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延命措置はしなくていいと

2022年の正月明け、父は急遽手術をすることになった。

年が明ける二ヶ月前におこなっていた脳の腫瘍を摘出する手術の際、父は同時期に水頭症を患っていた。

それがこのタイミングになって再発したことがわかり、再び頭に溜まった水を取り除かなければならなくなってしまったのである。

そして今回の手術ではただ水を抜くだけのとは異なり、頭部を切開してそこからチューブを中に埋め込み、頭に溜まった水を身体に流すというものであった。

二時間にわたって無事に終え、それまで並行して行っていた放射線治療も無事に終了し、間一髪のところで危機は免れたのだった。

だがその安心も束の間、一ヶ月後には再び体調が悪化してしまい、熱が上がったり下がったりの状態を繰り返していた。

加えて、父の腕や手足に重度の湿疹が広がっていることが判明し、CTスキャンで検査をおこなった。

結果、身体に流れる血液の中には、その引き金となるブドウ球菌が発見されたそうだ。

後になって判明したのだが、二回目の水頭症の手術を受けた際に体に埋め込まれたチューブが原因だったらしい。

そのチューブ自体には前述の菌のみならず、膿も一緒に付着していたとのことで、今度はそれを取り除かなくてはならない運びとなってしまう。

予定では二月の上旬ごろから、二度目の抗がん剤治療を再開するはずであった。
しかし父自身の免疫力が下がってきている以上、もはや中止せざるを得ない状況に陥っていた。


そうした内容を、私は母から逐一で電話やLINEなどを通じてやりとりしていた。
これまで何度か集中治療室ICUに運ばれたことや、病院で先生から父の様子について話をしたとの報告も受けている。

日が進むとともに、父の体調は良くなるどころか、徐々に悪化していく一方であった。

食事はおろか会話もままならず、抗生剤による点滴を受け続けるのが精一杯な父は、抗がん剤をはじめとする積極的な治療を受けるのが難しいと話す。

やがて二月の下旬ごろには母の意向で、緩和病棟に移ることが決まった。

父の病気が見つかった際に「絶対に良くなると信じている!」と前向きに意気込んでいた時と比べ、次第に「夢であってほしい」と天を仰ぐような言葉を呟くようになっていた。

受話口越しに聞こえてくる母の声色は、だんだん弱々しくなっているのを感じていた。それよりも、まだ父が自身に異変を感じることなく元気でいた頃には、母にこう伝えていたらしい。


父は…万が一自分自身に何があっても、延命措置はしなくていいと告げていたと。


突然、日常会話が成り立たなくなった時や、仕事中にミスを乱発するようになってしまった時から、身体の不調に気づいて自らの足で病院に向かった父は、自分の最期がもうすぐ訪れることを悟っていたのかもしれない。

このことについて母は、弟に先に話をしていたそうだが、母は勿論のこと弟自身もそう話を聞いて頷きながらも泣いていたそうだ。

無理もない。突然そう切り出されたところで、心の準備どころか整理すら何もかもできていないのだから。


それは私も同じ思いだった。けれど私は私で、父と同じように覚悟していたのかもしれない。

背が伸びるにつれて曽祖母をはじめ、親戚や友人など、さまざまな人たちが天国に旅立たれていくのをこの目でしかと見送るようになっていく中、いつか必ず看取らなければならない日が訪れるのだと。

だからこそ、父が自ら選んだ意思がどんなに残酷なものであったとしても、私たち家族は受け入れなければならない。

もしかしたら、周りからは不謹慎だと思われることだろう。それでも私だけはこの先に待ち受ける、決して避けられない未来に悲観してはならないと、心に決めていた。


私は、偉大なる父のー

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!