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缶詰め男

そうだ、残された時間は缶詰の中で生きていこう。男は考えた。
いや、この言い方は違うな。なぜなら自分はもう生きていないのだから。
缶詰の中で過ごしていこう、だ。それならばしっくりくる。

まずは適当な缶詰探しだ。
どうせなら豪勢に、一万円くらいするカニ缶といきたいところだが。
うちにそんな高級品があるわけもなし。
ここはいつも買い置きのあるツナ缶でよしとしよう。

待てよ、ツナ缶では油っぽいかな。

いかん! また生きている感覚でものを考えてしまった。
体はもうないのだから、油っぽいなどとは感じないはずだ。

死んでいる状態に早く慣れなければ。
とはいってもまだ三日目で、
メッセンジャーからレクチャーを受ける“研修期間”が 終わったばかりだ。
突然の死だった割には、冷静に順応できているほうではないかと思う。
生まれてはじめて自分をほめてやりたい、だ。もう遅すぎるけど。

ん? ツナ缶の隣の、この平べったい缶詰は。
アンチョビか。こんなこじゃれたものが
食卓に上ったことがあったかな。まあいいや。

男のタマシイはふわり、とツナ缶に入り込んだ。

うん、なかなかいいぞ。
オイルの感触や、ツナのにおいは感じない。
肉体がない、ということの自由さよ。
しかし不思議なのが、ほどよい狭さを感じることだ。
そうだ! 以前モデルルームで、ウォークインクロゼットに
入ってみたときの、あの感じに似ているな。

この空間の感覚は、自分のイメージが作り出している感覚なのだろうか。
死後の世界のことは、まだまだわからないことだらけだな。
あちらに行ったら、誰かに訊いてみよう。


もし窮屈に感じたら、すぐに抜け出せばいいと思っていたが、
ずいぶんと居心地がいいじゃないか。
缶詰にして正解だったな。

外界から守られている空間。
ここから出なくていいという安心感。

生きてるときに、味わいたかったな。

会社に行くのがどんなに嫌で嫌でたまらなくても、
毎日気持ちを奮い立たせて行くしかなかった。
こんないい歳のおっさんになってから
出社拒否とか引きこもるとか、そんな勇気なんて
とうてい俺にはなかった。
妻も、まだまだ進学に金のかかる娘もいるし。

だからあの世へ行くまでの四十九日のあいだ
自由に過ごしていいですよとメッセンジャーから言われたとき、
真っ先に頭に浮かんだのが、どこかに「閉じこもる」ことだった。
メッセンジャーは呆れていたけど。

そして自分の葬儀を見届けた今日、思いついたのが
缶詰に入ってみることだった。

だけどあれだよ、有名な作家とかが
創作のためにホテルや高級旅館に閉じこもるのを
“カンヅメ”というじゃないか。俺もいまカンヅメ中だ。
ふふふ。
そのうえこっちは、“棺詰め”になってからの、“缶詰”ときてる。
ふふふ。
死んでもおやじギャグは死なず。
まあ、作家の“カンヅメ”は“館”の字らしいけど。

今日、自分の葬儀にこっそり参列してみたが
死因はやっぱりわからなかった。
参列者が口にする言葉は
「急なことで…」
「お力を落とさずに…」
そんな類ばかりで、ヒントにならなかった。
まあ、そうだろうな。


何で死んだのかが、いまだに思い出せない。
そこだけ記憶がふっとんでいる。
メッセンジャーは、
「忘れてしまったことは、ご自身が忘れたいと思っている証拠ですから、
忘れてしまっていいんですよ」
と言っていたが。

忘れたいこと、か。
仕事のストレスで押し潰されそうになっていたのは確かだ。
体に急な異変が起きたとしても不思議じゃない。
それともまさか、自殺? 俺が?

いや、もうどうでもいい。知ったところで時間は巻き戻せない。
この世での最期の日までを、心残りなく過ごそう。

そうだ、四十九日が終わるまで、
夕食の時間は妻や娘と一緒に食卓を囲もう。
俺の姿は見えず、もちろん話もできないが、
こちらからは見えるし聞こえる。

あの子が中学生になったくらいからだろうか。
仕事に追われるようになって、団欒らしい団欒もほとんどなかった。
この世で残された時間は、毎晩食卓のいつもの椅子に座って、
3人で過ごそう。

男は、自分の眼から涙があふれるのを感じた。
涙腺なんてないはずだ、と思いながら、涙があふれる感覚にまかせて泣いた。
いつの間にか、膝を抱えて座り込み、顔をうずめて泣いていた。
ないはずの脚や腕、涙の温かさ、その感覚がかすかによみがえっていた。

大人になってから、こんな風に泣いたことなどなかった。
泣いてもよかったのだ、と男は思った。
泣きたいときは子どものように膝を抱えて、泣けばよかった。

そうか。生きているときにいちばんやりたかったことは
こんな風に膝を抱えて好きなだけ泣くことだったのかもしれない。

男は、大きな安堵感に包まれていくのを感じた。

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