜けてフワフワ気持ち良くなったり、負けているところから逆転すると「ああ、生き返った!」と思って喜んだり、勝っても負けても楽しいわけですから、なかなかやめられないのかもしれません。


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