お仕事小説部門|「あなたの話し相手になります。100円/分」第二話
予約が入らないときは、家事をしている。もともとそのための時間だった。掃除をしたいところは尽きないし、料理もバランスを考えると必然的に時間がかかる。オンライン上で雑談サービスを始めたのは、暇を持て余したからではなかった。
家事の分類は、掃除や洗濯のように名前が付いたものばかりではないし、幼稚園の送迎前後であるママ友の集まりにも、それなりに気を遣う。しかし時折、「それらは、”適当”で済ませることができたはずのものだったのではないか」という考えが過る。
もちろん今だって、誰から強制されたわけでもない。家事も育児も、本当なら自分で加減は決められるのだ。それなのに、どうにも一点だけではバランスを保てない性分が母になっても邪魔をする。
仕事を辞めてしまった自分が、堂々とできずに日々を過ごすことは必然だった。わたしはへっぴり腰を立て直せないまま、今の生活の中で自分というものを形作ることができないでいる。
そうしてある日、そんな何者でもない自分に耐えられなくなってしまった。
考えてみればおかしな話だ。「何者でもない」とは、何を指すのか。穏やかな男と結婚し、可愛い子どもに恵まれ、共働きでなくともそれなりに暮らしていける。妻であり、母である。分かりやすい名前は一通り持っている。
だからこそ、誰にも真意を打ち明けることはできなかった。
こんな人間がいくら不安定な足場を渡っていようが、手を差し出す人間は少ない。簡単に火種になり、あちらこちらで団結のきっかけに消費されておしまいだ。
わたしの抱えるもやもやに出口はない。
一定のマジョリティーの中にいるはずが、とんでもないマジョリティーとして、すっかり偽物のように生きている。類似した悩みを抱える顔をして、今日も幼稚園の入口にたむろする。
以前のように、仕事と育児の隙間で溺れることがない日々は天国だ。しかし家庭・育児のために適度に忙しく、そして適度に自分を大事にできる時間がある今に、焦燥感は募る一方だった。
仕事を辞めたのは子どもが1歳半をすぎたころだった。重たいお腹を抱えて産休ぎりぎりまで必死に働き、無事産休を取得、そして1年ちょっとの育休を取った。子を1歳3か月で保育園に入れてフルタイム勤務に戻ったが、初めの月でまともに働けたのは半月ほどだけだった。保育園で毎週のように風邪をもらい、中耳炎や副鼻腔炎を併発する。
発熱があれば、解熱から24時間は預けられないという保育園の決まりがあった。翌日下がっても、翌々日は保育園には登園できず自宅保育になる。近くに親族は住んでいない。夫は”手伝って”くれる。この家だけでどうにかしなければならなかった。
初めは「母たるもの」と、己を鼓舞し両足で強く立っていたが、尽きた有給、欠勤連絡前の胃痛、そして「今だけだから」「今耐えれば」と理解を示してくれた職場のママさんたちがどんどん減る様子を目にし、職場への後ろめたさだけが増幅していった。
結局、わたしは職場復帰から半年も経たずに退職を選んでしまった。
たいした資格もない事務職だった。新卒から積み重ねた勤続年数だけがわたしの立場を作っていた。
辞めてしまえば、乳飲み子を抱えての再就職は正社員でなくとも難しい。しかし次から次へともらってくる風邪に、一向に落ち着かない毎晩の夜泣きに、わたしは平衡感覚を失った。
それに幼稚園、小学生と上がることを踏まえても、今後、わたしが長く家を開けることは現実的でない。
わたしは鍵っ子だった。気楽だと思う日もあったが、はやり自分の子どもに同じようにさせたいとは思えない。子どもへ心を配るほど、自分のこだわりが色濃く出る。譲れない点が増えた。
遅かれ早かれ、わたしは仕事を辞めなければいけなかった。
そうして、キャリアの積み方すら知らないまま正社員のチケットを捨てた。
(第三話へ続く)
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