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よくわからないものが登場する小説3選

 突然ですが、みなさんは最後に「?(はてな)」が残る小説はお好きでしょうか?

 例えば、ルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」のチェシャ猫は物語の中で最高クラスにわけがわからないキャラクターですし、夢野久作の代表作「ドグラ・マグラ」は物語自体の正体がわからない作品です。

 筆者はこのような、明らかにならない存在が登場する物語に、妙な趣を感じてなりません。あれはなんだったのだろうと考えているうちに、今見ている景色や自分の存在さえも謎に包まれているような気分になるのがたまらなく好きだったりするのです……。

 そこで、今回は、筆者の独断と偏見により選出した、なんだかよくわからない存在が登場する物語を三作品ほど紹介したいと思います。

フランツ・カフカ「父の気がかり」

「変な生き物、得体のしれないものが登場する物語」と聞いて、思い浮かぶ人も多いのがフランツ・カフカの作品ではないでしょうか。

 彼の作品の中でも、存在がよくわからないものが登場することで有名なのが「父の気がかり」です。数ページだけのこの短編は、オドラデクという謎の生物を主人公としています。物語はオドラデクの存在の不安定さが気になって仕方がない、とある家族の父によって語られます。

 さて、肝心の主人公のオドラデクの姿はというと、このように記されています。

・一見平べったい星形の糸巻き

・古い糸をつなぎ合わせたような糸が巻き付いている

・星形からは棒が突き出ている

・その棒から直角にもう一本棒が突き出ている

・さらに星形の頂点の一つと棒を足にして歩いている

・ちょこまかしていて神出鬼没

 どうですか? 一回読んだだけではまったく想像ができないですよね? 糸巻きと表現されてしまっては、オドラデクが果たして生き物なのかも怪しいものです。このシュールな姿の生物は、そこに居るだけで人を不安にさせるのだそうです。理解できない存在なのだから、不安になって当然と言えば当然ですね。ですが、オドラデクがかわいい生き物なのかもしれないと思ってしまうのは、筆者だけなのでしょうか……。

 ちなみに、「父の気がかり」を愛好する人は多いようで、ウィキペディアにはオドラデクを再現した絵が載っているほど。また、今回紹介した父の気がかり以外にも、顔が猫、体が羊という哀れな生物を飼う男の話もあり、カフカは変な存在が登場する物語の元祖と言えるかもしれません。

キャロル・エムシュウィラー「ジョーンズ夫人」

 次にご紹介するのは、アメリカのSF作家キャロル・エムシュウィラーの短編「ジョーンズ夫人」です。彼女の作品の多くは一人称で語られ、ごく日常的な事物を題材にしていることから、一見してSFとはわからない面白い作家です。

 この物語の主人公は、コーラとジャニスという老姉妹。両親が遺した家に二人で暮らし、果樹園を管理している、いわゆる行き遅れた女性たちです。

 二人がある夜、果樹園を窓から眺めていると、暗闇の中に瞬く光を見ます。翌日、好奇心を覚えたジャニスが昨夜の場所へ行くと、弱った巨大なコウモリか小柄な老人のような生き物を発見します。

 彼は、濃い黄緑色の翼、歩くには適さない貧弱な足、巨大なペニス、というお世辞にも美しいとは言えない姿をしています。しかし、ジャニスは動じず、彼に「ミスタージョーンズ」という名前を付け、なんと、彼を夫に仕立て上げようと、家へ連れて帰ってしまいます。

 作中で生き物がどんな理由で果樹園に迷い込んできたかは明らかにされませんが、途中、コーラの「遺伝子工学でいろいろやっているから(中略)変なものが逃げる」というセリフがあるので、国かどこかの研究所が秘密裏に作った人工的な生物である可能性も考えられます。

 こう考えると、いきなりSFチックになりますが、ミスタージョーンズは、ジャニスによってさらに人工的な夫にされてしまうわけですから、彼は単なるモンスターではなく、虐げられた者としても見ることができるのです。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「ザーヒル」

 最後は、いわずと知れた南米の大作家ボルヘスの作品をご紹介します。この短編に登場する不可解な存在は、上の二編とは違い、生き物ではありません。概念と言えそうな存在です。その名も「ザーヒル」です。

 ボルヘス自身が残した手記という設定になっており、冒頭で二十センターボ貨幣(※南米をはじめとした国の通貨単位で、主要通貨の100分の1に相当する)を「ザーヒル」であると言っています。

 しかし、読み進めていくうちにザーヒルは硬貨を指すものではなく、もっとあいまいな言葉であることが分かります。実は、他の国では、虎や天体観測器、殺された盲人、井戸の底、鉱脈を指す言葉でもあるのです。

 これらの生物やものは、特に関連があるわけでもありません。認識する人によって、ザーヒルと呼称されるようになるのだそうです。

 そう、ザーヒルとは、その人の思考を支配し、それしか考えることができなくなる「何か」なのです。ザーヒルにとらわれた暁には、ザーヒルのことが忘れられなくなり、気が狂ってしまう。やがては生活能力を失い、よだれを垂らして食事も排泄も自分でできなくなってしまうのです。

 しかし、一方で、ザーヒルはアラビア語で「明白な」という意味も持つのだそう。頭から離れない「何か」であり、変幻自在のものであり、ザーヒルは決してその全貌を見せようとはしませんが、言葉の意味ははっきりしているのです。

 ちなみに、ネットで検索するとパウロ・コエーリョ作の「ザーヒル」が検索トップに上がるのですが、こちらも同じ「ザーヒル」を扱っているようですよ。

最後に

 存在理由がわからないオドラデク、突然現れた正体不明の生物ミスタージョーンズ、あらゆるものになりうるザーヒル、どれも煙のように存在がつかめない印象を持ちますが、違った味わいのある主人公であり、物語ではなかったでしょうか。

 日々、仕事や学校でははっきりした答えが求められ、答えを見つけなければならないと考えがちな私たちですが、このような謎めいたフィクションを味わってみると、現実には解決できない謎がたくさんあふれていて、別に答えなんてなくても良いのだということに改めて気づかせてくれます 。

 むしろ、答えがないということは終わりもないということ。作者の手を離れても生き続ける物語と言えるかもしれませんね。(文・清原啓)

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