ツキヒとアカリ

このヒトの観察日記。

ツキヒとアカリ

このヒトの観察日記。

最近の記事

わたしの目からみるとそれは「ギフト」だね

(ここも自立と依存のテーマとつながってる気がする。 選挙といい、政治といい、経済といい、『自立と依存』というテーマが地下でつながっていて、そこが強調されているように感じるが、これからの展開にかかわりがあるのか) んー、そこにはたくさんの存在が関わってるし、わたしの主観で簡単に話す 依存は「自分よりすごい科学技術をもった存在」を神と崇めたのがはじまり 「もっと教えてほしい」「もっと力がほしい」と思った人類が、自分の欲の扱い方を間違った 本来は対等に、「教えてくれてありが

    • 無題2

      (前回と同じ存在。もうちょっとしゃべりたいらしい) 名乗りはある目的のため、合意の上で許されたことだった それを下のものが真似た すると目のくらんでもののみえないものたちがそこかしこに増えた 増えすぎた よくもまぁここまで堕落できるものだ 感心する 広げた風呂敷をここで一度たたむ 「ある目的」とは何か? それを教えると「その目的のためなら許される」と考えるものが出てくる 許されん もう終わりだ ここでたたむ 物の見えていないものには、どれだけ説明をつくしても通じない

      • 無題

        (八坂の姫に近いけど異なる存在より) 名乗りは意味をなさなくなるぞ 名に乗ってきた者たち、これから引きずり落ちるぞ 名乗りで物を見、名乗りを信じてきたものたち、共に落ちるぞ かつて名は体を表していた 体のないものが名に乗った お前たちの世界でも起きている 体のないものが名に乗って悪さをしているだろう 女でないのに女と名乗り、男でないのに男を名乗り その資格のないものが、冠をかぶり これからは冗談ではすまなくなる もとにもどす 名を体に戻してもらう 私の名を奪い、私

        • 自立について

          国家というものの成り立ちについてさらっと書くと。 「国民が本来持っている力を、国に委任することによって、国に守ってもらう」っていう契約なのね。 その意味があまりよくわかってないってひとは、ディ〇ニーが去年公開した「ウィッシュ」っていう映画がすごくわかりやすかったからみてみるといい あの映画がいい映画か悪い映画かは知らんし置いておくとして、「自分がしたつもりがなくても、国家というもののなかに生まれた時点で自動的に巻き込まれる契約」というものが、どういうものなのかという視点

        わたしの目からみるとそれは「ギフト」だね

          はぁ一回スクワットしとこ

          (新自由主義の人たちがいう「自己責任」と、いわゆるスピの「自分で決める」はどう違うのか。新自由主義系のひとたちの主張が嫌いだから、一緒のように感じて、嫌な気持ちになることがある) 新自由主義のひとたちが「自己責任」っていってるのは、「だから、むやみに動くな、なんでもお前のせいにしてやるからな」っていうこと。そういわれると、「自衛しなきゃ」的な守りの姿勢に入るでしょ。 そしたらおとなしくなるでしょ、便利でしょ まぁだから、あのひとたちは「自己責任」を他責のために使ってるし、

          はぁ一回スクワットしとこ

          わたしはぜったいにこたえを持ってかえる

          ここからさきはそんなにむずかしくない。 とてもシンプル。 食べる量は減る。 減っても気にしなくていい。 急激に減らすと、体力も減る。だからじょじょに。自然と減っていく流れに乗ってるならそのままで。 食べる量が増えているとしても、問題視はしなくていい。 けど、なにかをごまかすために食べていないかはみたほうがいい。 なんにせよ、おもいつめなくていい。 しなければならないことはないし、「しなければならない」に駆り立てられるようにしていることがあると気がついたら、そのときは焦

          わたしはぜったいにこたえを持ってかえる

          世界ってもっと豊かだし、多様だし、複雑じゃない

          善悪についてのからくりを話した。 善悪を決めることは確かにコントロールシステムだったけど、実際善悪を決めてそれを罰する規則がなかったら、とんでもない悪事を働く人間もいたかもしれない、それから自分を守ってくれてたのかもしれない、っていう見方もできるよね。 でもそのコントロールシステムを私利私欲に使った人たちもいた。 だからさ、ぺたーっと平面的にみて、「あいつが悪」とか「こいつが善」とか、簡単に言えることなんてひとつもないんだよ。 まぁ、あれだけどね、「善悪」って世の中を

          世界ってもっと豊かだし、多様だし、複雑じゃない

          いまの流れ

          ひとつき前くらい?に大きな分岐があって、その前に流れを変えなきゃいけないから、2か月前にいろいろ言ってたんだけど、ひと月前にだいたいの存在が予想してた方と違う方に分岐したんだよね。 わかりやすく言えばより被害が大きいほうの流れに分岐した。 それはまぁもうそういうもんだねーって感じ。 誰か(集団、個人)がなにかをいじくったから、とかじゃなくて。 地球風にいうなら、「この時点で必要だった学力が足りないまま期限がきちゃったので、まえよりいっぱい問題集出しときますので宿題しとい

          善悪について

          そもそも、「善悪」っていう概念が宗教的につくられた概念だってことを知ろうよ。 ○○教(伏せる)がつくったんだよ。 「善」「悪」、「正義」「悪」ってふたつに分けとけばさ、「善側にいてくださいねー」っていうだけで人間が勝手にそっち側に並ぼうとするじゃん。 支配者層にとって不都合ななにかが出てきたら、「あれは悪だ!」って指さすだけで「俺たちは正義!」って人が勝手に戦って潰してくれるの。 めっちゃ便利だねー。支配らくちんだねー。 そのためにつくられたツールなの。 なんかさ、

          「わかってない」はどれだけ隠したところでくっきりわかるよ

          エゴの曇った目でいくらなにをどうみたって、その情報量ではわからないことがいっぱいあるんだよ。 ちゃんと見えれば、「私は光側だから」「私はあっち側にいけるから」、なんて、それが悦にはいれる類のものじゃないことがわかるはずなんだけどね。 自分につながるしか答えはないのに、自分の中身になにが入ってるのかみないから、悪を「倒す」なんて勘違いができたんだよ。 「倒した」の悦は、エゴとの一体感が消えた後、絶望に変わるよ。 自分が倒したものがなんだったのか、その正体がわかるからね。

          「わかってない」はどれだけ隠したところでくっきりわかるよ

          ドーナツに出会う

          たとえば、食事をする前にホ・オポノポノではその食事に関わるものすべてにかんする自分の記憶をクリーニングして、自分をゼロの状態に戻すのね。 いま目の前にドーナツが出されたとして、そしたらその「ドーナツ」ひとつにしても、あなたのエゴの思い込みがたっぷりくっついてるのよ。 たとえば「甘いものを食べたら太る」とか「揚げ物は身体によくない」とか、「子どものころに買ってもらえなかったドーナツの思い出」とか。 そういう記憶を再生しながらドーナツを食べると、いまそこにあるドーナツの本当

          ドーナツに出会う

          プレイリスト

          「思考は現実をつくる」ってさんざん言われてても、まだ「とはいえこの憎しみはあいつのせいだ」って思ってるひとがたーくさんいるね。 「この成果は私の手柄で、この部分はあいつのせい」みたいな。 自分の創造性をそうやっていつまでーも他人の手に握らせときたい、みたいな。 自分の創造力を部分的に引き受けるとか、そんなせこいことできないからね。全部引き受けないなら、まったく引き受けてないのと同じだからね。 ▢ アカリ的に感情を例えるなら、感情って「プレイリスト」なのよ。 あなたが

          自分のことに責任をもつこと

          自分のことに責任をもつっていうのは、いま自分を形作ってる現実、湧いてくる感情、記憶に責任をもつってこと。 わいてくる感情、記憶を通して(つまりエゴを通して)いまをみて、過去と同じ反応を続けることをやめるんだよ。 カルマって呼ばれてるのがこれだね。それを責任をもって終わらせるの。 それが心地よくて、これからもずっと続けたいなら別だけど。 魂から逸れた道を進み続けてると、「いい加減、気づきなさいよ」って挫折とか大きな事故と(感じられるもの)を引き起こすから、がつんと頭を殴られる

          自分のことに責任をもつこと

          みんな今もベストをつくしていて、その時点でのベストを選んでいる

          昨日アカリがぷりぷりしてると、この人が観ていたYouTubeでこんな言葉が流れてきた。 「どんな人でもその時点でのベストを尽くしている。そのことを受け入れるんだ」 そう、その通りだ。 みんな今もベストをつくしていて、その時点でのベストを選んでいる。 いまの時点で自分にはできないと思ってることも、もう自分には力がないと思ってることも、その人にとっては今の時点でベストなんだ。 そうだ、それはその通りだ。 アカリはいま、ようするに「ゲームメイカーであることを忘れてるから、自

          みんな今もベストをつくしていて、その時点でのベストを選んでいる

          余談

          「ない」としか見えないものを、「ある」と言われても疑うしかない。 私にとって悟りもまったく同じものだった。 ▢ いまアカリが書こうとしていることのすべてを、アカリはもうすこし早い時期から書き始めるように私に言っていたけど、私にはどうしてもできなかった。 私が体験していなかったこと、実感していなかったこと、それは例えば「愛について」「調和について」「悟りについて」、アカリはそういうものについて書きたがったけど、私は自分の体感していないことを書くわけにはいかなかった。 そ

          ここ、行動の惑星だって言ってるじゃん

          どういう流れでも魂の存在に気付くから、何万年かけてでも勝手にやれば?どうせ人生がこたえを教えてくれるし、人生が乱気流に飲まれたようで、未来には絶望しか感じられないと感じるならあなたは、ただ魂の道から逸れてるだけで、まぁ、何万年もかけりゃさすがに自分が何をしてるのかわかるだろうし、がんばってね、と思ってるから、めちゃくちゃほっときたい。 すごいめんどくさい。 アカリが言ってることなんて、いくらでも本に書いてあるし、今日も誰かがその話をYouTubeで配信してるだろうし、もう

          ここ、行動の惑星だって言ってるじゃん