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世界ってもっと豊かだし、多様だし、複雑じゃない

善悪についてのからくりを話した。

善悪を決めることは確かにコントロールシステムだったけど、実際善悪を決めてそれを罰する規則がなかったら、とんでもない悪事を働く人間もいたかもしれない、それから自分を守ってくれてたのかもしれない、っていう見方もできるよね。

でもそのコントロールシステムを私利私欲に使った人たちもいた。

だからさ、ぺたーっと平面的にみて、「あいつが悪」とか「こいつが善」とか、簡単に言えることなんてひとつもないんだよ。

まぁ、あれだけどね、「善悪」って世の中をたった2つに振り分けたらいいでしょ?
でも世界ってもっと豊かだし、多様だし、複雑じゃない。

思考力を使うのが苦手とか嫌いな人に、「善と悪、たったふたつに分けるだけでいいんです」って話はものすごく簡単で通じやすいし、考えるのが楽になるから、「複雑なことなんてなーんも考えたくない」っていう怠け者系の人は飛びつくんだよね。
だってシンプルで簡単だもん。
で、だいたいのこれまでの地球人は「楽したい」とか「難しいこと考えたくない」「難しいこと考えるくらいなら、偉い人に従ってたほうがまし」とか「自分で考えて決めてその責任なんてとりたくないし、人のせいにしたいから先生のいうこと聞く」とか思ってたから、その思考システムが大人気だったんだよね。

それはそれで時代にとって必要なものだった、って話として聞いてほしい。

たとえば、現時点ではすっごいダメそうにみえる人が統治者にいたとして、これからもっと先の未来では、「あのダメっぷりを発揮してくれたからこそ、よかったのかも??」と思うことがあるかもしれない。

なにがいいたいかというと、今、現実をみて「これはいいこと」「わるいこと」って振り分けていくことってなーんの意味もないんだよね。

あ、支配したい系の人たちは別よ、「これはいいこと!」「これは悪いこと!」って統率とって集団になりたい!って思ってるから、これから個人でもどんどんそういうのやろうとする人が増えるんじゃないかな。
その人たちがやりたいのはパワーを集めることだからね。
本当のことを教えますーとかじゃないよ。
ていうか、自分が数とれば自分の思ってることを本当にできるくらいに思ってる、旧時代によくいたタイプのあれよ。

これから先のことが本当にみえてるなら、なんで集団になりたいのかわかんないけど、まぁいいや。やりたいようにやってくれ。

現実に触れてるときにいちばん大切なのは、「自分は何を感じてるか」をじっくりと感じること。

もやもやする?ひやっとする?
怯えてる?イライラする?
それともあったかいなーって思う?

言葉にできなくてもいいから、たとえば「いま感じてるこのもやもやした感覚は好き?これからも感じたい?」ってちゃんと自分に確認して、「もうこれはいいや」って思ったら、手放していくんだよ。

ずっと過去をひきずらなくていいんだよ。
「私はこんなことをしてしまった。このことを一生忘れられない」なんて、思わなくていいんだよ。

連結してる電車を想像してみて。
あなたは先頭の車両にのってるんだけど、その後ろの車両には、過去のいろんな思い出が積載オーバーになるくらい載ってるのね。

で、その電車はいま未来に向かって走ってるの。

後ろの過去の記憶満載の車両を振り返ってみて、「これって、本当に未来に持っていきたい?」って自分に聞いてみて。

ほんとうは別のことを体験してみたいって思ってるけど、過去に責任を感じるとか、いろんな感情が湧いてきたら、「過去の責任を背負って生きていって、もう未来にまってる経験はなにも楽しめなくていい、積載オーバーすぎて本当に行きたかったところには行けないかもしれない。本当にそれでいい?」って自分に聞いてみて。

で、「あ、もういいや、私はもう未来には新しい私になって、そこで起こることを楽しみたいや」って思うなら、たくさん過去の記憶がつまってる車両を切り離して。

そしたら自分のいま載ってる電車はぐんと軽やかになって、スムーズに行き先を変更できるようになるよ。

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