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あなたの瞳に映っていた世界は

2021年12月31日、そして2022年1月1日に、父親は一時的に家に戻ってきた。

母と一緒に介護タクシーから降りてきた父は、昔からよく見ていた寝間着姿に腫瘍を摘出した時の跡が見えないようニット帽を被っており、自力で歩くことが困難であることを証明するかのように車椅子に乗せられている。 

病気の進行、それにおよそ一ヶ月ほど受け続けてきた放射線治療の影響も少なからずあるだろう、一年前に見た時と比べ身体はかなり痩せ細ってしまっていた。

表情は…云うまでもなく、元気があるだとかないとかをその場で判別できるものではない。

以前母から電話で聞かされた通りの光景に、私は無意識に唇を噛んでいた。これが今の私の瞳に映し出されている父親の姿なのだと。


その年の仕事納めの夜に実家に戻った時、リビングにはいつも家族の憩いとして囲っていたテーブルやソファなどが別室に退かされていた。その代わりに父を寝かせるための介護ベッドが、レンタルという形で設置されている。

いずれ病院での放射線治療を終えて退院したら、父は当面の間をこの場所で生活することとなる…はずであった。だがこの二日間を経て、母も私も、父を家に居させるにはとても厳しいと判断したのである。

寝たきりのまま食事をさせようにも、食べ物や飲み物などを飲み込む力もほとんどない。病院から受け渡された指定のゼリー飲料を口に運び込もうとするも、途中でむせ返ってしまい栄養はおろか水分ですら補給させることも難しい状態だ。

夜もなかなか寝付けることができず、痰が絡まってしまったせいか今まで聞いたことのない咳に駆けつけるも、その場をどうにか凌ぐことで精一杯だった。

およそ一ヶ月かけ、手術や放射線治療を経て一時的にようやく家に戻ることができたというのに。いざ蓋を開けてみれば、私たちだけでは如何にもこうにもならないという有り様だ。

そして極め付けにはー


「お父さん、家に戻ってきたこと…まったくわからなかったみたい」


年末年始での外泊を終え、父と再び介護タクシーに乗って病院に戻っていった母を車で迎えに行った後、母はそう口にしていた。

その後の話で父は病室に戻ると直ちに点滴を受け始め、この二日間で危うくなってしまうところであった脱水症状や栄養失調を免れることができた。

ただ、大晦日の日に家に着いた時から元旦明けに病院へと戻る日までの間、父は家にいることをほとんど自覚していなかったらしい。

もしここが本来戻るべき家ではないとしたら、別の病室に移されたと勘違いしていたのか、あるいは此処じゃない何処か…。

それはともかく、あの時の父の視界にはいったい何が映っていたのだろうか。そこに母だけでなく、私の姿はちゃんと映し出されていただろうか。


最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!