見出し画像

人が自分のために集まってくれるのは結婚式とお葬式だけって本当?

人が自分のために集まってくれるのは結婚式とお葬式くらいしかないんだから、結婚式は挙げた方が良いよという呪いのような言葉を身内に言われたことが昔あった気がする。

まあ言わんとしてることはわからんでもない。
でも、本当にそうなのかな・・・?と今日ふと思った。

少なくとも、お葬式に人が集まってくれるという考え方は近年話が変わってるのでは、と思ってしまう。
家族や近しい友人などは来てくれるだろうけれど、
ちょっと疎遠になった友人や昔の同僚って、来たくても来られないと思う。
死んだかどうかなんて情報が入ってこないから。
地方紙には、お悔やみ欄がある。
それを見て、大人は知人の訃報を知ることが多い。
だけど、私たちの世代(若者?)はお悔やみ欄を必死にみる人は少ないと思う。
私はたまに見るけど。
新聞のお悔やみ欄を見ることは将来的に日常とはならない気がする。

今はSNSがある。
でも死んだらSNSなど更新できない。
どうやって死んだことを知る?
SNSでしか繋がっていない人に訃報を知らせるのは至難の業だなと思った。
Facebookでは、もし自分が死んだときに信頼するアカウントの人に自分のアカウントをゆだねるみたいなオプションが確か・・・・はるか昔に実装されていた気がする(記憶が正しければ)。
そうならない限り、昔の友人が生きているのか亡くなっているのかわからないなと思った。

そんな状態で、自分が死んだときに人が集まってくれないじゃん!と今日思った。

そして、結婚式には呼ばないけどお葬式には来てくれそうな微妙なラインの人が大勢いる。
もしそういう微妙なラインの人たちを結婚式に呼ばなかったら、お悔やみ欄を見ることが非日常になるであろう将来のお葬式にも来てもらえないから、
結局人集まらないじゃん!と思った。

結局、普段から会いたい人には会ってコンタクトを取るしか方法が無いなと思った。
私は普段そこまで人から誘われることが無い。
だからいつもほとんど自分から誘って友達と遊ぶ。
しかし、私から誘うことが無ければもしかしたら一生会う事無いんじゃないか。本当にこの人にとって私は必要な友人なのだろうか。というめっちゃネガティブな思考に至ることがたまにある。
この話を友達にすると(うざいだろなw)、いつも誘ってくれるから安心して、皆私から誘ってくれるの待ってるんだよ、と言われる。
本当か???????
でも私が会いたくて誘ってるんだから、相手が私に会いたいと思ってるかどうかなんて考えなくても別にいっか。という考えに落ち着く。

日本国内の友人はもちろんの事、海外で出来た友達、世界中に散らばってる友人に私の訃報が行くのは少なくとも60年後くらいであることを祈るけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?