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ヨーキなノリノリファーザーに影響されて

父はとにかく超多忙の人間であった。

仕事柄、寝静まった頃の深夜あたりに仕事に出かけ、皆それぞれ学校や会社に通う時間帯になって帰ってくるのが日課だ。
忙しい時は、一旦家に戻ってから1〜2時間程度の仮眠をとり、昼頃からまた仕事に出掛けては夕方の時間帯に差し掛かる前に帰宅する。

そして一支度整えて就寝に入り、夜ごろに起床しては食事を摂って再び仕事に出かける。という私たちから見て若干不規則な生活を、父はそれが当たり前のように日々を送り続けていた。

休みの日も普通の社会人と比較して、そんなに多くは取れていなかった。週休2日制というものはなく、夏場のお盆休みや冬場の年末年始などの長期休暇は、長くても5日ほどしか休めない。

それでも私が学生の頃は、夏休みあたりに家族旅行に行くことはあったものの、毎年ではなく1年に一回あるか否かぐらいの頻度であった。

常に多忙を極めつつあった父だが、人前ではあまり弱音を吐いたり後ろ向きな姿勢をするタイプの人ではなかった。
それも家族の前ではなおさら、目の前で「忙しいから」「静かにしろ」などの、ネガティブに捉えられるような発言をしていた記憶がほとんどない。

それどころか、父は常に陽気であった。

「あさだ、あ~さ~だ~。あさだ、あ〜さ〜だぞ〜♪」

という具合で父が朝方に帰って早々、軽はずみで適当な歌を口ずさんでいる。それを聞いて、今日は土曜日だと改めて認識するのだった。

私は体を起こしてリビングに移動すると、その奥の部屋で就寝中の母に何か呟いている父の姿があるではないか。

案の定、母は迷惑そうに「うるさい!うるさい!」と寝返りを打ちながら父の声を遮ろうとしている。
名誉のために言っておくと、父はこの時点でシラフの状態だ。

父はそれでこそ上述の通り休みは少なかったものの、土曜日だけほぼ休みを取ることができていた。そしてその前の日の金曜日は、昼前に仕事を終えてくることが多い。

いったいどこに出掛けていたのかというと、仕事ではなく、ドライブである。

愛車である日産の「ノートNISMO」に乗り込み、地元の隣の県である山梨県の河口湖を目指して走ることがほとんどだった。

そこで何をしていたかを別段聞いていないが、その帰り掛けに「山岡家」というラーメン屋さんに寄っては「朝ラーメン」を食べて帰ってくるというのは、本人の口からよく話を聞いていた。

それが、父にとって土曜限定のモーニングルーティンであった。

日々の多忙な仕事で疲労が溜まっているであろうにも関わらず、そんな素振りをほとんど見せない。
それどころか、常に陽気で家族や皆に接しながら、ドライブにとことん出掛けるのが大好きだったその人は、私の唯一尊敬してやまないたった一人の父親だ。

やがて私も成人して車を持つようになり、父と同じように陽気に振る舞うようになっていく。けれど、広大に広がっている「父親の背中」とやらはまだまだ越えられなさそうだ。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!