【ストーリー】エピソード0 形見の鞄
肺炎で入院することになった祖母が亡くなるまでは、たった5日だった。本当にあっという間で、それから葬儀やら何やら怒涛のように過ぎて息をつく間もなかった。
母から、遺品整理をするし、欲しいものがあったら持っていってと呼ばれたのは、祖母が亡くなって2ヶ月ほどたった日のことだった。
「ちょっとは片付けたのよ。でも、全然追いつかなくて。
家を明け渡す期日もあるから、もう業者にお願いしようと思うの。価値のある物はないけど、気に入ったものがあったら好きに持っていって」
責めてもいないのに言い訳を言いながら、母は玄関の戸を開ける。
家の中は匂いも生活感もそのままで、台所につながるドアから祖母が「いらっしゃい」と言いながら出てきそうな気がした。
見たことのあるアクセサリーや洋服、古いアルバムや手紙の束、どこで何のために買ったか分からない細々とした小物類・・・
祖母にとっては深い意味のあったであろう物達が、その意味を失ってただの物に戻っていくのだろう。
人が亡くなるということは、一つの歴史が終わるということと同じなんだろうなと私には思えた。
片付けるというよりは家捜しに近い感じで、収納から次々物を出していく。
整理はされていたのだけれど、人が暮らすというのはなんと物入りなことかというくらいたくさんの物が出てくる。
それはクローゼットの奥にあった。
古びた小さいサイズのトランクバッグ。
生前に祖母が使っていた記憶はない。あちこち傷みがあるので私が生まれるよりも前の物なのではないかと思えた。
傷んでもいるし、古そうだが特別価値のある感じでもなさそうだった。
でも、なんとなく心惹かれた。
だって、こんな雰囲気のある鞄、そうそうない。ファンタジー好きの私が、あちらの世界にありそうな感じが気にならないわけがない。
手に取り、開けてみる。中には何も入っていなかった。
「お母さん、これなんだか知ってる?」
離れたところにいる母に呼びかけて、トランクバッグを掲げて見せる。
母は記憶を探るように首を傾けて難しい顔をする。
「使っているところは見たことないわねぇ。誰かからもらったのかしら? しまい込んでいるうちに忘れてしまったとかじゃない?」
「じゃあ、もらっていってもいいかな?」
「別にかまわないけど、そんなものどうするの?」
母の物言いにカチンとくる。
私は母が嫌いではない。大切に育ててくれたこともわかるし、おおむね尊敬している。
でも、こうやって度々、自分が価値を感じていないものを下げて切り捨ててくるところは大嫌いだ。しかも一ミリも悪気はなく、ナチュラルに下げてくるんだ。
「そんなものって言わないで。お母さんにとって価値がなくても、それが好きな人はそういう言い方された傷つくんだよ」
何度も傷つけられてきた。こればっかりは何度言ったって母には響かない。
だから、思春期を向かえる頃から、私は母の前では好きなことを口にしなくなった。
その癖は外でも発揮されて、私は基本的に他者の前では自分の本当の好きを明かさない。すり替えたり、知らないふりをしている。
誰かに好きなものを否定されて傷つくのは嫌だから。
響かない、私の好きを否定する母に本当のことなど言うつもりもない。
「ちょっと今風じゃない鞄だから、捨てちゃうのもったいないかなって思っただけ。要らなくなったら処分するし」
こうして、そのかばんは祖母の家から私の元へとやってきた。
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