聖書

(聖) SNSでは愚痴を書かないほうがいい理由 (聖書の学び 21)

(約 5,500文字の記事です。)

*SNSの使い方はユーザーが決めるべし

最初にはっきり言っておく、SNSの使い方はユーザーが決めるべし。だから愚痴でも何でも書けばいい。だが書かないことをおすすめする。少なくとも読者の立場からすればそんな記事は読みたくない(笑)それだけ。

あれ、終了?

*本題

信仰心を持つとこんないいことがあるよ!という日記です。だって現代社会では、利害が分からないと誰も話を聞いてくれないんだもの(笑)ま、本当の信仰心による心の平和はそんなことよりもずっと遠くに大きく、でっかくど~んと構えていて下さるのですが、最初はさらっと入らないと分からないと思うので。

以下、聖書から学ぶものとしての日記です。根拠をいちいち聖書から引用しません(笑)別に法律文書でもあるまいし。

*信仰心が全て。他の儀礼はひとまず置いといて

教会に属しなければならない?

洗礼を受けなければならない?

待ってよ、そういう「どっかの人が勝手に定めた仕組みに従うこと」がクリスチャンになるための条件だなんて、聖書のどこに書いてある?と思う。「○○を××したら神を信じる者として認める」なんて、おかしいよね?

神を信じる、聖書の教えを信じてみようと思った、これだけですでにもう心に聖霊さんが宿り、神様の存在が自覚されたわけですから、そこから先は自分の判断力と聖霊さんと相談すれば自ずと次の行動が決まるでしょ?

*こまけぇこたぁいいんだよ!

聖書から学ぶ真摯な姿勢を持った時点でクリスチャンだと言っていいよ。信じる心がスタート地点にあればそのことを神様はきちんと分かって下さっているのだから、他の「人の声」はひとまず放っておいてOKだ。あとは心の声、つまり聖霊さんの声に従って信仰心を育てればいい。それだけだ。他人の声よりもまず先に、聖書の言葉、聖霊のささやき、神の意志を感じ取ることの方が先だろう。

おぉっと、ちょっと説教臭い&うさんくさい(笑)

*信仰心を持つことの効果

では効果から。他人からの悪意に極めて鈍感になれる。これにより、心が乱れなくなる。これだけでも十分な威力だと思う。ストレス社会と言われているが、ストレスは本人がストレスと感じて初めて害となり、本人が良い刺激だと感じればそれは成長のための刺激と言うことになる。なので受け取る本人次第でストレスとも善い刺激ともとれる。信仰心があれば、色んな刺激をできるだけ善い刺激として解釈できるようになる。結果、他人からの悪意に鈍感になり、そこから得られた教訓を糧にして「明日を善く生きる」ための糧に変換できる。これだけでも十分な益だと思うのです。

*主語が「世の中」でなくなる思考ができる

聖書を学べば、祈ることが増える。祈るためには「が、に対して、何を、どう」ということを明らかにする必要がある。無信仰のときだと、主語が「世の中、他人」という謎の、実体不明な者が主語になることが多かった気がする。

だが今は違う。祈るためには、言葉にしなければならない。そして、今日一日をより善く生きるための祈りの中には、決して、顔のない他人が主語になることはない。それはどうでもいいことなのだから、どうでもいい者のために考えたり悩んだりする必要はない。

*アドラー心理学は「嫌われる勇気」を読めばだいたい分かる

聖書の学びとアドラー心理学とはとても相性がいい。アドラー心理学、簡単に言うと

「わからない事は考えるな。煩わされるな。(それとは別に予測したり備えたりすることは必要だけれども、悩むこと自体は、それそのものが無駄。だって分り得ない事象について考えているんだから、それ、無駄。)」by 私

これだけ。

*あなたは他人の気持ちが100%分かりますか?

100%、分かりますか?No。無理だ。だって私はあなたじゃない。同様に、あなたも私じゃないから、私の気持ちなんて分かるはずがない。ではどうするべきか。

*言葉の重要性、祈りの重要性=言葉にして思考する点

なので、他人の気持ちなんてどうでもいい。分かるはずがない。乱暴かもしれないが、それ、あなたが勝手に相手の気持ちを「推し量っている、推測しているに過ぎず、それが正しいかどうかなんて相手に確かめる他に正しさを確定させることなんてできないでしょ?」って事なのである。
実はそこに「傲慢さ」が入り込む隙がある。

「こんなに心配して、こんなにあなたのことを思って行動したのに、なんで分かってくれないの?」まさに傲慢さ100%である。

相手:「誰もあんたに頼んでないよ。」

100%その通りである。反論できない。だが言われるとむかつくだろう。そこに傲慢さがある。この怒りはどこから来る?

勝手に心配して、勝手に推測して、勝手に感謝されることを望んでいる。だが実際には感謝されない。だから怒る。

???あなたは何をしたいの?

*ちゃんと「言葉で」相手と意思疎通したか?

確認したか?それがあったならばあなたの行動は変わったはずだ。それせずに愛情を相手に押しつけるならば、それは傲慢であり、エゴでしょ?

だから最初に言葉で相手と意思疎通を図るべきなんじゃないか?議論すべきだ。

*議論とけんかは違う。日本人は議論を勘違いしている?もっとドライに、冷静に

議論の結果、合意に至れないことが仲違いだと勘違いしている人が多すぎる気がする。議論は、両者合意か、非合意か、部分合意の三択なのだ。その度にけんか別れしていたら欧米人は友人が一人もいないことになってしまうが、そんなことになっていない。ロジカルな議論の結果、意見が分かれることと、人として尊敬できる人間関係とは、無関係なのだ。

そこをごっちゃにして事なかれ主義になった人は、議論慣れした人からすれば「気持ち悪い、訳が分からない。考えが分からない。主張もしない。何なの?」と思われてもしょうがない。日本が対外政策下手だというのと関連があるかは不明だが、ある気がする。だから積極的に議論すべきなのだ。そのためには言葉をきちんと操れる必要がある。

言葉をきちんと操るためには、勉強、学問が極めて重要だ。そのために色んなジャンルを義務教育で学んでいると言っても過言ではない。そして議論できない者は不利な生き方を強いられる。有利な生き方を選べる者は言葉を操れる者だけだからだ。それが文明社会だから。

*言葉で祈り、言葉で議論し、「今日一日を最善の一日にするために行動する」これの正しさを聖書は教えてくれた

私が聖書を学ぶようになって最も感謝していることは、上の通り、「今日一日を最善の一日にするために行動する」これの正しさを教えてくれたこと。

例えば、腹が立った、むかついた。よくあることだろう。だが、その点について、相手に対して「私はこれこれこういう理由で腹が立っている」ときちんと言葉で伝えましたか?伝えたのであれば議論になるはずで、そこから何かしらの結論が得られるでしょう。そこから次の一手を考えればいい。

言っても無駄だから言わない、というのはあなた自身の判断であり、その判断の結果についての責任はあなたのものです。

神様は何にもしてくれません(笑)

腹に罵詈雑言を蓄えて気分の悪い一日を過ごしたいのはあなたがそう望んだからです。それは自分の責任ですので、誰かのせいにしたところで、何にも変わりません。

*「あなたが不快な時間を生きることを選んだ」

そうなのだから、その通りの時間を神様がお与え下さりました。それだけのことです。誰のせい?自分のせいでしょ?自分の行動の結果なのだから。神はあなたが望んだ時間をお与え下さった。

極めて自然。

*ネガティブな言葉を誰に報告するつもり?

神様への祈り、主語は神様になります。神にネガティブな報告を祈りたいのですか?その結果、あなたはどうなりたいと神に祈るのですか?そもそも、罵詈雑言の後に自分がこうなりたい、という文章になりますか?

無理でしょ?

不平不満ってのは、自分を棚に上げて初めて垂れることができることだから。「どうなりたい?」って言われて、ようやく自分を取り戻せるでしょ?

*はっきり言うことの重要性。ただし断りを最初に入れる

突き詰めてみると、神への祈りだけではなくて、恨み節を申し上げたい相手との言葉による議論がスタートだと気づけるはずです。この主張をすることがとても重要です。聖書の中でもイエス様はしきりに「はっきり言う」と断りを入れて、ズバッと物申しています。それが正しいのです。聖書の教えを学ぶ者にとっては。

だから、断りを入れてからズバッと物申せばいいのです。そうすれば善き方向に向かいます。神がそれを望んでいらっしゃいます。

*恨み節、罵詈雑言、ヘイトスピーチ、それ、言葉にして世に発する必要があるの?SNSで発する必要があるの?

今回の結論はここに辿り着きます。

必要なら顔&立場&存在を表明して、顔の見える相手ときちんと議論でファイトすればいいだけのこと。そうすれば愚痴も恨み節も罵詈雑言もなくなる。リングに立てば全て解決。それをせずに色々言うのはおかしいな。

*聖書における「つぶやくな」の本当の意味

Twitterを使うな、という意味ではないぞ(笑)最初、私はそう思ってTwitterを使うことを迷ったくらいだが、今ならはっきり言える。その真意はもっと深いところにある。

聖書にも「つぶやくな」って書いてある。ずばり、
独り言を言うなって事だ。
一人きりで虚空に向かって言葉を発している状態は悪なのだ。

言うなら相手に言葉で問え、議論せよ、と私は解釈した。独り言は言っても何の解決にもならないし、自分自身も幸せな気分になれない。善い一日を送るためのベストな行動だとは全く思えない。だから聖書ではNG事項としてつぶやくな、と書いているのだと解釈している。これはつぶやくことに限らず、ノートに恨み節を書きまくることもそれに含まれると思う。不毛だから。

*どうでもいいことに割くエネルギーよりも、今日一日の中の小さな幸せをかみしめることにエネルギーを使いたい

ポジティブに色々考えたり祈ったりすると、自然と感謝の気持ちに溢れる。ラッキーは神の祝福、福音の具現化。だから幸運にも感謝できる。人にも物にも。そうやって生きてみると、わざわざ自分の時間とエネルギーを使ってまで、否定的なことをぐちぐち言い続ける必要はない。何か問題点に対して否定する議論は大いに必要だが、それに過激な感情論は不要なことは間違いない。

相手の言っていることが正しいことも十分あるのだから、まずは相手と議論できることに感謝する。そこから敬意が生まれる。冷静に相手の言葉に耳を傾けられる。冷静にロジカルに議論すればいい。感情的になったら過ちを認めて前言撤回し、ロジカルな議論に戻ればいい。非を認めた相手を攻撃し続けるような人とは議論する価値がないと判断し終了するのもいい。

SNSではブロックとかミュートなど色々手はある。そもそも私はサポートセンターじゃないんだから、縁を切るときにはずばっと切ることもできる。それがSNSなわけで。

そのときその判断でどうするべきかは聖霊の声に耳を傾ければ自ずと分かる。

*非を認めて謝罪することは何ら問題ない。

人には感情があるし、そのように不完全な者として神は人を作ったのだから、誰もが承知の事だ。謝罪を恥じるのは無信仰の人の謎のエゴがそうさせるからだ。だが聖書の学びによって、人は不完全であることを理解すれば、過ちも認められるし、謝罪も受け入れられる。

そもそも許さないという傲慢は神が許していない。

*時間切れも考慮する

で、ロジカルな議論は時に相容れずに終了することもある。議論の時間は限られているのだから。それでもいい。そういう結末も有りだ。

スポーツの試合が引き分けで終わることがあるように。

それはそれとして一線を引いて、明日の自分はベストを尽くして善い一日を送れるように行動すればいいだけだ。

明日の自分は昨日の自分とは違う。引きずる必要はない。

新たな一日の始まりである。昨日の重荷を今日も背負う必要などない。今日は今日の分の重荷を背負って歩めばいいだけのこと。

*せっかく情報を発信するなら自分と周りとを幸せにできるモノを発信しようぜ!

と思うのである。恨み節は、そもそも恨まないという発想になればそれを処理する手段も不要になるのだが、どうしてもなんとかしたいのであれば、個人の中で完結するようにしたら?と思う。

運動するとか、紙のノートにメモするとか、Evernoteに書き殴るとか。

一方でSNSで発信すると、少なからず常に他人を巻き込む。聞かされる方はたまらない、負のエネルギーなんて要らないから。フォローを外すとかミュート、ブロックなんて言う手段をとらざるを得ない。

結局、誰も幸せにできない情報の発信について、神は、聖霊は、そしてあなたはそれを本当に望んでいるか?と言われたらNoだろう。

だったら止めておこう。それだけだ。

迷ったら、いったん下書き保存でもして置いて、翌日、起きて冴えた頭で考えてから投稿すればいい。遅いなんてことはない。


*おわりに

久々に日記。あまり聖書とは関係ないかも知れないが、信仰心から導かれ、「ネガティブ思考をしない方がいい理由」がわかり、ネガティブ情報のSNS発信の無意味さが分かるようになった。なので、もし無信仰の人がいたら、気まぐれに聖書でも読んで心の糧にしてみてはいかが?

という超長文日記(笑)

今回の創作活動は約45分(累積 約900時間)
(319回目のnote更新)

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