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困っている人がいても、実際に手をさしのべることができない時、

そして、そのことが辛いと自分で感じられた時思わず、

「神様が守ってくれますように、、、。」 と、つぶやいていた。

つぶやきながら、この言葉は、これまでに、何度も何度も、口にしてきたような思いにとらわれた。あるいは、

「弱い心を、どうか強くしてください、、、。」 とも、つぶやいてきた。

何度も言わずにはいられないのだから、これは、神様は、はるか遠くに離れていて手が届かない証拠なのかも知れない。

しかし、このように祈ることによって、ぐらぐら揺れる心が少ししっかりしてくるように感じられるのも本当なのだ。

アール・ヌーヴォーの旗手、アルフォンス・ミュシャの残したステンドグラス。
プラハにある


ここで言う神様とは何かというと、私にとっての神様であって、あなたの思う神様とは違うだろうし、特定の宗教の神様とも違う。そのように、ほとんど自分勝手に神様を思うことが社会的に許されるのは、いわゆる東洋の多神教的な文化圏に生まれていることが大きい。しかも、現代においては「信教の自由」という概念があるからだろう。

この「自由」については、そうでなかった時代の方が歴史的には長い。わざわざ書き記しておかなければならないのは、学校で「いじめはやめよう」と書いて、目につくところに貼り紙してるのといくらも変わらないのかも知れないし、達成すべき理念のひとつとして掲げてあるようにも見える。

だから、どんな神様を信じるのもその人の自由なのだが、それを誰かに強制するのは自由ではないのは明白だろう。

全体。作品としての価値は疑うべくもないが、
宗教施設のものとしては評価が分かれるかも。

ヨーロッパに行く機会があると古い街の古い教会を訪ねることにしているのは、たくさんの人々の神への憧れと帰依の精神が形をとって表現されているように感じられるからだ。視線を、より高く、高くと誘う、計算された建築空間は、ありのままの自然の中では体感できない西欧の人々にとって、神と接触するための崇高な儀式の空間である。

「ヨーロッパが好きだよね」と言われて、その通りだと思う。

私たちの年代が生まれた頃は、先の戦争は終わってはいたものの、親世代が味わった戦争の悲惨さと苦しみは日常的に思い起こされていたし、それにつながる遺品のようなものもたくさん目にしたように思う。日本の外の世界を志向するのも、割合当たり前だったように思い出される。もちろん、そこであこがれた西欧だって絵に描いた餅だったろうけれども、そういう時代の雰囲気の中で育っているのは確かだ。

いっそ、あちらに生まれてれば良かったのに、、、?

   いや、中にいては見えないものがあるのよ

   外から見なければ見えないものがあるのよ

だから、若い世代には、広く世界を見に行くことを期待する。西欧だけでなく、アジアもアフリカもアメリカもある。広い世界を見ると、自分の思考が広がるはず。そして、なぜかは分からなくても、今ここに生きていることがどれだけ素晴らしいことかと実感するのにつながると思う。さらに、それは、知らない相手にとっても同じことだと、ほんの少しでも想像できるようになるはずなのだ。

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