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ベトナム放浪記3


さちこ

 3月15日。夜
荷物を預けたイエンヴィエン駅へ、ラオカイ行きの寝台列車に乗るため、もう一度向かう。

朝のイエンヴィエン駅周辺。
観光地から離れているからか、比較的人通りは少ないように感じた。

 今朝は、人気のないがらんとした駅の窓口に1人で座っている女の人にスーツケースを預かってもらった。

 彼女はカツラなのかと疑うほどのボリューミーな茶髪のおかっぱで、何やら乾燥させたニンニクのかけらのような物の皮を剥きながら、それをぽりぽり食べていた。
ふと彼女が使っている机に目をやれば、ニンニク以外にもお菓子の袋や果物の皮など、食べかけのものが雑破に広げられている。

よほど人が来なくて暇なのだろうか。ニンニクを食べながら大きな声でスマホの画面に向かって誰かと通話していた。
私はそんなことお構い無しに

「エクスキューズミー!」

と声をかける。
スーツケースを夜の電車の時間まで預かって欲しいと伝えたが、英語が通じなかったので翻訳機を使ってその旨を伝えた。

無愛想な彼女は、誰かと通話したまま翻訳機に向かってベトナム語で返事をくれた。通話している時は人気のない駅に響くほどの大きな声で話しているのに、何故だかスマホの翻訳機に向かって話す時は、ぼそぼそと小さな声だったのでその様子がなんだか滑稽だった。
彼女の返事は無愛想であったものの、無料で預かってくれるということだった。大抵はお金を取るはずだから、なんだか怪しいな、もしかしたら去り際に大金を要求されたり、荷物を盗まれたりするかもな、と思いつつ、もし本当に無料ならそれ以上に有難いことはない、ここは一つ賭けてみようじゃないか、と彼女に荷物を預けることにしたのである。

イエンヴィエン駅近くで出会ったおばちゃん
写真を撮ってもらおうとしたがこの時既にフィルムカメラ壊れてた、、。
早速現地のタバコを試してみようと、おばちゃんのお店で買った

 そして今、無事美味しいフォーも食べ終え、バイクを捕まえてハノイ市内から30分ほどのイエンヴィエン駅に戻ってきたわけだ。

 今朝と同じ待合室に入ると、やはりおかっぱの彼女が同じ場所に座って同じようにニンニクのかけらみたいなのを食べていた。
そして未だ誰かとビデオ通話している。そんなにも誰かと話すことがあるのだろうか。

今朝とまるで変わりない光景と、がらんとした駅の妙な雰囲気が相まって、ここだけ時が止まっているのではないか、このおかっぱの彼女は実は人間ではなくて駅に住み着く妖怪か、又は主的な者ではなかろうか、と思わずあれこれ想像してしまう。

 そんなことはさておき、肝心なのは私の荷物問題である。
お金は要求されず且つ、何も盗まれないで無事に戻ってくるのだろうか。

 寝台列車に確実に乗るため時間に余裕を持ってイエンヴィエン駅に到着したが、お土産の整理もしたかったので彼女にスーツケースを今返して欲しい、と伝えた。

やはり、私の賭けは失敗に終わった。

彼女はお決まりの無愛想な表情で、スマホに数字を写し出し、これだけ払え、と要求してきたのだ。

私はすかさず、朝、無料だって言ったじゃん!と伝える。
そこではっと思い出す。
ああそうだ、彼女は英語が伝わらないのだった。
反論したところで、はい?という顔をされてまたお金を要求されるだけである。その上1日の疲れもあって翻訳機を使いながらの交渉をする気力は正直残っていなかった。

面倒なことになったなと、半ば諦めモードでスマホに写し出された数字を確認すれば、10,000VTDだった。大抵、どこかに荷物を預ければ30,000~50,000VTDはかかるのでそれに比べれば易しい値段である。
1日荷物を預かってくれたお礼も兼ねて、ここは私が折れることにした。

どこに保管してあったのかよくわからないが、彼女は、側から見る限りは今朝と同じ状態の私のスーツケースを、待合室まで運んできてくれた。

スーツケースが運ばれてくるまでの暇つぶし

 無事スーツケースを受け取れたので次は中身の確認である。ドキドキしながら鍵を開けると中身をいじられた痕跡はなかった。
ひとまず安心すると同時に、心配していた胸のつっかえが解けて、お金を取られたことなんてすっかり忘れ、おかっぱの彼女に感謝した。

 スーツケースの安全を確認し、お土産の整理をしたが、出発までまだかなり時間がある。

 しかし本当に誰もいない。
駅の待合室は相変わらずがらんとしていてやけに広く感じる。

がらんとした待合室

 出発の20分前、未だに誰も来ない待合室で、本当に私は寝台列車に乗れるのかとどきどきしながらひとりぼっちで待っていると、小さなカバン一つだけを持ったお爺さんがガニ股でのっそのっそと待合室へ入ってきた。大きな咳払いをして、カーーッ、ぺッッ!と唾を吐いている。

どうもその様子が私の祖父(通称じーじ)と重なってしまう。
フォーのお店で出会った「よしこおばさん」だったり、今回出会った「じーじ」だったり、ハノイには私の身内が全員揃っているのか。

 そのお爺さんは私の向かいの椅子にちょこんと座って出発の時間を待っていた。

 やがて待合室のドアがおかっぱの無愛想な彼女によって開かれ、部屋を出て行くように促される。「じーじ」も一緒になって部屋から出て行く。
どうやら「じーじ」もラオカイに行くらしい。
私は、「じーじ」に

「あなたもラオカイ行くの?」

と聞くと、そうそうというような雰囲気の返事をベトナム語で無愛想に返してきた。

英語が伝わらないとわかった私は、翻訳機を使って

「ここで待ってればいいの?」

と、聞いてみるとまた同じようにそうそうと言ってそのまま無表情で何か喋り続ける。

一体全体何を言ってるのかわからない。

私がベトナム語を理解できないことも知ってるはずなのに何故そんなことお構いなしに話し続けるのか、少々疑問だが、大体そんなものだ。

ここの人はみんなお構いなしにベトナム語で話し続ける。聞き取るためにスマホの翻訳の場面を見せてマイクに向かって話すように促してみるが、お年寄りの場合、それも伝わらない。
だから結局わからないベトナム語をわからないなりになんとなく聞き流して私も伝わっているふりをする。すると案外、コミュニケーションできてしまうものだ。
体の奥にある導線みたいなものが相手の導線と繋がって、ばちばちっと火花が散る。
その瞬間に何かお互いの間に繋がりが生まれた感覚を覚える。こちらに来て初めて覚えた感覚だ。

英語の文章を頭でずるずると考えているよりも自分の言語を使ったり、相手の言語をわかったふりをして相槌を打って会話したりする方が意外にも簡単にコミュニケーションが成立してしまうのだ。

まだしばらくは電車が来ないので、駅のホームとも言えぬ真っ暗な場所に「じーじ」と私は2人きりで電車が到着するのを待つ。

やがて暗闇の奥からぼーっと白い灯りが見え、ゆっくりゆっくり、プォーンプォーンと音を立てながらこちらへ向かってくる寝台列車が見えた。
するとおかっぱの彼女がなぜか、小さなつばのついた帽子をかぶり、オレンジ色のダウンを着て例の定位置から出て来た。

帽子を被ったおかっぱの彼女、手前は「じーじ」

お、やっと今日1日の中で違う様子の彼女を見たぞ、と不覚にも少し気分が上がってしまいながら彼女を眺めていた。
どうやら見送りに来てくれたらしい。
あの帽子をかぶることが定番の見送りスタイルなのだろうか。

帽子を被ったおかっぱの彼女と「じーじ」が何やらやり取りしている。
きっと彼女は、この子ラオカイへ行くから電車の中へ連れてってやって、みたいなことを、「じーじ」に伝えてくれているのだろう。

おかっぱの彼女が私に、「じーじ」を指差して、真顔のまま、ついて行きなさい、みたいなことを言うので私は、お土産で今朝よりか少し重たくなったスーツケースを引っ張りながら、のこのこと「じーじ」の後をついていく。

 電車に近づいたところで今度は電車の職員に連れられて私は電車に乗り込む。
後ろを振り返ればおかっぱの彼女が電車の側まで見送りに来てくれていた。

私は

「カームゥン!(ベトナム語でありがとうの意味)グっナイ!」

と今日1日のお礼を込めて笑顔で伝える。
英語がちっとも伝わらなかった彼女だが最後は真顔のまま、

「グッナイ!」

と手を振ってくれた。
結局最後まで彼女の笑顔を見ることはなかったが、なんとなく彼女なりの親しみを込めた挨拶な気がして、それが嬉しく、しかしもう会えないのか、という寂しさも少しばかり感じながら私は既に出発したぐわんぐわんと揺れる電車の細い通路を、職員に案内されついて行く。

既にたくさんの人が乗っていた寝台列車

 今日のミッションは無事完了した。
あとは約7時間、電車に揺られながらラオカイへ着くのを待つだけだ。

 ラオカイからサパへのバスの移動、そしてサパでの宿探しが明日の私のミッションである。

 相変わらずミッションが尽きず、毎日を生きるのに必死である。

でも今は、そんな状況が普段は眠っている自分の中の野性を刺激してくる感じがして非常に気持ちがいい。

 時折聞こえるカンカンという踏切の音に耳を澄ませながら真っ暗になった知らない土地の中を私は明日に向かって進んでいく。


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