見出し画像

ベトナム放浪記4

 3月17日 。
ベトナムに来てから2か所ほど、いわゆる観光名所と言われるような場所へ訪れてみたがいまいち心惹かれるものがなく、それよりかは街の人たちの生活や建物やらを観察しながら歩き回っている方が私にとってはよっぽど面白い。

 しかしこの風景にも多少の慣れが出てきてしまい、私の中の面白探知機のセンサーがビビビっと反応することが少なくなってきてしまった。

どこか面白そうなところはないか、と1人宿泊先の部屋でGoogleマップを開いて小さくなったサパをあちこち行ったり来たり。
なにしろ無計画できてしまったものだからサパの売りであるトレッキングに参加できるような身分ではないし、そもそもそのようなツアー自体にあまり興味がない。

 はてどうしたものかな、と悩んでいるとOld French Church という文字が目に飛び込んできた。
みてみればどうやら1942年、フランスの入植者によって建てられた教会らしい。観光名所として訪れる人があまりいないのか建物についての詳しい情報はいまいちよくわからなかった。
Old French Church というあまりにそのまますぎる名前からも想像できるが、人の手による管理が一切されておらず入場料もなければ中には入りたい放題ということで廃墟好きな私からするとなかなか興味のそそられる条件だった。

よし、ならば行ってみようではないか。
特に何も予定のなかった私は午後はこのオールドフレンチチャーチとやらを訪れてみることにした。Googleマップによるとこの教会までは約4キロ。
小高い山の上にあるようだ。バイクを使えば10分ほどの距離である。
バイクを使っての移動も考えたが、昨日、バイクを二度値切り、二度失敗したことが頭をよぎる。
なにせサパにはgrab(東南アジア各国で利用されている配車サービス)が導入されていないため、バイクで移動する場合は全てドライバーと価格交渉だ。
昨日、その価格交渉を試みたものの失敗に終わった悔しさから今日は体力がある限りは歩いていこう、と覚悟を決めた。

 荷物をまとめいざ出発。バイクで行けばものの10分で着く距離だが、舗装された道路といえ山の上へと登る必要があるので徒歩となれば1時間ほどかかるらしい。

坂道を登る途中、プゥーンと間抜けな音を出して風を切るバイクを横目に乗せてもらいたい、、と一瞬の迷いが顔を覗かせるがこんなとこで折れるわけにはいかまい。私は今日、昨日の値切りに失敗した分を取り戻すのだ。私の意思は固いぞ。間抜けな音を出して走るバイクの誘惑になぞ負けてたまるものか。
リュックを背負い直し、一歩、また一歩永遠と続く坂道を登り続ける。道中には現地で生活する女性たちが荷物を広げ野菜や果物を売っているところに何度か遭遇した。日本で言う道の駅、と例えれば想像がつきやすいだろうか。

奥に見える人だかりが野菜や果物を売っている様子



3分の1ほど歩いたところでお腹が空いてきたのでお昼ご飯を食べることにした。
坂道の途中に見つけたこちらでよく見かける、地元の人たちがふらっと立ち寄るような簡素なお店へ入る。
広々とした店内にはこの地味なお店には似合わない無駄に大きな画面の立派なテレビが床に居座っており、日本のカラオケボックスで恋愛ソングを歌うときよく見るあの無名な俳優(?)たちによるプロモーションビデオたるやによく似た、いかにも東南アジアらしいチープな感じの恋愛ドラマが大きな音で流しっぱなしになっている。

お昼の混雑時が過ぎた後だったからだろうか、お客さんは現地の住民と見られる男の人1人だけでお店を経営している母親とその娘と見られる2人は何やら食事をしている途中だった。店内の床には前のお客が捨てたと見られる紙ナプキンや麺やスープの汁が散らばっている。
私は食事中の2人に声をかけ、ブンチャーを注文した。

ブンチャーとはハノイ発祥のベトナム料理で米粉の麺を焼き肉やつくねの入った甘めのスープにつけて頂くつけ麺スタイルの食べ物である。

適当に席を探し座って待っているとお母さんが料理を運んできてくれた。
運ばれてきたのは一つの器に麺もスープも入っていてなんだか私の想像していたブンチャーとは様子が違う。というかおそらくブンチャーではない。
私が頼み方を誤ってしまったのだろう。

多分ブンチャーではない気がする。

ベトナムに来てからこの類の食べ物ばかり食べている気がしてああ、またこれか、と若干気持ちが萎えてしまったが、それよりもここから更に40分以上山を登り続け無事目的地に到着するのかということの方が気がかりである。
連日の疲れもあって既にふくらはぎがピンと張っていたので帰りは絶対にバイクを使おう、と早々に意気込んでブンチャーなのかフォーなのかはたまた他の名前の食べ物なのか分別がつかないまま麺を啜る。柔らかい米粉の麺と優しい口当たりのチキンベースのスープがするすると喉を通り私の胃を満たした。

店内の様子
写っている人は私の後に来たお客さん


綺麗に完食したところでお会計をしてお店の人へお礼を言い、再出発。

 変わり映えのしない景色の中をひたすらに1人歩くだけであったが、道中には、アヒルの親子がガーガーおしゃべりしながら道路を渡っていたり、道端にたった一本だけその場所に立っている柿の木を目にして綺麗だなあと思ったり、丘の上で裸足になり身の回りにあるものを使って遊んでいる子供達がこちらに手を振ってくれたり、山肌の細い道を使ってソリ滑りのようにして遊んでいる子供達を見かけたり、きっとバイクで移動していたら気づかないまま通り過ぎてしまったであろう景色に幾度となく胸を打たれ、目的地へと向かった。

一本の柿の木
アヒルのおしゃべり親子、横断中
ソリ滑り
とっても楽しそう!!
手を振ってくれた子供達


 マップに残り徒歩20分と表示された頃、私は小高い山の上にある教会の姿を確認した。

その様子が幼い頃繰り返し読んでいたグリム童話やアンデルセン物語に出てくる私の頭の中で繰り広げられていた、森の中にひっそりと佇む小さなお城とそっくり重なった。

Old French Church


 更に急勾配になった坂をがしがしと登ってようやく入り口に辿り着くと、サパの民族衣装を纏った女性達が物売りに来ていた。
彼女達にこの場所が確かに私が行きたかったオールドフレンチチャーチということを確認して中へと足を踏み入れる。


 その瞬間、私は思わず息を呑んで目の前の古い教会に圧倒されしばらく動けなくなってしまった。
正しく今回訪れた場所の中で1番印象に残った場所だった。


 誰の手にも管理されておらず荒廃し切ったその建物に近づいてみると少し気味が悪いような気もしたが、建物自体に恐怖や悍ましいエネルギーを感じることはなく、ただずっとそこにいる、雨風にさらされてもなおそこにいる、その建物の強さを感じた。まるでどっしりと構えている巨木のような、お爺さんのような、そんな建物だった。

周りを歩いてみると半地下の建物の中へと続く人が通るうちにできたような小さな道を見つけたので私も教会の中へお邪魔することにした。

教会の屋根は無くなっていて、床も抜けて吹き抜けの状態、壁も所々崩れてしまっているので建物の中は外からの光が届いて明るい。
ほとんど石造りの骨組みだけが残っているような建物である。足元には風に吹かれてきた生活ゴミが散らばっていた。

苔むした建物は半分植物に侵食されていて壁から草が生えていたり、木の根っこが張り巡らされていたり、人間が作った人工物であるはずなのに建物自体ずっと昔からそこに生えている壮大な植物のような、まるで命がある生きているもののように見えた。
生きているようにも思えるこの建物に、畏敬の念さえをも抱いてしまった私は地面を一歩一歩踏みしめて歩いた。教会が夢から覚めてしまわないように静かに息を潜めていた。


 荒廃した教会が漂わせる独特な空気の感じを十分に味わったところでそろそろ帰ろうと教会から出ると、物売りのおばさんがバイクに乗せてくれると言ったので価格交渉を試みたもののお互い折れることがなかったので彼女とはそこでお別れをし、バイクが見つかるまで歩いて帰ることにした。

まるで映画を一本観た後のような、教会の時空が歪んだ空間に、まだ私の魂が半分そこに置いてけぼりになっているような、そんな夢心地で坂道を下る。


 しかし困ったことに一向にバイクが捕まえれない。
そもそもこんな道を歩いてる人は誰もいないのでバイクは皆プゥーンと素通りしてしまう。

これは私から大きな声で呼び止めないとまた1時間山道を歩いて帰る羽目になる。それだけは避けたい、1人乗りのバイクは通らないか、と目を凝らす。

すると白い上着を着た男の人がバイクですれ違った。その瞬間心なしか目が合った気がして私は咄嗟に呼び止める。
しかしそのバイクは止まることなく通り過ぎてしまった。

躊躇いの心など捨てて目の前に来た瞬間に呼び止めなきゃ止まってくれないかもしれないな、と次なる策略を練りながらしばらく歩いていると後ろからバイクがやってきて私の前で止まった。
さっき呼び止めようと試みた白い上着を着た男の人だった。
どうやら乗せて行ってくれるらしい。
いくらかかるか聞いたらお金はいらない、と言う。

まさかそんなはずがあるまい。
何をするにしても観光客からはお金を取るのが普通なのだからきっとおろしてもらった時にいくらか払わなければいけないだろうと思いながらもすっかりくたびれてしまっていた私は戻ってきてくれたことに感謝してとりあえず乗せてもらうことにした。


 しかし本当に無料だったら私はなんてお礼をすればいいのだろう、チップを渡せばいいのか、それともタバコをあげるか、ああ、今手ぬぐいをちょうど持っているしそれをプレゼントするか、など、どうお礼を返すかあれやこれや考えている間にあっという間に着いてしまった。


結果、彼は本当にお金を取らなかった。
私はそれが不思議で大抵はお金を取るのにどうして無料で送ってくれたのか気になったので英語が伝わらない彼に翻訳機を使って尋ねた。
翻訳機が訳すベトナム語なのできっと正しくは伝わっていないが、彼はお手伝いしますよ、とただ一言返事をくれた。

 その時、さっきまでどうして私は何かしら物やお金で対価を払おうとしていたのかわからなくなった。ただ純粋に手伝おうという気持ちだけで助けてもらったのなら、私もただありがとうの気持ちを一言ちゃんと伝えてそれで終わりでいいのではないかと思ったからだ。
決して物を渡さなくても相手に感謝の気持ちが伝わればそれ以上のものはないのではないか。

ここ数日間、外部の人間として経済的に決して豊かとは言えない国に滞在し、何をするにも彼らに見返りとしてお金を払っていた。それが当たり前になってしまっていてお礼の気持ちとやらよりもいくら払うのか、ということにばかり気持ちが向いてしまっていた。
だからこそ値切ることにばかり執着していたのかもしれない。

現地の人からすれば観光客はお金を持っていて当然なのだから彼らは生活を営んでいくために私たちからお金を稼ごうとする。
教会にいた民族衣装を着た物売りのおばさんだって、市場の食べ物屋さんだってお土産屋さんだって物乞いの小さな子供だって皆生きていくことに必死なのだ。
彼らの生活の地にお邪魔させてもらうという立場で外部の私たちができることといえばお金を落としていくことなのかもしれないが彼らと私たちとが交流し対話することを決して忘れてはいけない気がする。
貨幣経済の中で全ての事象に価値がつけられ何をするにしてもお金の存在が付きまとう。
それでも単純にお金の価値には置き換えられない、人間同士の接触によって生まれるその時の心のあり様を大切にしていきたいと思う。

そんなことをあの白い上着を着た男の人から学んだわけだが、彼自身、まさか自分がバイクの後ろにアジアの小娘を1人乗せただけでその小娘がまた一つ学べた!と思いを馳せているなんて考えもしないだろう。

 さて、無事に宿へ戻ってこれたわけだが、今夜は夜行バスに乗ってハノイへ移動するというミッションが待ち構えている。

数ある夜行バスの中から自分の乗るバスを見つけられるのか、今夜こそしっかり眠りにつくことができるのか、明け方のハノイで荷物を預かってくれる場所は見つけられるのか、いつまで経っても乗り越えなければならないミッションが次々とやってくる。


そろそろ夜ご飯の時間だ。
サパ最後の夜は何を食べようか。


この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?