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すぎてゆく時間、きえていく時間

年末年始、父が家に帰ってくる。

母からLINEを介してそう伝わってきた。父の入院先から2泊3日という形で一時的に戻れる許可が降りたそうだ。

病院から家までの道中、母は父と一緒に介護タクシーに乗って帰ることになっている。そこから大晦日と元旦の間を家で過ごし、2日には再び病院に戻る予定とのことだ。

だが実家から病院までの距離はだいぶ離れている。父がそこに入院する以前にもそこへ訪れる機会が何度かあり、おおよそどれくらいかかるかということについて大体は把握していた。

ただ、普段からバスや電車などの公共機関に乗り慣れていない母が、車以外の交通手段を使って目的地に向かうのは、自身にとってかなり負担のかかることでもあった。

それも一理あるが、どうしても年末年始…その期間は一緒にいてほしいという、母からその旨のお願いが文面に含まれていた。

 

やがて父が、脳腫瘍の進行を抑えるために受けている放射線の治療が終われば、そこから退院する形となる。

母は年内を持って仕事を休むことを決めていた。その後は在宅支援を利用しつつヘルパーを交えながら、父の介護に専念すると言っていた。

父はもう、自力で体を動かすことはできない。

歩くことや食事することも、他者の介護や補助がなければ困難な状況だということも聞かされていた。かつ人と会話することさえ、ままならない様子があると見受けられていたらしい。

もしかしたら、私はこのまま父と会話することはもう叶わないのかもしれない。

だとしても、私は…父の元に向かわなければならない。わずかな間でも、父のそばにいてあげなければいけない。

窮地に立たされている中、それでも父の症状が良くなると信じ、懸命に共に過ごすと決めた母。

そんな母を、本来なら支えるべきだった私の代わりにサポートし続けてくれている弟。

一刻も猶予が残されていないのは、家族誰も同じである。

ここまで立ち止まっていても、時間が消えていくだけだ。

世間体や一情勢に振り回され続けている場合ではない。

時の残酷さに苛立ちや憎しみを込めてもどうにもならない。

ひとり悲しみに打ちひしがれても何一つ変わらない。

これがもし最後の親孝行になるとするならば、

こんなところで迷いに迷っている場合ではない。

私も私で…静かに決意を固めなくてはいけない。

母のせつなるお願いに「わかった」と返信し、仕事納めの夜に実家へと向かうための旅支度を始めた。

 

世間よ。

これから行おうとしている行為が、この先もっとも愚かだと罵ることになろうとも、今だけはゆるせ。

私は私にとって大事な人の身を案じるため、新しい年を迎える前にこの地を離れる。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!