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政治講座ⅴ294「朝鮮民族を救った李完用と一進会の功績を称えるべき。そして欧米列強の植民地支配を解放のために日本人と共に戦った韓国軍人に敬意を表すべき」

現在のロシアのウクライナの侵攻の悲惨な現状を見てから朝鮮半島の120年前の歴史を考察すると歴史の評価は変わる。今回はその視点で朝鮮半島の歴史を再検証する。

           皇紀2682年7月26日
           さいたま市桜区
           政治研究者 田村 司 

はじめに

 1900年代に、まさに、朝鮮半島へのロシアの侵略が迫っていた時期である。今のロシアのウクライナ侵攻と同じような事が、朝鮮半島に迫っていたのである。迎恩門の前で「三跪九叩頭の礼」という侮辱的挨拶で清の使者を迎えていた。その朝鮮人を清の属国から解放して、新しい大韓帝国を建国させたのは日本である。
清の属国から解き放たれた大韓帝国はその当時ロシアの脅威がまた迫っており、ロシアに従属するか、日本の協力を得るかの切羽詰まった時期にあった。
ウクライナがいとも簡単にロシアの侵攻を受けた姿を見たら、論より証拠、このような事が120年前に朝鮮半島の運命は風前の灯状態であり、それは、露西亜の侵略と言う形で脅威が目の前迫っていたのである。この様な世界情勢に当時の大韓帝国の韓国人は危機感を持って日本と共にロシアに対抗としようとした。紆余曲折あるが、大韓帝国の国力を考えた時に、ロシアには到底かなわないために暫く日本の庇護を受けその後独立すべきと考えた勢力(一進会)がいた。

「一進会」は韓日合邦(日韓併合とは異なる概念)を目標とした。

 1904年から1910年まで大韓帝国で活動した政治結社で、分かり易く言うと、今の自民党や公明党、共産党のような集団である。
 1904年に李容九、宋秉畯らの開化派によって創設された。日清戦争、日露戦争の勝利により世界的に影響力を強めつつあった大日本帝国(日本)に注目・接近し、日本政府・日本軍の特別の庇護を受けた。日本と大韓帝国の対等な連邦である「韓日合邦(日韓併合とは異なる概念)」実現のために活動した。当時、大韓帝国では最大の政治結社であり、会員数は公称80万人から100万人。一説には実数は4,000人未満にすぎなかったとの見解もあるが、日露戦争をロシア帝国(ロシア)に代表される西欧侵略勢力との決戦とみなし、日韓軍事同盟でロシアの侵略を阻止しようと考えた李容九は、日本に協力し、日本が武器弾薬を北方へ輸送するために鉄道(後の京義線)を建設した際、その工事に無償で参加した一進会員は全部で15万人であったとされ、また北鮮から満州国(満州)へ軍需品を運搬する業務に動員された会員は11万5000人で、あわせて約27万人が日露戦争時一進会として活動したという話も残っている。一進会では、独立協会に見られる民主主義、独立国家主義の思想を継承し、「政治改革と民主の自由」を掲げた。また、日露戦争時に設立され、日韓軍事同盟においてロシアの侵攻を阻止することが、大韓帝国に対するロシアの影響力を弱め、さらには欧米列強のアジア進出を防ぎ朝鮮の復興になるとも考えていた。
 一進会に対する評価はその活動の解釈や政治的立場によって大きく異る。以下には日韓において出版されている一般書籍での評価について概述する(順不同)。

  • 平凡社の『朝鮮を知る事典』では、一進会を「親日御用団体」と呼び、表立った運動以外にスパイ活動などにも協力したとしている。また、親日団体としての働きについてはプラスの効果よりも民衆の反発を招いたマイナスの結果の部分が大きかったとしている。また、一進会の実態が「李容九や宋秉畯などの利権集団」であったとも記述している。

  • 鹿鳴海馬の『伊藤博文はなぜ殺されたか』(1995)では一進会は日本が日本軍の通訳をしていた宋秉畯に作らせた親日派の政治団体であるとしている。「一進会は日本の国粋団体・黒龍会の内田良平といった有力者を顧問に、日本の保護を受け朝鮮国内の反日分子や反日運動のスパイ活動を行い、大衆の反感を買った特に日露戦争後一進会が日本の指導保護を要請する宣言を発表したので猛烈な反発を受けた。中でも「共進会」や「大韓自強会」といった民族派の団体から一斉に売国奴として非難された。」と記述されている。

  • 三省堂の『朝鮮の歴史 新版』では、一進会が1909年(明治42年)に出した声明について、民衆の声を代表しておらず、かつ「会員100万人」も実体のない数字だったとしている。

  • 金完燮の『親日派のための弁明』(2002)では、一進会の運動を、李氏朝鮮政府の圧政をはねのけようとする農民階級(東学党→進歩会)と、支配階級出身で朝鮮の近代化をめざす改革派知識人グループ(維新会)、そして朝鮮近代化を支援することで「攻撃的な防御」を確保しようとする日本、の3つの改革勢力が結集されたものとして高く評価している。また、大韓民国政府が一進会を「親日御用エセ団体」と歪曲して韓国民に教えていると批判している。

  • 呉善花は、著書『韓国併合への道』で「少なくとも民族の尊厳の確保に賭けて大アジア主義を掲げ、国内で最大限の努力を傾けた李容九ら売国奴と決めつけ、国内で表立った活動をすることもなく外国で抗日活動を展開した安昌浩や李承晩らを愛国者・抗日の闘士と高く評価するバランス・シートは、私にはまったく不当なものである」と評価している。

  • 山田朗は、当時の大韓帝国は政党政治ではなく一進会が韓日合邦を望んでいたとしても、それは韓国人の民意を示したものではなく一進会は韓国民衆から強い批判を受けていたと主張している。

  • 木村幹は、韓国併合直前期に日本に協力的だった韓国の政治勢力(すなわち親日派)には李完用を中心とする韓国の官僚達と、一進会のような民間の団体の二つの派閥があり、初代統監の伊藤李完用を韓国側の協力者として選び、伊藤の支持を背景に李完用らは影響力を拡大する一方、一進会は日本側の、同じく民間の団体(黒龍会など)と提携し、伊藤・李完用らとは対立関係にあったとする李完用らは日本に協力することで日本側に介入の口実を与えないようにし、大韓帝国の保持を図ったのに対し、一進会はそのような王朝国家の枠組みそのものを否定し、韓日両国民が日本の天皇の下で、対等な国民(一等国民)となることを考えた点に両者の対立の根本的な原因があったとする一進会はそのような立場からより併合(合邦)に対し前向きな動きを見せたが、(韓国併合の成立とともにその役割は終了し、切り捨てられてしまうのに対し、李完用らは日本を取引をするという強かな姿勢で臨み、併合後においても朝鮮貴族の地位の獲得に成功した日韓の国力差の前ではそうした強かさすら大きな意味を持ち得ず、朝鮮貴族の地位も名誉的なものにすぎなかった。

李完用の名誉を回復すべき

 彼は日韓併合反対派からは併合の元凶と看做され非難されたが、同時に彼への同情や、共感も存在していた。それを表すエピソードとして、その葬儀は国葬でもないにも関わらず、葬列が数キロに達したという。李恒九によると父李完用は気前が良く、いろいろな縁故を頼って訪ねてきたものを手ぶらで帰したことがなかったという。独立後は韓国植民地化の元凶の一人としての評価が強まり、憎悪を一身に受けた。そのため現在でも韓国・北朝鮮において李完用の名は親日派売国奴の代名詞とさえなっている。李完用は、乙巳五賊丁未七賊庚戌国賊の全てに入っている唯一の人物である。
韓国政府によって公式にも親日反民族行為者に認定されている。韓国の政治家が日本側と何らかの妥協を模索する際にも、「李完用と言われても構わない」といった発言が行われる等、引き合いに出されることがある。2005年に韓国において親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法が公布された際にも、親日反民族行為者財産調査委員会は、李完用を含む親日派9人の子孫から土地を没収し、韓国政府に帰属させる旨の決定を下された。
李完用は韓国の将来を考え、自主独立への道を模索していたといわれる。
独立協会の創設者の一人となっているが、日本に近づくも日本語を決して学び、話すことはなかった(日本人との会話では英語を使用した)。独立新聞の記事にも、李完用を批判する記事は一つも載っていない


朝鮮民族を滅亡から救った李完用

2020-06-24 16:34:34 | 韓国

 韓国には立派な韓国人がいた。韓国ではどのように人物として教えられているのでしょうか?朝鮮民族を滅亡から救った人物。公の場で日本語を話さなかったなんで朝鮮を誇りに思っていたからなのか、、反日を教育する朝鮮人、彼が生きていたらどう思うのだろうか?
 韓国、李朝の末期、国家財政は完全に破産し、国土は荒れ、政治と行政は腐敗しきっており、列強からの借金は莫大な額になり返済のあてはまったくなく、自力で国家を再建するのは無理な状態でした
韓国民衆のエネルギーを結集した政治団体一進会は日韓合邦を望みました。大韓帝国の内閣総理大臣・李完用は日韓保護条約を経て、1910年「日韓国併合ニ関スル条約」に調印します。
 李完用は政治家人生の中で何度も暴漢に襲われています。1909年12月22日に明洞聖堂前で、合邦反対勢力が送り込んだ刺客の李在明に襲われ、全身をメッタ刺しにされ重傷を負いましたが、一命をとりとめました。彼は命がけで政治使命を果たしました。
 現在、李完用は韓国では親日派(チンイルパ=売国奴)とされています。韓国政府によって公式にも親日反民族行為者に認定され2005年に韓国において親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法が公布された際にも、親日反民族行為者財産調査委員会は、李完用を含む親日派9人の子孫から土地を没収し、韓国政府に帰属させる旨の決定を行っています。韓国では彼の業績を一部でも評価しようとすれば、その人間はたちまち激しい糾弾を浴びて、社会的に抹殺されてしまいかねない状況だといいます
 合邦までの時代背景を見ると韓国の宗主国であった清は改革に失敗し、ロシアが南下してきて朝鮮半島を脅かした。朝鮮半島はロシア支配下になるのは目に見えていました。亡国の危機に韓国人はなぜこのときロシアと戦わなかったのか李完用を売国奴と批判する者はこのことに言及すべきです
 李完用は苦悩の末、日韓合邦を選びました。単独で国家を保とうとすると民族は滅亡します日韓合邦という合邦国家方式による民族の保存を行ったわけです。李完用は1896年に独立協会を結成し、1898年、独立協会会長として、万民共同会を開催しました。京城(ソウル)都心部で独立鼓吹(こすい)の街頭講演会を多数開催しています。彼は愛国者です。その李完用が日韓合邦に踏み切らなければならないほど朝鮮社会は停滞していたということです。それを示すよい例があります。京城に電車が開通したとき、クーリー(労働者)がレールを枕にして寝るので、車掌たちはそういうものを路線から追い出す仕事をしなければなりませんでした。ところが、数人の高官は「人間にとって本然的なものである睡眠を妨害することは不法行為であり、電車は軌道上に寝ている人が目覚めるまで待つべきである」という勅令を発布するように国王に嘆願書を出したのです。またあるとき軌道上で寝ていたものが轢かれてしまう事件がおこりました。すると暴動が発生し、電車が破壊され、運転手がリンチを受けました。逮捕された暴動の指導者たちは次のように弁明しました。
市の門外で眠っている石の亀(古代の記念物)を決して邪魔をしてはいかん - もしあの石亀が目覚めるようなことになれば国中に一大事が起こるだろう。あの電車めの物音は石亀をおこすことになりかねない
救いがたい前近代性です。このような状態では国家破綻している大韓帝国ではどうしようもなく、日韓合邦がなければ、民族の滅亡を待つばかりだったでしょう。李完用は朝鮮民族を滅亡から救った朝鮮人にとっての恩人であると言えます。
 李は大日本帝国の下で大正9年(1920年)には侯爵となりました。大正15年(1926年)には大勲位菊花大綬章を授与されています。大正15年(1926年)、肺炎により死去。その葬儀は国葬でも無いにも関わらず、葬列が4キロに達したといいます。売国奴ならこのようなことは起こり得ません。
 斎藤実総督(当時)の弔辞
李完用侯爵は東洋一流の政治家であり・・・彼の人格はあらゆる人たちの欽慕(きんぼ)の的であり、彼の死は国家の一大損失である・・・」
 李完用は日本語は堪能でしたが、大韓帝国時代から日韓合邦時代に至るまで、公式の場において日本語を話すことはありませんでした。朝鮮民族としての誇りを持ち、それを一般朝鮮人たちに示していたということでしょう。

My  Opinion.

ロシアの侵略をウクライナ侵攻として、大韓帝国に置き換えてみると、120年の時代を遡るとその当時に朝鮮民族を救った人物政治結社は誰であったかが良く分かる。歴史を振り返り冷静に過去を分析する必要があるとロシアのウクライナ侵攻から教えられる。朝鮮民族に貢献した人物を粛清し、捏造歴史教育で間違えた方向に誘導する韓国左派勢力こそ粛清されるべきであろう。この間違えた方向性に誘導した李承晩こそ断罪されるべき人物であろう。以前のブログでも韓国人日本兵として、亜細亜を欧米列強の植民地を解放するために戦ったのである。これから分かることは韓国は日本の植民地ではなかったことである。李承晩政権以降の捏造歴史教育により被害者意識を植え付けてたのが真実である。植民地支配をしていたのは当時欧米列強であり、韓国と日本はその植民地解放のために戦ったのが大東亜戦争の目的であった。そのような功労者を反民族行為者として処罰したのが韓国である。
もう一言付け加えるならば、日本に対する恩を仇で返しているのが今の韓国であろう。いみじくも、韓国人の朴鉄柱氏は朝鮮半島から日本を見ると「心」の文字に見える。北海道・本州・四国・九州が「心」の文字になっている。日本から心のこもった沢山(経済・技術・教育)の支援を受けた。と言っていた。彼は反民族行為者として韓国で処罰・粛清された。この様に優秀な人材をことごとく粛清したのである。今も親日罪で粛清している。
今こそ反民族行為者の名誉回復しなければ、韓国の現代史の汚点として歴史に残ることであろう。       どんとはらい!


参考文献・参考資料

一進会 - Wikipedia

断髪令 (朝鮮) - Wikipedia

李完用 - Search (bing.com)

朝鮮人だけでなく、日本人自身が認めようとはしない歴史 - 浮世風呂 (goo.ne.jp)

李完用は偉大である!李完用は朝鮮の将来を考え自主独立への道を準備した!当時の朝鮮人は感謝した! | イエスと釈尊と道元和尚を考え続ける。日本人と日本歴史と日本語とを学ぶ。 (ameblo.jp)

朝鮮民族を滅亡から救った李完用(イ・ワニョン) - ガンバレ、ニッポン (goo.ne.jp)

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