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あっちけい、わが悔いなき生涯を綴る。①立志編

こんにちは!ブログアフィリエイターのatchk(あっちいけい)です。
本業は、港で輸出の貿易事務をやっています。

ブログでお世話になっている方、X(旧Twitter)でお世話になっている方。
atchk(あっちけい)?
あのマスクとか被ってる変な奴?
こいつ何なのよ?
と少しでも気になった方がいらっしゃった時のために、プロフィールを書いたら、ちょっとした自伝っぽくなってしまいました。

我ながら、波乱万丈な人生を歩んでいたんだなと。

実際のところ大した人間ではないんですが、一所懸命書いたので、お時間があれば読んでみてくださいね。
atchk(あっちけい)の事を、もう少し深く知ることができるかも。

それでは、最後までお読みいただけると嬉しいです。


若人よ大志を抱け

1. 若人は幸せな日々を過ごした。 生誕〜小学校時代


東京都武蔵野市で生まれた俺は、小さい頃からスポーツも勉強もそこそこできた。

小学6年の時なんか、バレンタインには23個もチョコをもらって、学校でもかなりモテた。はず。

少年野球ではレギュラーで5番ファーストを任されていたし、その頃は本当に楽しかった。

でも、ここが人生のピークだったら笑えないよね。

2. 若人は世の理不尽を感じる。 中学から高校時代(白)


中学に上がると、親が家を買ったので隣町に引っ越したんだけど、勉強の成績は引き続きなかなか良かった。

ピーク時は全国模試で偏差値72を叩き出す。

自慢じゃないよ?
だってなんの結果にも繋がってないし。

野球部ではレギュラーになれなくて、体力作りばかりしてた。

成長が早い方じゃなかったので、体が大きい子達にはなかなか敵わない。

悔しかったけど、納得はしてた。

中学2年になると、周囲の成長とともに徐々に俺の成績も下がり始めた。

この頃から、母親が暴力を振るうようになった。

引っ越してから、あまり家に帰らなくなった父親。
母親のストレスが俺に向かってたんだろうな。きっと。

母親曰く、「80点未満は許さない」とのこと。
79点でも引っぱたかれるんだぜ?たまんないよ。

子供ながら理不尽だと思ったけど耐えた。

親の期待も度を越すとこうなる。
みんなも気をつけてほしい。

ほら、下手に全国模試で結果を出したばかりに、こんな酷い目にあったよ。

ね?偏差値のことは自慢にならないでしょ?

成績以外の部分でも、母親の暴力は日常茶飯事になった。

勉強以外でもよく叩かれた。
母親が気に入らないことがあれば、すぐ叩かれた。

顔を腫らして学校に行ってるんだから、先生も少しは気にしろよと思ったよ。

社会を知らない俺は、それが普通なんだと我慢していたが、気力は下がるばかり。

部活や塾もサボりがちになり、何もやる気が無くなって遊びに走った。

3. 若人は世の理不尽を感じる。 中学から高校時代(黒)


ある終業式の日、
成績が下がったことで母親から裁縫用の定規で殴られた。

3教科落ちたけど2教科は上げたんだぜ??
でも母親は納得しなかった。

L字に作られた1mのプラスチック製定規」で叩かれると痛い。

マジで痛い。

赤く腫れるどころか、叩かれた場所が紫色になった

そこでついに俺の不満は爆発。

そのまま夏期講習代を持って家出した。2週間。

親が帰ってこない同級生の家で過ごし、そこで完全にグレた

今考えるとその同級生の家もネグレクトだった気がする。





中学3年から高校2年にかけては、暗黒の時代だった。
親に不満があるなら、ちゃんと向き合えばよかったのに、そうもいかなかったんだよな。

中学2年までの勉強のおかげで、まあまあの高校には受かったけど、入学初日から高校で大暴れ。アホすぎる。

親とはろくに話しをしなかった。
家では、2個下の妹と話すくらい。

あ、そうだ。
妹について話してなかった。
俺には2個下の妹がいるんだけど、新しい小学校で酷いいじめを受けていたみたい。

俺が中学2年の時に、妹がいじめられていることを知ったので、妹が中学に入学すると同時に、いじめていた奴らにお仕置きした。

妹のことは、一個下の後輩(暗黒仲間の女の子)に「面倒を見てやってほしい」とお願いした結果、いじめは完全になくなったみたい。

その後、妹は覇気を取り戻し、3年生に上がると軟式テニスでインターハイに出場し、大活躍していた。

俺とは対照的。
よかったよかった。

話を戻そう。

高校2年のある日、母親が「食事に行こう」と誘ってきた。

なんで?と思ったけど、腹が減ってたからついて行ったんだ。

そしたら、母親が対向車線に飛び込もうとしたんだよ。

車がビュンビュン走っている国道で、母親が何度か軽く急ハンドルを切った。

対向車線側に。

正直「まだ死にたくない」と思ったから「やめてくれ」と言った。

意外だけど、何故か落ち着いていたんだよね。



「そう」

そう言った母親。

やっぱり母親は死のうとしていたみたい。
俺と一緒に。

しばらくまともに見ていなかった母親の顔。
まだ若かった母親の髪は真っ白になっていた。

その後、食事をして、家に帰ったら、「学校が合わないなら辞めたらいい」と言われて、そのまま高校は中退した。

これが俺の学生生活の終わり。


あっちけい、わが悔いなき生涯を綴る。(海外旅情編)に続く

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