白塗りメイク、学生帽でライブ…アングラ文化を継承したバンド「フーテン族」の実態
アングラ演劇で知られる寺山修司の作品を彷彿とさせる、白塗りの妖艶なボーカル、それを取り巻く奇抜なメンバー。彼らは強烈なビジュアルと渋くて重厚なサウンドを兼ね備えているバンド、「フーテン族」だ。2024年2月には、「はっぴいえんど」や「裸のラリーズ」など伝説のロックバンドを輩出してきた渋谷B.Y.Gで初のワンマンを決行。
数多のバンドが乱立する中、明らかに異彩を放っているフーテン族。彼らの独特な世界観はどのようにして形成されているのか、ボーカル・リーダーの山下大輝さんにインタビューを申し込んだ。
「フーテン族」のようにふらふらしていた
――バンドの名前の由来やコンセプトを教えてください。
コンセプト……何かな。バンドを結成する前にメンバーには、”ロックサウンドの「たま(※1)」”みたいなイメージでやっていきたいと伝えました。あと、男版の「浅川マキ(※2)」になりたいとも言いましたね。今はそれに忠実かどうかわからないですけど。
藤野(ドラム)と勘吉(ギター)と僕は同じ宮城の中学の同級生なんです。バンドを始める前から自分たちは何をするでもないのにグダグダ集まってしまうという感じが、フーテン族(※3)と重なったんですよ。フーテン族はヒッピーとは違って思想も特に無く、だらしなかったみたいです。でもおしゃれでかっこよい一面もあって。
もともとグループ名に「族」という言葉を入れたいと考えていたこともあり、「フーテン族」をグループ名に決めました。
※1.たま:1984~2003年まで活動したバンド。代表曲に『さよなら人類』など
※2.浅川マキ(1942~2010年):歌手。1970年、『浅川マキの世界』でデビュー。ジャンルでは語れない音楽創りと常にアンダー・グラウンド・シーンを行くライヴ活動で多くの支持を集めた
※3.フーテン族:定職や住所を持たずに放浪する人たちのこと。アメリカのヒッピー文化を模倣するような形で1960年代に新宿を中心に集まった若者たちを「フーテン族」と呼んだ。当時の社会に対して反抗の思想を持っていたヒッピーと比べると、フーテン族は快楽主義だったと言われる
――ステージ上の山下さんは、学生帽に白塗りの出立ちでパフォーマンスをすることが多いですよね。寺山修司やその周辺のアングラ文化がお好きなんでしょうか。
もちろん好きです。メイクをしたいと思ったのは、暗黒舞踏家の故・大野一雄がきっかけなんですよ。大学の舞踊についての授業でついウトウトしていたら、スクリーンに大野さんの顔がバーンと出てきて、「きもー!」って思いつつもすごく惹かれて……。乱れた貴婦人や醜い女形を演じていたのがとても刺さったんです。
突き放したくなるけどどこか引き込まれてしまう、相反する気持ちが入り乱れる感情に襲われて、完全に心が奪われてしまいました。
――他に好きなアーティストや惹かれた作品などはありますか。
森田童子(※4)の世界観はとても好きですね。見た目と悲しくて切ない音楽とのバランスの意外性みたいなものに惹かれます。
僕はなるべくステージ上でも、非現実的で非日常なものになるように意識しています。作りたい世界と自分自身のギャップがもうすでにあると思っているので、ありのままを歌うのとは少し違うと思いますね。
※4・森田童子(1953~2018年):シンガーソングライター。『ぼくたちの失敗』は100万枚に迫るヒットを記録した時代を象徴する名曲
――なるほど。浅川マキやたまや森田童子といった名前が挙がりましたが、山下さんのルーツはそのあたりにあるのでしょうか。
そうですね。特に影のある曲に惹かれます。安心感があるんですよ。自分がなぜ暗い音楽に惹かれるのかずっと考えているんですけど、まだきちんと説明ができないんですよね。幸せな家庭に育ったし、自分が心の病を抱えているとかではないんですけど、ものすごく暗い曲が好きで……。
だから、明るくて前向きな曲を聴くと無性にムカついてしまうことはすごくあります(笑)。
つげ義春や村上春樹から着想を得た歌詞も
――フーテン族の曲の歌詞には不思議な魅力がありますよね。例えば『住みにくい町』や『体当たり19号』ではシュールで不気味な雰囲気を感じます。歌詞を書く上で参考にしているものや、どんな時に着想を得るのかを教えてください。
正直、作り方は定まっていないですね。『住みにくい街』は、一日20時間くらい寝た時に見た気持ち悪い夢をもとに書きました。正直こんなんで良いのかと思ったのですが、漫画家のつげ義春が見た夢を題材に『ねじ式』を描いたことと、彼がそれを振り返って「夢の話を漫画に書いただけなのに、そうしたらお金が入ってきて、まるで夢のような話です」と言っていたことがふと頭をよぎり、「じゃあ大丈夫か!」って背中を押されたんです(笑)。
『体当たり19号』は読んでいた村上春樹の短編集の中に体当たりする話があって、それを参考に作りました。
アルバム「フーテン族の世界」に収録されている曲は、既存のモチーフと自分の感じたことや経験したことをかけ合わせたものが多いかもしれないです。例えば『山椒魚』という曲は、つげ義春の作品『山椒魚』と、自分が徳島県の薄暗い花街を訪れた時に記憶した映像を掛け合わせてできたものです。
――歌詞を作るにあたり、着想を得たものが結構明確にあるのですね。
そうかもしれないですね。でも、それぞれの曲によって作り方は変わってくると思います。初期の頃に作った『人形の姫』や『僕の犬』は、小さい頃の嫌だったいくつかの記憶の中から生まれた曲です。
例えば『僕の犬』は、自分が幼稚園児の頃に行った暗い小児科の情景を覚えていて、その記憶から歌詞を作りました。『人形の姫』は、高校生の登下校の時に自分が抱いていた感情から着想を得ました。当時の自分はスクールカーストみたいなものに嫌悪感を抱いていたし、見下していた部分もあったので、その頃の感情を思い出しながら作りましたね。
僕は、直接的な表現が使われていないのに映像やシーンが浮かんでくる歌詞が良い歌詞だと思っているので、そういうものが書けたらいいなと思っています。それはライブのパフォーマンスにも言えることで、良いライブはバンドセットの向こうに景色が見えるような気がするんですよね。僕たちもそういうライブを目指しています。
コロナ禍で気づいた本当にしたかったこと
――山下さんが音楽を始めようと思ったきっかけを教えてください。
大学生のとき、コロナで家にずっといた時期に、長らくインテリアとして家に飾ってあったアコギを弾いてみたんです。コードを4つくらい覚えて歌ってみたら、「うわー!」ってとても心がたかぶったんですよ。
その興奮が冷めやまないうちにすぐ高円寺の無力無善寺っていうライブハウスに行って、「出たいです!」と出演を申し込みました。そうしたら、「持ち時間30分ね」と承諾をもらって、アコギで弾き語りをしました。それが人前で歌った初めての経験ですね。結構青春エピソードみたいな感じになってるんじゃないかな(笑)。
――まさに青春ですね! ちなみにその時は何を歌ったのですか。
ほぼカバーですけど、オリジナルも少し歌いました。カバーは高田渡の『私は私よ』と吉田拓郎の『結婚しようよ』、ゆらゆら帝国の『バンドをやってる友達』あたりを演奏しました。
ずっと家にいると何か爆発しそうになりませんでしたか? 今思えば、おうち時間によって引き起こされた当時の行動は完全に奇行でしたね(笑)。
でも、バンドを組んでボーカルをやりたいという思いが強まって、同級生でもある藤野(Dr.)と勘吉(Gt.)はその時すでに仙台でバンドを組んでいたのですが、「新たにバンドを作りたいから協力してくれないか」と交渉しました。その後、壮太郎くん(ギター)と小野寺くん(ベース)に出会って、現在の5人が揃ったって感じです。 それが大学を卒業して1年目のときです。
――就職などは考えていなかったのですか。
一応就職活動はしましたよ。就活エージェントに登録したり、大学が主催する説明会にも参加したりしました。参加者たちが同じようにスーツを着て、まるでクローンみたいだったのを見て、僕は「絶対おかしい!」と思いました。多分おかしくはないと思うんですけどね(笑)。会場の雰囲気に具合が悪くなって、途中退出をしたり……。実際に足を運んでみた結果、僕の感覚からは就活した方がやばいな、と思いました。
じゃあ、一回海外を放浪しようと考えていたんです。でもコロナで海外にも行けなかったし、どうしようと思って。それで、僕は中学生くらいからずっとバンドに憧れていたな、と気づいたんです。その瞬間にバンドをとてもやりたくなりましたね。
女性的な要素も入れて最強人間になりたい
――山下さんはどのような青春時代を過ごしていましたか?
9歳から馬術をやっていますね。しかもね、超すごかったんですよ(笑)。高校生の時は国体で優勝したし、大学生選手権では2位になりました。青春を馬術に費やしたと言っても過言ではないです。
練習も結構厳しかったですよ。朝5時から冬の寒い時でも馬の餌をやったり掃除をしたりして、それから運動を始めるような日々で……。試合でミスをしたら坊主にさせられたりしました。その反動でこうなったのかもしれないです(笑)。服飾や音楽に興味を持ちはじめたのも、そういうフラストレーションがあったからかもしれないですね。
――馬術少年だったわけですね。その反動が今の山下さんに繋がっていると。
馬術部にも体育会系でガツガツした男の人がいっぱいいるんですよ。ザ・オスみたいな。そういう人たちの近くにずっといたからなのか、とにかく嫌悪感が強くありましたね。
だから、この人たちと一番逆の生き物になりたいと、自分に女性的な要素を取り入れたいと思いました。中性的ではなく、両性的になりたいんです。中性的というのは男性的な面を削っているような気がして、それに対して両性的というのは男でありながら女の要素を持っているもので、どっちの要素も兼ね備えた存在なんです。要するに最強人間になりたいんです(笑)。
何が男性的か女性的かということも含めて、これはずっと考えていることなんですよね。浅川マキも女性でありながら男性的な要素があるじゃないですか。だから僕はどちらの要素も持っている人に惹かれやすいのかもしれないですね。
好きなアーティストも倒したい
――フーテン族として今の音楽シーンの中でこうありたいとか、これからの野望を教えてください。
テレビに出たいとかは思わないですね。そういうものを選んでしまっている人が今表に出て来ているわけですし……。でも、分からせてやろう、とは思ってますね。絶対そこらへんのバンドよりは明らかに良いから、「相当特別な俺たちを分かれ!」とは常に思っています。
今までは自分が好きなアーティストをまるで神のように崇めていたわけですよ。でも今は倒したいという気持ちにシフトしていっています。というか、倒すべきだと思うんですよね。僕はメンバーの中ではかなり自己啓発野郎でもあるし、メンバーの士気を高めるために彼らともその気持ちは共有していますね。
時折不安が襲ってきたり暗い気持ちになったりすることもありますけど、基本的には絶対大丈夫でしょって思っています。僕には根拠のない自信がずっとあるんですよね。自分のことがとても好きなんですよ(笑)。超スペシャルな人間だとずっと思ってるから(笑)。
――どうもありがとうございました!
取材を終えて
見た目とは裏腹に謙虚で気さくな山下さん。インタビュー後に、「できた」とストローの包装紙で作ったヒトガタを見せてくれるというお茶目な面も垣間見えた。3/20には2枚目のレコードとなる『真夜中の幼稚園』が発売される。(取材・文 夏目やや)
「フーテン族」公式SNS
Instagram:@futenzoku
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