バスケットボール

趣味の創作活動は「スラムダンク」的でなくてもいい

(約 2,900文字の記事です。)

あきらめたらそこで試合終了ですよ…?

漫画「スラムダンク」の安西先生の名言だ。知らない人の方が少ないはずだ。

だが、趣味の創作活動は逆だ。

諦めてそこで試合を終了させないと、次の試合にのぞめない。

諦めてそこで創作を完結させないと、次の創作に移れない。

諦めてそこでモデリングを切り上げないと、次の工程に進めない。


前に聞いたことのある皮肉で、「あきらめなくても時間が来ればそこで試合終了ですよ?」という言葉を聞いたことがある。そりゃそうだ。でもさ、そんな現実を知りたいわけじゃないんだよね。違うんだよね、言いたいこと・伝えたいことの意味が。そんなんじゃ名言になり得ないよ。

話を戻そう。井上先生の名言の意図をくんだ上で、趣味の創作活動に当てはめて言うとすれば、こうなるんだ。

諦めてそこで試合を終了させないと、次の試合にのぞめない。

*次の試合のために

そう、次の試合のために、今の試合を終わらせなければならない。悔しくても、大満足でも、今の完成型にこだわり続けてはいられない。ご満悦ならたっぷり楽しめばいい。だが残念ながら「うおぉ、どうにもならん!」って行き詰まることのほうが多い。そんな時でも、どこかで打ち切って前に進まないと、永遠にそこから抜け出せない。納期があるならまだしも、趣味なら永遠に粘り続けることができる。そこから抜け出せなくなる。楽しくなくなる。やめる。活動が停止する。終了。

別に個人の活動だから好きにすればいいけれど。

1日2時間のゲームを5日やって10時間。別にいいと思う。楽しい10時間だったならそれでいいだろう。余暇活動はそんなもんだ。それが100時間、1,000時間になっても別に構わない。けど1,001時間目には何も残らない。記憶と体験以外は、ね。あとはゲームプレイ時間の履歴が残るだけだ。別に残すことが目的じゃないならそれでいい。旅行に行って帰ってきたって土産物のアクセサリしか残らない。記憶と体験以外は、ね。

*何が残るか

趣味の創作活動も、そうだ。10時間、100時間、1,000時間後、ポートフォリオと試行錯誤した日記と、わずかなファンが残るだろう。大したモノが残るかどうかは分からない。だが確実に言えることは、これまた記憶と体験が残る。

ただ、旅行やゲームと違うのは、記憶と体験が、1,001時間目にはきちんと確実に次の創作活動に生かされる点だ。11時間目では1時間かかった作業内容が、101時間目ではホットキーを駆使して30分だったり、1,001時間目では外部ツールなんかを使ったりして5分で終わらせられるようになっていたりする。

とまぁ、「そりゃ理屈でしょ?」と人は言うかも知れない。だが私だから言えること、ちゃんと累積で1,000時間以上試行錯誤してきたからね(笑)理屈じゃなくて事実です、私にとってはね。一例として、Back To the Center(BTC)プラグインでそれを体現したし。そこで得た経験から色んな便利ツールを作って高速化が進んでいるし。Blenderを使ってZbrushだけでは不可能なことをやろうとしているし。

*続けるために

途中でも、不満でも、切り上げて次に進むことの重要性。それは、続けるためだ。いいんだよ、適当でも、不格好でも、美しくなくても、人からなんて言われようとも。趣味の創作活動なんだから、もっとワガママに楽しんでいい。

「ピカソの絵が何がどう凄いのかさっぱり分からない。あんなん俺でもかける。」とそう思うなら描いて楽しめばいいんじゃないの?何を口で批判して気分よくなってんだか(笑)描いて楽しいと感じるならただ描いて楽しめばいいじゃない?他人の作品と比べてどうするの?それ楽しいの?

上手く描かれた絵を眺めるのが目的なら「そもそも描かずに上手い作品を眺めて楽しむ」という路線変更が最も手っ取り早い。自分で描く必要ない。目的が「良い絵を眺める」ならね。

目的が「良い絵を描く」ならば、良い絵について理解して実践できるまで描くしかないんじゃない?それが目的なら、できるまで続ければ、そりゃできるでしょ?何でやめるのかが分からない。強いて言えば「本気じゃなかっただけ、遊びだったんでしょ。ゲームと一緒だ。」それはそれでいい。別に趣味なんだからコロコロ変えればいい。それは自由だ。コロコロ変えないと自分にぴったり合う趣味なんて見つけられない。そう、次の試合のため、だ。

*続けてみないとブレークスルーの瞬間がこない

話を戻す。自分が楽しいから描き続ける。続けていると作業部分の効率が(ある程度は)よくなって短時間で沢山描ける。沢山描くと経験値が(ある程度は)上がって思い通りに描ける。デジタルではツールの使い方という部分で時間数的なハードルがあるが、これも使い続けて・学び続けていかないとブレークスルーしない。思いを思い通りに表現できるまでのハードルはアナログ作画よりも高い。

(この「ある程度」を「かなり」にしたければ情報収集と自分の行動の見直しが常に必要だ。プロならばここを磨くべきだろうし、アマでいいなら楽しい時間を優先すればいい。)

*デジタルツールの勘違い

実はツールの使い方のブレークスルーは、作業の効率化にしか効かない。画力とツールの使いこなしは無関係だ。これは多くの人が勘違いしているし、私も勘違いしていた。だってそう思いたかったから。これだけ苦労してCLIP STUDIO PAINTを使いこなせるようになったのだから、上手く絵が描けるようになるはずだ、とね。

ま、地面にチョークで落書きしたときに描ける絵があなたの画力ですよ、と。解像度とか、筆の感じとかの言い訳ができない、シンプルな線による表現。

だから今度は、線を思い通りに形にする、という練習をしないと、画力のブレークスルーはこない(と思う)。ここでやめてもやっぱりそれっきりだし、いいと思う。ただ残るのはCLIP STUDIO PAINTの学習履歴時間数だけだ。ゲームプレイ時間数と対して変わらない。ここから続けることでようやく何かが蓄積され始める。だから続けてみないと分からないのだ。自分の創造したかった物がこれなのか違うのか。諦めるのはそこまで辿り着いてからかな。でも、別な物を作りたくなったら作れる力が、そこにはある。ただの時間数の数字だけではない。

*今の試合は泥試合でも負け戦でも何でもいい。次の試合を考えることだ

そう考えると、私の言いたいことはこうなる。

次の試合をあきらめたら、そこであなたのバスケットボールは終了ですよ…?

フォーカスの大きさの違い、ということになるのかな。1試合に全力投球という考え方もあるし、人生の中でバスケットボールを楽しむという考え方もある。一点集中で情熱的なのもよいが、薄く長く死ぬまで緩く、というのもよいと思う。

要するに「あぁ、作っていてつまんね」と思ったら次の工程に進んじゃえば?って話。ビデオゲームみたいにスタートとエンドが他人のプログラムに決められているわけじゃないんだから、とっとと区切って次の試合をスタートさせたらいいんじゃない?

次の試合は楽しいかもしれないよ。やってみなけりゃ分からない。
続けてみよう。


今回の創作活動は約45分(累積 約1,103時間)
(352回目のnote更新)

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