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あっちけい、わが悔いなき生涯を綴る。②海外旅情編

連載(第二回です)
興味があれば読んでみてください。

第一回 あっちけい、わが悔いなき生涯を綴る。


若人は改心して新たな道を模索する

1. 若人はバイクの免許をとった。16歳。


高校を辞めてからは、特にやることもなく、中学時代の同級生と遊んでいた。
暗黒時代の先輩や同級生とは、距離を置いて疎遠になった。

疎遠になった理由は、単純にうざかったから。
金、喧嘩、金、喧嘩でバカみたい。

暗黒時代の同級生や先輩とは、大人になった今でも疎遠だ。
今、何をやっているのかも知らないし、知りたいとも思わない。

この頃はバイクが趣味で、中型の免許を取ってTZR250「R」を購入した。
イトーヨーカ堂の「文房具・おもちゃ売り場」のバイトで稼ぎながら、24回のローン。

V型2気筒の新型だ。
並列2気筒の後方排気とはワケが違う。

で、50ccのレーシングチームに入って、筑波サーキット(東コース)でレースをしたり、西仙台サーキットの4時間耐久レースに遠征したり、楽しい日々を送っていた。

この頃はキラキラしていたね。
暗黒時代とお別れして本当に良かったと思う。

そんな感じでバイクで遊ぶ毎日だったけど、ある日母親から「海外に行ってみたらどうか」と言われた。

母親が勤める社会福祉法人の伝手で、交換留学対象に俺の名前が上がったらしい。

この頃になると、母親は普通の母親になっていた。

だから俺も許した。

普通に話し、普通に笑えるようになってた。

酒を飲んで帰ってこない父親は知らん。

こんな小さな島国じゃ、俺の野望は達成できないぜ!
(将来のことなんて何も考えていない)

そんなわけで、俺は2ヶ月間の海外留学を快諾した。

俺は一人ニュージーランドに旅立った。ビューン。

2. 若人は一人ニュージーランドに降り立った。16歳。


たどり着いたオークランドの地は、俺にとって何もかもが新鮮だった。

日本を夏に出たのに、こっちは冬。

見渡しても日本人は俺しかいない。

今考えると、英語も話せないのにすげえなと思うけど、そこは若さで何とかなるもんだ。

ニュージーランドは治安も良いしね。

そういえば、空港でいきなりカップラーメンを、一箱丸ごと没収されたことを思い出した。
何を言っているのか分からなかったけど、肉の持ち込みができないらしいことはわかった。残念。

ホームステイ先への移動前に、マオリ族の儀式を受けないといけなかったりで、少し面倒だったが、儀式で礼儀を欠くと、殺されても文句が言えないと言われていたので、大人しく従った。

この時からニュージーランドで何度も歌ったマオリ族の「ポカレカレ」は今でも歌える。
大人になった今聴くと涙が出る。

3. 若人はホームステイでガードナーさんにお世話になった。16歳。

ホストファミリーのガードナーさん宅。

映画みたいな、白くて大きい平屋の家で驚いた。

玄関先でおばあちゃんが「ロッキングチェア」に座ってそうな家。

日本のお土産と言って「梅干し」をあげたら、ガードナーさんが「オーマイ!!」と言っていた。
「オーマイ」は「オーマイガッ」の小さいバージョンらしい。

寝る時は、外からゾンビが来るんじゃないかと真剣に怖がった。

ガードナーさんは大丈夫と言っていたけど、笑っていたから絶対大丈夫ってわけじゃないんだろう。

映画では、安心したやつから先に死んでいく。
襲われないように気をつけなきゃ。

ガードナーさん宅は、奥さんと二人の娘さんの4人家族。
お姉ちゃんは俺の一つ上、妹は俺の一つ下。
そして二人とも金髪の超美人。

これは国際結婚への布石!?
とちょっとだけ期待したけど、日本人は幼く見えるらしく、俺なんて眼中になさそう。
姉妹からは、弟としてしか扱われなかった。

何とかコミュニケーションを取ろうと、和英辞典を片手に意思の疎通を図る。

妹のメリサが人懐っこくて、ちょっと好きになり、彼女がボーイフレンドを連れてきて嫉妬したりもした。

ニュージーランドの学校や街を楽しんだし、3日に一度はパーティーで楽しんだ。

一日の食事ルーティン。

「朝食」⇨「モーニングティー」」⇨「昼食」⇨「アフタヌーンティー」⇨「夕食」⇨「アフターディナーティー」

3食の間に大量のお菓子を食べる生活には驚いた。

そうやって生活しているうちに、だんだん意思の疎通ができるようになった。

相手の言葉を理解しようとすれば、単語や言葉の流れが頭に入ってくる。

そのうち勝手に口から英語が出てくる。すげえ。

驚いた時は「おーう!!」とか、話しの合いの手に「あーはん?」とか言っちゃう。それも自然に。

帰国後も少しの間は、英語を得意げに話していたけど、今は全部忘れた。
日本語以外話せない。なぜだ!。

たまにニュースで日本の出来事が流れたけど、遠い島国の出来事に感じた。

そんな島国の自分は、なんてちっぽけな存在なんだろうと考えた。

4. 若人はホームシックにかかった。16歳。

帰国予定近くになると、ホームシックになって、日本食が食べたい、家に帰りたいと毎日考えるようになった。

16歳だもんな仕方ない。

帰国の前日、家に電話した。

母親に「ありがとう」と一言伝えたら涙が出た。

話したいことはたくさんあったけど、泣いて会話にならなかった。

母も泣いてた。

そして、帰国したんだ。


あっちけい、わが悔いなき生涯を綴る。③和食料理人編(前編)に続く

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