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お仕事小説部門|「あなたの話し相手になります。100円/分」第六話

 次のお客さんは、もう何度か話をしているリピーターのおじさんだ。40後半で、派遣社員としてビルの警備員をしている。
 そして、ガールズバー通いのアル中だ。

「こんにちは、信二さん」
「どうも」
「今日もご予約ありがとうございます」
 彼との雑談はもう10回を越えた。サービスの説明はいらないし、呼び方も決めてある。
 「信二」というのは彼の下の名前だった。きっとガールズバーの女の子にも、同じように呼ばせている。
 そして彼は、わたしを「廣瀬ちゃん」と呼んだ。

「この前はごめんね」
「大丈夫ですよ。あれから調子どうですか」
「まあ、ぼちぼちだね」
 調子がいいと答える人はまずいない。わたしは、歯切れの悪い彼に微笑み返した。

 前回の彼は、ひどい鬱状態のときにビデオチャットを予約してきた。これまでも何度かあったが、先日は手に負えないほどに落ちていた。
 彼には訪問看護師がついていたので、連絡してみるよう促した。訪問看護に電話することと頓服薬を飲むことが、彼の不調時のルーティンだ。
 こんな日はビデオチャットを受けられない。「調子のいい日にしましょう」と言って、わたしの出番は早々に終わった。


 前回の様子は今でも鮮明に覚えている。ぐったりとした肩に、重くうなだれる頭。それなのに時折あげる顔は睨みが強く険しく、彫りが一層深く見えた。
 あの日、何があったかは知らないが、推察するに、ガールズバーの女の子からまた連絡が来て、誘われるがまま行ってしまったのだろう。お酒を飲んで、大金を使い、翌朝に昨晩のことを後悔して鬱になる、というのが信二さんのいつもの流れだった。

 わたしはなんだかんだ言って、この人しかアルコール中毒者を知らない。周りにいなかったのか、隠されていただけなのかは分からないが、いい大人になっても接する機会はほとんどなかった。
 彼がリピーターになってくれたことをきっかけに、わたしは地域の図書館でアルコール中毒の関連書籍を手に取った。信二さんのすべてを知っている気でいたわけではないが、普段とまるっきり人が変わった人間を見て、正直ぎょっとした。こういう人がはずみで死んでしまうんだよ、と言われたら、ああ、そうか、とすんなり納得してしまう。

 「アル中」というと、お酒を飲んで暴れる人のイメージだった。いくつか段階があるらしいが、この前の信二さんのように、お酒を飲んだ後で後悔する人はかなり多いらしい。
 自分で飲んでおいて、なんだそりゃ、飲まなきゃいいのに、と思った。そして、そんな単純な話ではないと、知らなければいけないと思った。
 ストレスは飲酒のきっかけになりやすい。専門書によれば、ストレスを溜めないことが重要視されている。雑談にどこまでの力があるかは分からないが、多少はわたしも役に立てるような気がした。


「後ろはいるの?」
「いないですよ。でも13時で終了なので、それまでの間なら延長可能です」
「いや、これ終わったら寝ようと思ってるから、1時間だけで」
 信二さんは、眠そうにあくびをして右目を擦った。

「今日も朝まで飲んでらしたんですか」
「そう、行きつけのとこでね。さっき帰ってきたんだ」
 わたしが「そうでしたか」とだけ言うの留まると、彼はこちらの様子を伺うように視線を送ってきた。ちらちらと、次の言葉を待っている。わたしはそれを知っていて、あえて何も言わなかった。

「また破っちゃった」
 重たい口を開いたのは、信二さんだった。こういうことは、自分から言えるようになった方が彼のためだ。
 わたしは彼に甘くはしなかった。それは何かを意図したわけではなく、自然とコミュニケーションを重ねる中で作られていった関係性だった。
「訪看さんは何て言ってました?」
「『わたしは、信二さんを信じてますからね』って」
「良心に語りかけてくるやつだ」
「そう! わかる? この感じ。俺だって申し訳なく思ってはいるんだよ。でも病気だから。仕方ないの」
 彼はアルコール依存症の専門病院を退院後、そのまま系列の訪問看護ステーションと契約した。週1回、彼を”監視”しに来ているらしい。

「今回の敗因は何だったんですか」
「メッセージだね」
「メッセージ?」
「担当の女の子が今月誕生日なの。『会いたいな~』なんて言われて、仕方なくね」
 すると、パソコンの画面越しにスマホを見せてきた。メッセージは「最近、お店来てくれないですね」から始まり、5行程度の文章が可愛い絵文字付きで綴られていた。お水のお姉さんの典型的な営業メッセージだった。
「でも、最近行ってなかったんですね」
 わたしはメッセージの画面を指さして言った。
「そう! そうなの。偉いでしょ」
 得意げな彼に反して、わたしは「偉い、ですけど、ねえ……」と首をかしげながら苦々しく笑う。


 信二さんは、急に湿ったか細い声を出した。
「どうしても、最後の最後で守れないんだよなあ。そうやって人を失望させてしまう」
 わたしは普段から、あまり彼に期待をしない。彼が大きな失敗をするたび、そしてまたお酒を飲むたびに、「今回も顧みないのか」と白けるのは、こちらの気力が削られるだけだったからだ。禁酒は続けることが難しい。実際、前回お酒で大失敗した後も、彼は昨晩のように飲酒を続けていた。
 そんな彼から出た言葉に、わたしは驚いて何度か瞬きをした。さすがに堪えた部分もあったのだろうか。
「週1回じゃ監視も足りないんじゃないですか」
 訪問を「監視」と呼ぶ彼に乗って、わたしはおどけてみせた。彼は、あははと天井を仰いで笑う。

「でもあの看護師も、もうどうしていいか分からないんだと思う。俺、何度も約束破ってるし。向こうも、何もしないのはあれだから、とりあえず約束だけして帰るんだ」
「そんないい加減なことしないと思いますけど」
「分かんないよ。だって俺らはまな板の上の鯉だ」
 彼は右手の指先を動かして、何やら伝えようとしている。
「よく言いますよ。こんなに約束破って飲みに行く鯉がどこにいますか」
 彼との掛け合いにも慣れた。こんなにずけずけと言ってしまうのは彼くらいだった。


「廣瀬ちゃんはどうしたらいいと思う?」
「本当にやめたいんですか」
 わたしは固い声で聞き返した。
「当たり前だよ。身体も、まあ、しんどいけど、……一番は自分の汚さが精神的に来るね。やっぱり」
 訪看さんは、やはり意味があって毎回約束をしていた。破られると分かっていても、心の片隅にこうして日常を取り戻す端緒を残していた。

「じゃあ、腹を決めて」
「決めてるの、もうずっと」
「違います。失敗しないようにするんじゃなく、諦めないことを一番に据えて」
 予期していない展開に、ああ、うん、と彼はたじろいだ。

 「これは、小さい子どもを育てていて思ったことなんですけど」とわたしは前置きをして、話を始めた。彼は眉間にしわを寄せ、心細い瞳をしてわたしを見ている。

「注意をそらし続ける。多分、突き詰めたらもうこれしかない!」

 彼は拍子抜けした顔で、画面の前に座っていた。対照的に、わたしは語尾に力を込めた。「注意をそらし続ける」と言ったのは、少し前に読んだ本の受け売りだった。
 その本は、元芸能人のアルコール中毒者の手記だ。煌びやな世界には必ず影ができる。彼はその陰に足を取られ、日々のストレスも重なりアルコールにのめり込んだ。中毒者には断酒しかないらしい。少しだけ、と思って飲んでしまうと、止められないのが中毒者だからだ。
 手記のあとがきは、「その一瞬から自分の気を逸らし続ける戦いだ」という言葉で締められていた。信二さんもその戦いを死ぬまで続ける定めにあるのだと、わたしはそのとき初めて理解した。


「子どもを散歩に連れて行くと、お店や公園を通りがかるたびに進まなくて。道端に咲く花でもそうですし、特殊車両が道路脇に停まっていたら、だいだいそこからしばらく動けません」
 わたしの話に、彼は終始「大変だね」と相槌を打った。

「俺は帰れるけどね」
「帰れるかもしれないけど、行っちゃうでしょ、お店」
 バツが悪くなったとき、彼は顎を触る。数ミリ伸びている髭の引っ掛かりを確かめるのに忙しい。
「お店に行かないって約束なら、訪看さんともう」
「はい。なので、道を決める」
「道?」
「そう、道を変える。ガールズバーの近くに行かない。徹底的に避け続ける。でも、『ここを通ったらいけない』と思うと、余計に注意が行っちゃうから、『こっちの道を通る』と決めてしまう」
 彼は「道かぁ」とつぶやいて、ざらつくあごひげを触りながら考えに耽った。
「わたしの家も最近はそうしてます。どうしても買い物しないと困る日は、あえて『公園を通らない道』とか『パン屋さんが見えない道』とかを選んで行くんです。子どもには悪いですけど」
 彼は「やり口が汚い!」とにやついたが、わたしは「これも立派な戦略です」とひょうきんに胸を張る。

「でも子どもって、新しい道でも楽しみを見つけるのが本当に上手くて」
 わたしは指を指揮棒のように動かす。
「ほら、あの、ぺんぺん草とかすぐ見つけちゃう」
 それを聞いて、彼は「俺もできるかな」と歯を見せて笑った。


「自分で行きたい道を決めて、そこを歩いてくださいね」
「ああ、そうだな」
 彼の表情がいつになく引き締まった。

――このビデオチャットは終了しました。


 切り替わった画面を前に、いつもわたしはひとり反省会をする。
 「諦めない」だなんて、どの口が言うのだ。正社員の職を投げ出した過去の自分が鼻で笑う。先ほど自信はどこへやら、自分に明るい言葉をかけることはできなかった。

 テーブルに置いていたコーヒーで一息つく。ノートをまとめようとペンに手を伸ばしたとき、ピコンという着信音とともにスマホの画面が光った。
――予約が入りました。
 それは雑談サービスの予約を知らせる自動メールだった。わたしは伸びた手を方向転換させ、スマホを掴んだ。通知を確認し、予約された日時とコース時間を見る。飛び込みで入った予約は、今日の12時半から13時までの30分コースだった。

 本来なら、雑談を予約するなんておかしな話だ。わたしなら、話したいと思ったタイミングですぐに始めたい。やはりそんな考えの人はわりといて、わたしのお客さんの大半が当日の飛び込み客だった。

 時刻はすでに12時を過ぎている。今日の話をノートにまとめ、わたしは急いで昼食を取った。

(第七話へ続く)

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