ジョニ・ミッチェルはひとりの時間に
ジョニ・ミッチェルを聴くのはひとりの時間がいい
例えば週末の夜、気乗りのしない友人らから飲もうと誘いがあっても、それを易々とキャンセルし、ひとりゆっくりじっくりと聴く時間をつくりたい
願わくば、夕日を追いかけて車を走らせ(免許は持ってないけれど)、カーステレオのチープなスピーカーから流れる彼女の声を聴いていたい
願わくば、ある日曜日の晴れた昼下がり、誰にも邪魔されず、ふんわりとした裾の長い真っ白なルームドレスみたいなもの(そんな服は持っていないけれど)を着てちょっとのお酒にオリーブなんかをつまみながら、レコードの針を落としたい
願わくば、好きな人と喧嘩をしてしまって、どうでもよいようで全くどうでもよくない気分の夜、真夜中に友だちに電話で話を聞いてもらいたくなるような(そんな友だちはいるだろうか)そんな夜に小さな音でラジカセから流れる彼女の声を聴きたい
願わくば、自分の人生の終わりを感じたある日(そんな風に感じるものなのだろうか)、目の前ではしゃいでいる子どもたちの姿を眺めながら、ひっそりと枕元のポータブルスピーカーから流れる彼女の歌に耳を傾けたい
そして死がそっと訪れるある朝に、どこからかBoth Sides Nowが聴こえてくるのだろう
いろんなものを失いながら、前に進んだ人生
何が正しく間違っているのか、わからなくなってゆく
本当は最初からわからなかった
少しの心細さを感じた
私は大きな何かによって慰められた
そうするしかなかったのだよね、と
雲を両側から見てきました
上側と下側から
でもどういうわけか
思い起こすのは雲の幻影
私は雲のことなんか全然わからないのです
わかったような気持ちになって暮らしてきたような気もするけれど
最後の朝に、私はなに一つわかってなどいなかったと知るのだろう
目の前には霞む雲
わたしはそれをどこからみているのだろう
それは本当にそこにあるのだろうか
***
今日はジョニ・ミッチェルの音楽について。わたしにとって彼女の歌は、孤独で内省的だけれど、誰よりも側にいてくれるような親密さに血の通った本音の温もりを感じます。喪失の中で生まれた自分でも気が付いていない感情を教えてくれる友のような。それゆえに彼女の音楽、歌詞と対話するかのように、いつもひとりの時間に聴きたくなるのです。
彼女のアルバムはどれもよいのですが、今日の文章から思い浮かべた2枚を載せておきます。
"Both Sides Now" はこちらのアレンジ↓が文章の気分。過去の名曲がストリングスや名プレイヤーによってジャズにアレンジされ、いぶし銀。素晴らしいです。
それでは、皆さんのひとり時間がより奥深く、素晴らしいものになりますように。