見出し画像

【本の紹介】里崎智也『捕手異論』―サトザキ流「捕手」コミュニケーション(第一弾)

「バッテリー」という言葉は特別な響きを持つ。それは野球というスポーツにおける投手と捕手が特別なポジションだからだ。

投手が投げなければゲームは始まらないし、投手は他の選手よりもひとつ高い位置の「マウンド」という特別な場所に立っている。
そういった意味でも、野球というスポーツは投手を中心に動いているように見える。

しかし、日本プロ野球史に残る名捕手の古田敦也はそれに異を唱える。
古田曰く、「野球は、キャッチャーがピッチャーにサインを出してからはじまるスポーツ」とのこと。

そう、アマチュアからメジャーリーグまで、投手は自分の好きな球を勝手に投げている訳ではない。
そうではなく、まず捕手が投手への「コミュニケーション」を試み、投手はそれを受け止める。野球はそこからスタートするのだ。

捕手から投手へのコミュニケーションは、球種を伝えるためのサインに限らない。ピンチになった際に捕手がマウンドに駆け寄って行われるコミュニケーションもあれば、ベンチ内でのコミュニケーションもある。

さらには私生活も含めた素の人間同士のコミュニケーションもある。そのときには捕手と投手という役割は無くなっているが、捕手をやっている人はそのポジションで培った独自の目線をとおしてコミュニケーションをしているように見える。

では、「捕手のコミュニケーション」とはいったいどんなものなのか。
その一端を、2006年のWBCに出場し世界一の立役者となった里崎智也の著書『捕手異論』(2017年 株式会社カンゼン)から探ってみたい。

サトザキの人間関係論

プロの世界では、チームにレギュラーの捕手がいるにも関わらず、その日のピッチャーによってはレギュラーではない捕手が出場することもある。

例えば、2023年のオリックス・バファローズには森友哉という強打の捕手がいるにも関わらず、山本由伸が登板する際には若月健也がマスクを被っていた(捕手としての出場試合数は若月が83試合で森が56試合)。

他にも、ジャイアンツでは打撃に課題があり必ずしもレギュラーとは言えない小林誠司が、菅野智之との「スガコバ」コンビとして菅野の持ち味を引き出しているし、ファイターズでも総合的に考えれば田宮裕涼がレギュラーに近いものの、山﨑福也が登板する試合では伏見寅威が女房役を務め「サチトラ」コンビとして活躍している。

さらにはメジャーにも同じケースがあり、大谷翔平と山本由伸が所属するドジャースのオースティン・バーンズは控え捕手であるにも関わらず、通算200勝超えのクレイトン・カーショウとのコンビで有名だ。

これらの例のように、特定のピッチャーと"相性"が良いためにセットで起用される捕手のことを俗に「専属捕手」と言い。投手の実力を最大限に引き出すことを期待される。

しかし里崎は、この「専属捕手」というものがバッテリーのあるべき姿かと言えば、「そんなことは断じてない」と真っ向から否定する。

では里崎は、投手と捕手のあるべき関係性をどのようなものだと考えているのか。

「相性のよさ」や、個人的な好き嫌いを度外視したところで、お互いが粛々と実績を積みあげていくのがピッチャーとキャッチャーのあるべき姿。
(中略)
馴れ合いを排除したグラウンドレベルでの意思疎通を通じて築きあげた信頼関係。それこそが、しばしば"阿吽の呼吸"とも呼ばれるプロのバッテリーの理想形だと、ぼくは思う。

『捕手異論』p59~60

うむ。どの仕事にも当てはまるすがすがしいほどの正論だ。例えば営業マンは話をよく聞いてくれない相手にもていねいに自社製品やサービスを紹介または提案しなければならないし、教師はさまざまな個性を持った生徒に対して"成長"や"学習"についての深い理解を元に関わっていかなければならない。

そう、「プロ」であるなら、条件に関わらず結果を出さなければならないのだ。

では、プロ野球の投手と捕手が「プロらしい信頼関係」を築いていくにはどうしたらよいのだろう?

 僕の経験からすれば、これはもう、一も二もなく自己主張をしていくこと。もし自分に「こうしたい」という要望があるなら、相手が誰であってもそれらをきちんと自分の言葉で伝えることが、ピッチャーとの良好な関係を築く、はじめの一歩だと断言できる。

p60 太字はサトザキではなくこの記事の筆者による

「要望を伝える」。このシンプルな行動が起きている問題の解決につながることは、実はよくある。
でもなぜかこの日本社会では、要望を伝えないために多くの問題が「そのまま」になっていることが多い。なぜなら、本当は言いたいことがあるのに、自分の要望を飲み込んでしまっているからだ。
言ってぶつかるくらいなら、自分が我慢した方が楽、そう考える人もいるだろう。

もちろんそれもひとつの処世上の知恵だ。なんでもかんでもぶつかればよいというものではない。

実際サトザキも、「当時のエース・清水直さんなどとは試合中のベンチで真っ正面からぶつかりあって口喧嘩のような緊迫した空気になったこともあった」のだという。

でも、この「要望を伝える」ということはプロとしてはやった方がよい。それは読者のみなさんも納得されることだろう。
では、この「要望を伝える」という行為が成功するために必要なことは何か?それについてもサトザキの考えを聞いてみたい。

「もっとよくしたい」という純粋な気持ちに端を発した"喧嘩"であるなら、たとえ相手が先輩であろうと、とことんまでやりあったほうが、結果的にはお互いのためにもなるのである。

p61

自己主張すべきことは、愚痴や文句ではない。あくまでも、「もっとよくしたい」という前向きな気持ちに基づいた「要望」であるべきなのだ。

現実的には、「要望」を伝える上では相手が受け止めやすい「言い方」を考える必要はあるだろう。頭がカッカしたまま話しては、通る要望も通らない。

頭を冷やして冷静に自己主張をすること。実はそれは組織では結構求められていることでもあるかもしれない。なぜなら、その組織で誰かが「気になっていること」というのは、実は「みんなが気になっている」ことかもしれないからだ。その自己主張から改善策が見つかったりするかもしれないのだから、実は上司も部下の自己主張を待っていたりする、ということは覚えておいてもよいだろう。

・・・
お読みいただきありがとうございます。これで「前編」は終わりです。
「スキ」と「フォロー」、よろしくお願いします。
・・・

おまけ~サトザキの「構え」の意味

捕手による投手への「要望」は、実は「構え」にも表れる。

『捕手異論』の最後に、大のジャイアンツファンで知られるお笑いコンビのナイツの塙との対談のコーナーがある。
その中で、実はサトザキは十二球団いち低く構えることで有名な捕手だったと言っている。

これはいくつか映像を確認していただけるとわかるのだが、状況によってはサトザキの構えは足首と膝の間くらい、ストライクゾーンではなくボールゾーンに構えているくらい、サトザキは「低く構える」捕手だった。

(野球に詳しくない方のために説明すると、打者の膝元の高さのボールというのは、打者にとってヒットにしにくいゾーン。特に2ストライクに追い込んでからは膝から下に落ちる変化球で勝負に行くことが多い。逆にそこよりもボールが浮いてしまい太ももからベルトくらいの高さに行くと打たれてしまう)。

では、そうやって低く構えるのはなぜか?

当時、ジャイアンツの捕手の小林誠司が、解説者から「ミットの位置が低すぎる。だからピッチャーが投げられない」(p230)と言われており、それを受けてのサトザキの発言を引用する。

僕らからしたら、ピッチャーが低めに投げてこられてないから、意図して低めに構えてるだけ。だって、最初からちゃんと低めにボールが集まってるなら、わざわざ低く構える必要なんてないですしね(笑)。

p230

多少ケンカ腰なところがあるのは置いておこう(笑)。
ただボールが浮きやすい傾向のある投手に対して、捕手が「低めに投げてこい!」という意図で身をぐぐぐっと沈めて構えるのはプロでも高校生でも同じ。

捕手は、この「構え」をとおして投手に「要望」を出しているのだ。

野球の現場には、このように言葉にならない「コミュニケーション」が溢れている。
それを見つけることができると、あなたが野球をする楽しさ・見る楽しさはさらに深まるはずだ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?