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雪解けを待つ。

4月の初旬ごろ、幹部から当初の約束とは異なる伝令を受けた時、私はすぐに転職するという選択をしなかった。いや、その時点で既にできなかったのだ。
地元にいて働きながら合間を縫って東京で就職活動するのは、今の自分を取り巻く環境を分析したとき、現実的にリスクが高いものだと確信していたからだ。

仮に今このタイミングで会社を退職したとして、次の転職先がすぐ決まるとは思っていない。その間に残された端金程度の貯金や、あまり期待の持てない失業手当で食い繋いでいくしかないのも重々承知している。

だが万が一そのまま決まらず、貯金も手当も底をついてしまったとき、やっとの思いでたどり着いた念願の居場所を、苦渋の決断で手放すことになってしまうと思うと、ここまで積み重ねてきた苦労が水の泡となり、とてもやり切れなくなる。

転職活動で「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というぐらいに、仮に転職が決まったとして、今よりも長く継続して勤務し続けられる自信は持ち合わせていない。
相性の悪い先輩や上司を相手に、再び地獄のような思いをしながら仕事をしなくてはならないのは、正直に言って勘弁願いたいものである。

それよりも、上の立場の人間の「顔を立てる」ために役立てるような仕事をしたいとは微塵にも思っていない。目の前にある仕事をより広く見渡せるように、やがて後先つけて社会に貢献を齎していきたいと考えている。

しかしこれまでを振り返ってみて、会社の一方的な都合に散々と振り回され、自分が本当に描きたいと思っていた人生設計は、中途半端なものとなってしまっている。
もはや、地獄絵図に等しいものと化していた。誰かのせいにしたくなるが、自分のせいじゃないとも言い切れない。

今の私は30代。とにかく年齢や実務経験に加え即戦力を重視している大半の会社にとっては、上述の通りアンマッチの部類と捉えられ、いくら上り詰めたとしても結局は門前払いにされるのが目に見えていた。

独立するという手も考えていたが、やはり何かしら経験したものではなけば、それを生かすどころか誰にも見向きすらされない。
それゆえ、「自分を前面に出す」ということを何よりも烏滸がましいと捉えてしまい、人と比べて「アピールする」力を持っていない。

行き場所を閉ざされた私は、残された場所で余生を過ごすことになるのか。それともまた新しい場所を求めて、培ったもの全てを捨てて目指すのか。
いずれにしても自分だけにしか解らない、いや、自分でも解らない苦悩は、日に日に増すばかりだ。

それで忘れたい思い出が染み付いた場所に本当に戻らされることになってしまったら、この先まともに生きていけるのかそれさえも危うい。

今も絶望的な状態であることに変わりはないが、それでもまだ希望を諦めていない。
自ら選んだ場所で己を生き抜くために。たとえこの先、理不尽な事に抗うことになろうとも。

だが今はその時ではない。私は根無草と化してしまった場所で途方に暮れながらも、雪解けを待っている。


最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!