わたしはぜったいにこたえを持ってかえる
ここからさきはそんなにむずかしくない。
とてもシンプル。
食べる量は減る。
減っても気にしなくていい。
急激に減らすと、体力も減る。だからじょじょに。自然と減っていく流れに乗ってるならそのままで。
食べる量が増えているとしても、問題視はしなくていい。
けど、なにかをごまかすために食べていないかはみたほうがいい。
なんにせよ、おもいつめなくていい。
しなければならないことはないし、「しなければならない」に駆り立てられるようにしていることがあると気がついたら、そのときは焦りの中にいることを知っていて。
とてもお祭りさわぎだけど、そのただなかで針に糸を通すような真剣さを持ち続けることをとても大切にして。たとえばなしだけど。
踊ってるひとたちにあわせて踊らなくていいし、聞きたくないなら聞かなければいい。
でももし、「とてもいやな気持ちになるのに、どうしてもみてしまう、聞いてしまう」ものがあるのなら、それは、「なにに駆り立てられているのか」を見た方がいい。
見る必要がある場合もある。
そういうときはかならず、「自分のなかの、なにを解決したくてそれをしたのか」という「こたえをもってかえる」という意思を大事にして。
ねんのため強調しておくけど、「自分のなかの」だからね
「世界の」も違うし、「お母さんの」もちがうし、「友達の○○ちゃんの」も全部ちがう。
あなたの前に現れてる課題(のようなもの)はすべて、あなたのもの。
でもあなたそのものが、世界に通じているから、あなたの解決は世界の解決なの。その順番をわすれないで。
いちどでわからなくていい。何度も同じことをくりかえしてしまっていやな気持ちになったとしても、「わたしはぜったいにこたえを持ってかえる、そしてそのステージを終わらせる」という意思をもって。
さぁ、変わるよーたのしみだね
いま騒いでるひとたちをみても、何世紀も前の出来事をみてるみたいで、カラーテレビの時代に白黒の写真みてるみたいな、ずれを感じることがあるとおもう。
カラーがよくて、白黒がわるいって意味じゃないよ。それくらい、時空のずれみたいなものを感じるってこと。
いまみてるものが、ただの夢みたいに、どこかのロビーで流れてる環境映像みたいなものにみえてくる。
でもそこに、たしかに存在感をもって、夢とは思えないような確かさで、ぐっとひきつけられるものをみつけたら、それが、あなたの行き先だよ。
もう、そこまできてるから、いまここで会えるよ、笑ってる未来のあなたに。
未来のあなたが、いまのあなたをみちびいてくれる、そのアクセス権はみんなにあって、いま、この瞬間にもこたえをもらえる。
なんどか練習しなきゃだめかもだけど
「未来のわたし、会いに来て」っておねがいしてみて
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