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お仕事小説部門|「あなたの話し相手になります。100円/分」第七話

「こんにちは!」
 パソコンの画面には、ブルーの髪色のボブの女の子が映った。よく見ると瞳も淡いブルー系のカラコンをつけている。黒のオーバーサイズパーカーを着て、だほっとした洋服のシルエットから細い腕が覗いている。年齢は20前後に見えた。
「廣瀬と申します。13時までの30分コースのご予約、ありがとうございます。スケジュールの都合で、13時以降の延長ができかねるのですが、大丈夫でしょうか」
「りょーかいです。時間になりそうだったら言ってください!」
 柔和な雰囲気とエネルギッシュさが共存する不思議な女の子だった。わたしはお礼を言い、今日この時間の呼び名を彼女に尋ねた。
「あー、えっと……じゃあバンビちゃんで。みんなそう呼んでるんで」
「バンビちゃん、可愛いニックネーム。名字は小鹿さん?」
「すごい! どうして分かったの?」
「大学時代の友人にひとりいたんです。小鹿でバンビと呼ばれている男の子が」
 若い女の子は久しぶりだった。取るに足らない話で会話が盛り上がるのが、この年代のいいところだ。


 「本日はどんなお話を」と言いかけたところ、ほとんど同時に彼女も言葉を発していた。彼女もかち合ってしまったことに気づいたが、わたしは彼女にそのまま話を続けるよう促した。

「廣瀬さんって、結婚してる?」
 飛び出したのは結婚生活についての質問だった。
「してますよ。子どももひとりいます」
 夫と結婚して6年、子どもは3歳になった。子どもが生まれるときに築浅の中古物件を購入し、閑静なエリアで3人暮らしをしている。

「結婚ってどんな感じ?」
「結婚のいいところ教えて」
「自分の子どもってかわいい?」

 矢継ぎ早にあれこれ聞かれ、その速度に置いていかれる。「一言では難しいなぁ」とこぼしながら、わたしは頬を触った。その間も途切れることがない期待の眼差しに、口元がむずがゆくなる。
「大変なことも多いけど、ひとりでは味わえない幸せがありますよね」
 同調を求める語尾に逃げる。あれこれ考えた末に、ひどく無難な答えを出してしまった。こんな使い古された回答では、きっと満足しないだろう。わたしは恐る恐る彼女の様子を伺った。

「それって、相手による?」
 彼女の興味関心は続いていた。人工的なブルーの瞳がこちらをじっと見つめている。
「そうですね、よると思います。夫だから子どもと出会えましたし、仮に子どもに恵まれなかったとしても、今の夫ならふたりだけの生活も楽しめたかもしれません」
「へえ、いいなあ」
 小っ恥ずかしさがふつふつと湧いてくる。人の話を聞くことは多いが、自分の身の上話を赤裸々に語る機会は今までなかった。予約を入れる人はみな、何か聞いてほしい人がほとんどだった。


「バンビちゃんは、そういう男性はいるんですか」
「男性?」
「あ、そこはどちらでも」
「あー、えーっと……どっちかって言うと」
 彼女は明るい声色のままだったが、反応には明らかな違和感があった。もしかすると、わたしは知らない間にジェンダー問題にずけずけと踏み込んでしまったのかもしれない。すぐに謝罪し、何か意図を持って言ったわけではないことを説明する。
「あっ、全然です! ほんと!」
 彼女は依然あっけらかんとして変わらなかった。その様子が、さらに違和感を生じさせる。


「でも、バンビちゃんには決まったお相手がすでにいそうですね」
 わたしは話題の方向性を変えようと試みた。先ほどまでの彼女の質問は、結婚を考える人と言うよりは、判然としない問題の糸口を探しているようだった。わたしは、彼女が結婚できない相手とお付き合いをしていると踏んだ。
「えー? なんでわかったの?」
 これまでとは打って変わって、ガールズトークのスイッチが入った。彼女の間延びした語尾に、どことなく懐かしさを感じる。
「なんとなく。バンビちゃんの安定感というのか、ある種の余裕というのか分からないですけど、何かいい支えがあるような気がしたんです」
 直感ね、と付け加えると、彼女はさらにひとりでに盛り上がった。

 そうして、他愛もないことをしばらく話していた。彼女は気が合うと思ったのか、「さっきの話だけどね」と言って、再び話を戻した。
「特別に見せてあげる!」
「何を?」
「わたしのパートナー」
 そう言って彼女がパソコンの画面の前に連れてきたのは、一本の青い万年筆だった。
 何が起こっているのか理解が追い付かないわたしに、彼女は”彼”の紹介をした。彼女の祖父が海外に行った際のお土産だったらしい。美しい青さは、ヨーロッパにあるその国の海を想起させる。
「パートナーなんですね」
「うん。でも人じゃないから、今は秘密にしてるの」
 わたしは頭を大きく前後にゆっくり動かし、頷きながら彼女の話を聞いた。理解は追いついていない。ただ、どんな話を聞くときも、まずは相槌を打つ。この仕事で得たスキルだ。

「頭おかしいって思った?」
「正直、『分からない』と言った方が正確かもしれません」


 わたしは、彼女たちを知ろうとした。そうは言っても、やはり何を聞いていいのかもわからない。
「パートナーっていうと、どんなことをするんですか」
「変わりないですよ。一緒にいて、穏やかに暮らしてる」
「そしたら、その、性的なことなんかも、したいって思うものですか」
「思うときもある。けど、別にずっとじゃない。みんなそうじゃない?」
 彼女の言っていることは、マジョリティーと呼ばれる人たちのそれと何ら変わりないような気がしてくる。それが言葉のマジックなのか、あるいは本当に変わらないものなのか、今すぐには判断できなかった。

「物に一瞬でもそういう感情を持つと、危ないって思われちゃう。頭がおかしい的な」
 うん、うん、といつもと同じように話を聞く。内心は混乱していた。対物性愛は、偏見も何も持てないほどイメージが湧かない概念だった。
 一瞬、彼女に揶揄われているのかもしれないとも思った。しかし、彼女の万年筆を見る眼差しは、どこかで見覚えがあった。それはわたしもよく知る日常の中にあった気がする。

「でもね、悩んでないの」
「悩んでない?」
「うん。悩んでない」
 からっとした表情で言う彼女に、わたしの混乱はどんどん加速する。

「なんていうか、『話せないの、なんでだろう』って。単純な疑問? っていうか」
 そう言った彼女は、長いまつ毛をぱちくりとさせ、無表情で宙を見つめていた。
 わたしは深く空気を吸い込んだ。それを鼻からゆっくりとすべて吐く。口は開けられなかった。一度閉口した唇は容易に開けられない。肌がひんやりとした。
 この純朴な疑問に、どう太刀打ちすればいいのか見当もつかなかった。


「馴れ初めみたいなものはあるの?」
 再び話し出すまでに、かなりの時間をかけてしまった。わたしは手さぐりに、彼女との”恋バナ”の形を模索し始めた。物にときめいた経験はないが、人との恋愛は数えられる程度にはしてきた。
 はるか昔の記憶を手繰り寄せる。もうはっきりとした感覚は思い出せないし、思い出したそれが美化されたもののような気がして疑わしい。自分から始めた恋バナだったが、早くも暗礁に乗り上げた。わたしはしばらく黙っていた彼女に視線を送った。
 すると、彼女は「聞かれたことなかった」と言って控えめに微笑んだ。どことなく嬉しそうにしていた。

 ふと手元のスマホで時刻を確認すると、〈12:58〉と表示されている。タイムリミットは迫っていた。
「また来ていい?」
「ええ、ぜひ」

 彼女の「じゃあね!」という清々しい声とともに、画面は切り替わった。

――この会話は終了しました。


 パソコンを閉じると、わたしは深呼吸をした。30分コースだということが疑わしくなるほど、気力を要した。世間にはまだまだ馴染みのないことがたくさん転がっていて、今の生活がどれほど限定されたものかを実感する。知らなければいけないことも、考えなければいけないことも際限なくやってくる。

 わたしはヘッドセットを外して、ノートを開いた。
――バンビちゃん、20前後?、ブルーの髪とカラコン。小柄。明るい。
 初めてやってきた彼女の情報や印象をメモしていく。文章でも単語だけでも、特に決まりを作らずに書いていく。時間もあまりとれないし、何より「直感が大事」という直感があった。

――物が好き、悩んではいない。

――「話せないの、なんでだろうって」

 彼女の声は、わたしの心の奥底に鉛のようになって沈んでいった。”純粋な疑問”と言った彼女に、かける言葉が見つからなかった。

 しかし彼女とは、また話をする機会がありそうだ。それまでに、わたしにできることを考えなければ、と気を引き締める。

 ノートを引き出しにしまうと、わたしは幼稚園の迎えに急いだ。

(第八話へ続く)

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