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心とお金の価値観と狭間で

現代社会に生きていると、お金という価値観が大きく顔を出す。
そのエネルギーの大きさに、人生の最優先順位が「お金」になっている人も珍しくない。

現在の世界における金融の仕組みは、
「ユダヤ金融資本」というピラミッド型のものであるが、
この仕組みは、人間をあまり幸せにしないのではないかと思う。

元来、お金というものは、交換のための道具に過ぎず、それ以上以下でもなかったはずで、現に江戸時代における年貢は、「お米」であり、長期保存すると腐敗するために、独占して誰かが大量に保有することが難しかった。

だから、自身の得意な事、好きな事、もしくは決められた仕事をして、その対価として「お米」を頂いたり、他のことをしている人とモノ、コトを交換する。

本当はきっとそれだけで良くて、それ以上の価値をお金に持たせてしまったことは、一部の人間にとって、生きにくさを生んでいると思う。

少なくとも自分自身はそう感じていて、「現代のお金の仕組み」に則った社会生活は苦しみが多い。

その理由として、
「生きるため(お金を稼ぐため)に何かをしなければならない」
という発想が出てくる点だ。

そのお金を得るための「何か」をすることと、自分の心とが大きく乖離してしまうと、苦しむ人が増える。
(病院に行くと精神疾患などと病人にさせられるが、きっと病気などではなく「拒絶」という心の防衛反応なんだろう。)

もちろん我慢してやり続けることの出来る人はいるけれど、本位でないことをやり続けることには相当の体力、気力が必要である。

そんなことを言うと、
「生きていくためには働かないといけない」
「お金を稼ぐためには働かないといけない」
という常套句が聞こえてきそうだが、

順番を逆にして、

「心をベースに生きて、巡り巡って、結果としてお金も巡る。」

という発想の転換は理想であるなぁとそんなことを思う。

本音はこの金融の仕組みの外で生きていたいんだけどな(笑)

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