見出し画像

人生の終わり方について

2021年6月15日、私は以下の文章を下書きに保存していました。
話に出てくる祖母は2021年の秋ごろに亡くなってしまいました。前半は、当時下書きをしていた事をほぼそのまま、後半は今思うことを書こうと思います。


ーーーーー2021年6月15日のきもちーーーーーーー

私には、90歳を超えた祖母がいます。
祖母を見ていて、人生の閉じ方にはいろいろ考えさせられることがあったので、書き散らします。


祖母は世界一ネガティブなのでは?と思うほどネガティブです。
ネガティブというか、すぐに不幸に結びつけるというか。

例えば私が幼稚園の時、クリスマスが大好きだった私は
祖母に「おばあちゃんが子供の頃もサンタさん来た?」
と、クリスマスが近づいているワクワクした気持ちで質問を投げかけたところ


「おばあちゃんが子供の頃は戦争だったからそんなものいなかった」
と言っていました。
もちろん間違ったことは言っていないし、当時の大変さは想像も出来ないほどに残酷な時代だったという事はわかります。
でも、幼稚園児に向けて言う言葉だっただろうか?とちょっと今笑えて来ます。(嫌味とかでなく)

こういう感じに、小さい頃から何の気なしに質問したことが不幸を結びつけて返ってくることが多く、そのおかげで私は共感力がちょっぴり高まったのかもしれません(笑) 鍛えられすぎるの早すぎな気も・・・


そして、祖母は今施設に入っています。
私は近くにいなかったので、施設に入る時の事は目の当たりにしていませんが、どうやらとても嫌がったようです。

施設=悪
というイメージが強いらしく、二度と帰ってこれないと思ったようです。
確かにコロナで帰宅は今は出来ないけれど。。。

しかし、一人でご飯を作る事も出来なくなり、ご近所にも迷惑をかけてしまう事が起こるようになったので、とても自宅で過ごすのは難しくなりました。

そして、施設へ入り最近骨折してしまいました。
ありえない頻度で骨折前は私の自宅に電話が掛かってきていましたが、骨折してからは電話も来なくなったので、こちらから電話をしてみたところやはりかなり落ち込んでいました。
もうだめだ、という言葉を何度も言っていました。

今に始まった事では無いので、そういう発言が出るのは想定内でした。

祖母を見ていて、あと残された人生がそんなに無いのにも関わらず、最後の最後まで思考がネガティブで一生を終えるのがとても悲しくなりました。

いつかの時代に、祖母が楽しかった時期があったのだろうか。と

幼少期から家庭の事情で色々と辛いことがあった祖母。
結婚してから老後まで姑の世話、子育て。
姑が亡くなってからは旦那(祖父)の介護。
そして自分が介護される時にはそばに誰もいない。

祖母がネガティブになるのもわかる気がする。
話を聞くとかなり壮絶な人生だったから。

年を取ると頑固な人はより頑固になる傾向があるような気がするけれど
祖母もやっぱり私が子供の時よりネガティブ度が増えた気がする。
でも、今私が知識を得てあれこれ祖母に伝えても、
もう伝わらない。
脳の処理が追い付かないのだ。
普通の会話も難しくなってきている。
ちょっと難しい話をしても、祖母には届かない。

10年くらい前に、やりたい事やるなら今だよ。と言葉を掛けたけど
「そうだね」と言ってやらなかった。
結局やるのは本人次第です。

祖母は、施設で行っている体操にすら嫌悪を示している。
それをやっているおかげで元気になっているという思考にはならない。
自分の家に帰れば、一日ぼーっとテレビの前に座っているだけ。
施設に入ってからの方が頭の回転は良くなったように思う。
だけど、そういう思考に至らない。
昔からの癖がしっかりついてるから。
骨折でネガティブになるのはとてもわかる。
でも、常人よりネガティブだと、その感じ方もどん底まで落ちるネガティブさのように思う。

あと数年。楽しく生きて欲しいけどそれが叶わない。
他人に出来ることはあまり無い。すごく無力。
老後を楽しむには若いうちに楽しく生きやすくするしか無いのかなと思いました。

もう一人の祖母は、数年前に亡くなってしまったけれど、ものすごく楽観的な人でそんなに裕福ではなかったけど最後の最後まで人生楽しそうでした。

すごく対照的な祖母が二人。
私は、やっぱり楽観的に死んでいきたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ーーーーーーー2023年5月4日 いまのきもちーーーーーーーーーー
上の文章を見ていて、少し気持ちが落ち込みました。
祖母が私の留学中亡くなったからです。
日本の海外から帰国後の隔離期間中、公共交通機関を使用することが許されず、検疫所???やら厚生労働省やらに問い合わせ(もう忘れた)たけど、帰国NGと言われました。(ロンドンや韓国は身内の葬式の参列OKと特例あったのに日本はなかった。本当に残念)
おばあちゃんの最後すら挨拶出来ないなんて。あまりにも運命は残酷に思えました。
私は、おばあちゃんが大好きでした。
いつも私の味方でいてくれて、励ましてくれた、優しいおばあちゃんだったからです。
おばあちゃんが亡くなった意味、生きてきた意味を私なりに解釈してみました。
おばあちゃんは、確かにものすごくネガティブでした。
だけど、それはしっかり私にその意味を考えさせる事象ではありました。
なぜ人は落ち込むか。なぜ人はネガティブになるか。なぜ人は苦しむのか。
私はここ数年、ずっと心や人間関係の勉強を続けています。
自分の生きにくさから始めた勉強だったけど、おばあちゃんのためにも何とか生きやすくさせてあげたいなんて思っていた時期も昔あったなと思い出しました。
それに、人に優しくする事・誰か一人でも相手を信じる事っていうのは、その人にとっては本当に心の支えになるっていう事もおばあちゃんから学んだと思います。
留学する直前に、施設に会いにいって窓越しだったけどお話してきたのは本当に良かったと思います。

おばあちゃんが、やりたい事をやれずに人生を終えてしまった分、私は生きやすく自分のやりたいことをして過ごして、おばあちゃんのように周りに優しさを与えられる人間になれたら良いなと思いました。

そういえば、おじいちゃんが認知症になった時も食品で予防するという機能性食品に興味を持ち、そういう道に進んだという事も思い出しました。

こうやって、亡くなった人の事を思い、意味を見出す事でこれからも私の心の中にいて、ずっと見守ってくれているのだと思います。

時々背後で守られているような感覚になっているのは気のせいなのか何なのか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?