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政治講座ⅴ627「マケイ外相の急死はロシアの刺客か、最後の訴えは地球規模の戦争を阻止せよだった」

惜しい人物を失った。悲しいかな、これで、世界戦争の歯止めが効かなくなるのか。今回は報道記事から掲載する。

         皇紀2682年11月28日
         さいたま市桜区
         政治研究者 田村 司


ベラルーシのマケイ外相が急死、死因不明…「ロシアの影響下にない数少ない人物」

読売新聞 - 18 時間前

 ベラルーシ外務省は26日、SNSを通じ、ウラジーミル・マケイ外相が死去したと発表した。64歳だった。死因など詳細は明らかにしていない。ベラルーシ外務省は、マケイ氏が25日、国内の聖職者と会談したと発表しており、急死とみられる。

マケイ外相(AP)=今年2月撮影© 読売新聞


 マケイ氏は大統領補佐官や大統領府長官を歴任し、2012年に外相に就任した。1994年から強権統治でベラルーシの政治実権を握り、「欧州最後の独裁者」の異名を持つアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は頻繁に閣僚を交代させてきたが、マケイ氏は約10年間、外相を務めてきた。
 大統領府は、ルカシェンコ氏が26日、マケイ氏の遺族や友人に弔意を表明したと発表した。ベラルーシと隣国でルカシェンコ政権と結びつきが深いロシアの外務省報道官は26日、SNSに「我々は衝撃を受けている」と投稿した。
 ベラルーシはウクライナ侵略を続けるロシアに軍事拠点を提供している。ウクライナの内務相顧問は26日、SNSでマケイ氏について「ロシアの影響下にない数少ない人物だった」と指摘し、死因に強い関心を示した。

ベラルーシのマケイ外相急死、死因不明 ロ外相との会談控え

Reuters - 4 時間前

[26日 ロイター] - ベラルーシのウラジーミル・マケイ外相(64)が急死したと、国営通信社ベルタが26日に報じた。死因など詳細は伝えていない。同氏は2012年以来、外相を務めていた。

ベラルーシのマケイ外相急死、死因不明 ロ外相との会談控え© Thomson Reuters


マケイ氏は週初にアルメニアの首都エレバンで開かれたロシア主導の軍事同盟「集団安全保障条約機構(CSTO)」の会議に出席し、28日にはロシアのラブロフ外相と会談する予定だった。

マケイ氏はかつて西側との関係改善に取り組み、ロシアを批判する立場を取っていた。しかし、2020年のベラルーシ大統領選を受けて大規模な反政府デモが起きると、西側諜報員が誘発したと姿勢を転換した。

ロシアのウクライナ侵攻後は、西側が招いた戦争であり、ウクライナはロシアの和平条件を受け入れるべきだと主張していた。

ロシア外務省のザハロワ報道官はマケイ氏死去の報道に「ショックを受けている」と交流サイトに投稿した。

急死したベラルーシ外相、その最後の訴え「地球規模の戦争を阻止せよ」

2022年11月27日, 10:52 (更新: 2022年11月27日, 15:12)


© Sputnik / Asatur Esayants

ベラルーシのウラジーミル・マケイ外相(64)が26日に急死した。この訃報を受け、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領、アプハジアのアスラン・ブジャニヤ大統領、ロシア外務省、カザフスタン外務省、ベネズエラ外務省、キューバ外務省、在ベラルーシ欧州代表部は哀悼の意を表明している。マケイ外相はリアノーボスチ通信に応じた最後のインタビューで地球規模の戦争を阻止する必要性を訴え続けていた

マケイ外相のインタビューは米ニューヨークで9月に開かれた国連総会の一環で実施された。マケイ外相は一貫してウクライナ危機の平和的な解決を訴えていた。またウクライナとロシアに交渉の場を提供する用意があることも強調してきた。ただし、そのためには双方の政治的な意思がなくてはならないと付け加えた。


ベラルーシのルカシェンコ政権の解説

1994年に実施された大統領選挙では、ロシア連邦との統合を目指すなどの選挙公約を打ち出したアレクサンドル・ルカシェンコが当選した。ルカシェンコ大統領は1999年12月8日、ロシア連邦のボリス・エリツィン大統領(当時)と、将来の両国の政治・経済・軍事などの各分野においての統合を目指すロシア・ベラルーシ連盟国創設条約に調印した。しかし、その後、プーチンがロシア連邦の新大統領として就任し、ベラルーシのロシアへの事実上の吸収合併を示唆する発言を繰り返すようになると、自らは初代「最高国家評議会議長(国家元首)」に就いて、ロシアには連合国家の閣僚会議議長(首相に相当)のポストを与えることでロシアの事実上の最高指導者になる野望を持っていた[要出典]ルカシェンコ大統領は反発するようになり、両国の統合は停滞した。その後も、ロシアがメドヴェージェフ大統領になっても、ロシアとベラルーシの関係悪化は続いた。

メドヴェージェフから引き継いで再び大統領となったプーチンは、2018年においてもベラルーシに対して、エネルギー輸出などで圧力をかけながら国家統合を迫っている。ルカシェンコは協議には応じている一方で、「ロシアが西にある唯一の同盟国を失うのなら、彼らの責任だ」「両国の連合は平等な立場でのみ発展できる」[7][リンク切れ]と牽制。2019年11月17日にも「国家主権や独立を脅かすような書類には署名しない」と発言した[8]。

2010年12月の大統領選挙では4選を果たしたものの、選挙後に野党候補者が政権により拘束される[9] など、野党勢力への弾圧が続いたことで、アメリカ合衆国や欧州連合(EU)を中心とした西側諸国からの圧力を受け、国際的にも孤立を深めた。財政問題や経済不況が続く中、SNSなどでの呼びかけで、政権に抗議する一部の市民たちは無言で拍手をしながら街を練り歩くなど、ルカシェンコ政権への抗議運動が発生し始めているが、反政府運動は徹底的に厳しく取りしまられている[10]。

しかしながら、経済不況ながらもソ連時代から続く富の分配政策や物価の低価格設定などにより、国民の生活は一応の安定を保っていることと、実質的にはルカシェンコ派以外が政権を担う力は皆無であるため、アメリカ合衆国やEUが期待するのとは裏腹に反政府運動も一向に盛り上がらないのが現状である。また、2014年にはロシアとカザフスタンの提唱したユーラシア連合構想に加わってユーラシア経済連合創設条約に調印[11]。ルカシェンコ大統領はロシアとある面では敵対しつつも連携し、中国や、イラン、ベネズエラなどの中南米諸国などといった非欧米諸国を中心とした国と巧みな外交手腕で経済援助を獲得することで、自身の独裁体制を維持している。

「2020年-2021年ベラルーシ反政府デモ」も参照

2020年、8月の大統領選挙の不正疑惑から大規模な反政府デモが起こり、2021年現在まで続いている。2021年5月23日、ギリシャからリトアニアへ向っていたライアンエアの旅客機は、ベラルーシ領空内に入った直後に爆破予告があったとしてミンスクに強制着陸させられた。着陸後、ベラルーシ当局は旅客機の乗客の中にいたラマン・プラタセヴィチを拘束。プラタセヴィチは前年の反政府運動にメディア関係者と参加後、海外に亡命していた人物であった(ライアンエアー4978便の項を参照のこと)。ライアンエアの本社があるアイルランド政府は、一連の拘束劇を「空の海賊行為」であるとしてベラルーシを批難[12]。6月21日には、欧州連合とアメリカ、イギリス、カナダがベラルーシに対する制裁を一斉に発表して外交問題に発展した[13]。

ルカシェンコ政権を批判して弾圧された者の一部はポーランドを始め各国に亡命している[14]。また亡命者によるネットワークが各国に存在しており、亡命者のサポートを組織的に行っている[14]。

2022年2月、ロシア・ウクライナ危機の最中、フロドナ付近でロシア軍とベラルーシ軍が共同軍事演習を実施[15]。 その後もロシア軍はベラルーシに駐留し、同年2月24日朝、ベラルーシとウクライナの国境を越えて侵攻を始めた(2022年ロシアのウクライナ侵攻)[16]。 同日、ルカシェンコはベラルーシ軍が侵攻に関与していることはないとする声明を発表した[17]。

詳細は「2022年ベラルーシの憲法改正の是非を問う国民投票(英語版)」を参照

2月27日に憲法改正の是非を問う国民投票が行われ承認された。改憲案ではベラルーシを「中立国家」及び「非核地帯」とする条文が削除され、これをロシアよる核兵器配備の布石ではないかとの疑念が出ている。そのほかに現在の大統領通算任期を「リセット」、2035年までの続投が可能となり、在任中の「免責特権」も付与された。権力の更なる強化は欧米による制裁に対する政権延命を意識したとの見方もある[18]。


ベラルーシのマケイ外相が急死、死因不明…「ロシアの影響下にない数少ない人物」 (msn.com)

ベラルーシのマケイ外相急死、死因不明 ロ外相との会談控え (msn.com)

急死したベラルーシ外相、その最後の訴え「地球規模の戦争を阻止せよ」 - 2022年11月27日, Sputnik 日本 (sputniknews.jp)

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