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時に不平等を訴える人に潜む不平等 ~学校行事のグループ決めから~


※差別を助長したり、許容したりする意図はありません


壮大なタイトルになっていますが、イメージとしては
小学校の行事等でグループなどを決める場合を
思い浮かべてください。

 
 どんな決め方をしても、多かれ少なかれ、不平不満はあるかと思います。

 

(うちはないよ!とおっしゃる同業の方もいらっしゃいますが、本当にない素晴らしい場合もあるかと思いますし、不平不満を感じ取っていない、もしくは封殺している場合もあるように思います)


 決める前に、決め方やその内容についても「後出しはナシだよ」とどれだけ確認していても、

 だいたい決まった後に、あーでもないこーでもないという声が聞かれたことは

 多くの方にあるかと思います。



 以前、自分がそんな場面(高学年だったような)に出くわしたとき、思わず次の様なことを話していました。


 平等は、みんな同じこと
 だから、すごく損することもなければ、すごく得することもないこと
 人が不平等を言うときは、ほとんどが損をしていると感じるとき
 今この場面で、誰かのことをずるいとか、
 自分のことを不平等だと思っている人は、
 自分が得をしているときに、
 誰かが損をしているかもしれないと、声を上げていますか
 それこそ、みんなを不平等に扱っていませんか

 

 もちろんこれは、先述のグループ決めのように、機会や場が一定程度平等であることが前提です。

 社会に多々見られる、そもそも権利や立場が平等ではないときには通じない理屈です。

(ただ、教室の中でも、子ども間に何かしらのパワーバランスが生じていることは承知の上ですが)
 


 世の中、平等であることの方が感覚的には少ないですし

 平等と公平を混同している方も多々見られます。


 ただ、不平不満を嘆くより、どうにかして避け難い不幸や、人の心の傷付きを減らせないかと、

 少しでも明るく前向きにできないかと、思う気持ちは持ち続ける人であってほしいと、日々願っています。


 武田信玄が言ったとされる、この言葉が浮かんできました。

一生懸命だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳が出る 

 

 …これだけ書いたなら、自分も自問自答し続け、知恵を絞らなければいけませんね^^;



最後までお読みいただきありがとうございました☆

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