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本音を選んで生きる幸せ

現在の私は
2世として勝手に入れられた宗教団体を脱会し
毒親とは距離を置き
HSP(非HSS型)という繊細さは持ちながらも
自分のまんまでラクに平和に暮らしています。


嫌だった宗教活動をやめて
その後、
両親が毒だったとやっと気づき
絶縁をし
自分の気持ちのまま生き出した結果、
HSPのままでも生きやすくなれた
といった変化の流れです。


もちろん
実際にはこんなあっさり淡々と事は進まず

悩み苦しみ
生まれてきたことを嘆き
それでも自分の気持ちを大事に受け止め
怖いけど変えようと決心して
幸せになった今があります。


子どもの頃からずっと
宗教2世として生きることが不満だったのに
"素晴らしい宗教"だと
そう思えない私が悪いのかもしれないと
自分に言い聞かせながら生きていました。

本音を誤魔化しているので
常に心の奥底に悶々としたものがある。

そんな日々をずっと生き続けてきた私。


両親は
私が信仰の活動を頑張ったときだけ嬉しそうな顔をしていました。
良い成績をとっても学校で何かに選ばれても全く無関心なのに。

当然、
ありのままの私を認めてもらうことなどなく、
むしろいつも
言動も行動も外見も
何もかも否定されてきました。

宗教の後継者としての存在価値は認める。
そんな感じで。



私は親に喜んでもらいたくて
その理由だけで
好きではない宗教活動をして
信仰心のあるフリをしていました。

それだけ
子どもが親を求める気持ちや
親を愛する思い、愛されたい願いは
純粋で強いんですよね。


私は7、8歳頃から
休みの日は朝から
学校の日は帰って来た後に
1人でバスに乗り
小学生だけの集まりに参加させられ

それが中学、高校と続きました。

忙しい時期は毎週土日
平日も数回
やたらと会合が多くて

ほんとは性格的に
家でのんびりしていたかったのに

昔の私、なんて従順なんだろという感じです。。


宗教の集まりや読まされる物の中で
苦手なことに挑戦して成長しよう!
親孝行しよう!!
というようなことを頻繁に言われていて

子ども頃の純粋な私は
繊細で内気な自分のままではいけない。
変わらないといけない。。
と、
親から愛されず自己肯定感の低い私は
自分を否定して生きるようになっていました。

(ですが学校では、
割とありのままの私でも受け入れてもらえ、
愛されキャラでもあったのです。
両親からは愛されないのに何故だ?
と、そこがまた葛藤をうみました。)

とにかくこの宗教というものが
嫌で嫌でやめてしまいたいのが本心なのに
私は
大人になり
結婚して
子どもを授かり
30歳を過ぎても変わらず
組織に属したままでした。
生きづらさを抱えたまま。

やっぱりどうしても
両親に喜んでもらいたい
悲しませたらいけない
私を好きでいてもらいたい
……大人になってもまだ
宗教を続けていた理由は親でした。



組織の活動は役職につかされると忙しく
もちろんタダ働きです。

むしろお金は払わされる側。
(これについてもまたいつか書きます)

やりたくないことも
福運積むためとか
宿命転換だとか
理不尽な教えばかり。


楽しそうに活動している人もいる中で
私は常に心とは裏腹の活動家。



そんな日々をなんとか生きていて

けれどもある時、
とあるきっかけで
やめたい本心が溢れ出して止まらなくなりました。



宗教の組織としての活動のあり方や
教えの内容
みんなが崇拝するセンセイ
ありとあらゆる諸々に対しての違和感が
完全に不信感に変わり、
長年抑え込んできた信仰をやめたい思いに火がついて

それまでは
本音を無視することをずっとずっと頑張ってきたけれど

もうそこからは
本音を選択することを頑張ろうと決め、
宗教組織から抜け出そうと即行動に移しました。



その後、
信仰をやめてから
実は両親が毒親だったんだとやっと気づき
(気づくの遅れた理由もまたいつか)

絶縁を宣言し
会わなくなり今に至ります。



活動をやめてから10年以上経ちました。



ほんとに今は快適です。




生きやすくなれたのは
環境を変えたことだけではなく
両親のことで傷ついた心(インナーチャイルド)を自分なりに癒せたからかなと思っています。


そして、
本音を無視せず本音のままに生きることの大切さ。
これが簡単にできる人、できない人。
年齢や環境、性格などにより
さまざまかと思いますが

自分の本当の気持ちに気づき、受け入れる。
可能な限りそれを選択して生きる。
その結果、
とても生きやすくなる。


そんな自分に対しての無条件の愛。
それが幸せのためにどれだけ大切なのかを
私は、
無宗教になり
親から離れた後に知ったのでした。

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