政治(法律)講座ⅴ1740「毀損した中国の信用・信頼回復は難しい。究極は滅亡」
近代法治国家では罪刑法定主義といって、何が違法行為であるかが明確でなければ裁けない。恣意的に法を適用してはいけないのである。そして、法を適法だった過去の行為に新しく施行した法律、つまり、遡及法(事後法)も禁止されている。中国では反スパイ法が施行されてから日本人がその容疑で恣意的に拘束されている。何が日中友好だ!
このような事態なのに中国に尻尾を振ってすり寄るとは笑止千万!
今の中国共産党のやっていることは、共産党という組織を防衛するために安定政権を目的にして、人民の生活を守るという目的を忘れている。世界中から信用を失い信頼されない事態になっている。それは滅亡の道を堕ちていく現象に他ならないのである。今回は反スパイ法で恣意的な拘束・逮捕・裁判の事例を紹介する。
皇紀2684年4月17日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
日中友好7団体、中国対外友協会長訪日の歓迎昼食会開催
新華社 によるストーリー
11日、楊万明氏(前左から4人目)と日本各友好団体の代表らの集合写真。(東京=新華社配信/中国人民対外友好協会提供)
【新華社東京4月16日】日中友好7団体は11日、東京で合同昼食会を開き、招きに応じて訪日した中国人民対外友好協会の楊万明(よう・ばんめい)会長を歓迎した。日中協会の野田毅会長、日中友好協会の橋本逸男副会長、日中友好会館の宮本雄二会長代行、日本国際貿易促進協会の秦喜秋副会長、日中文化交流協会の栗原小巻副会長、日中経済協会の佐々木伸彦理事長ら日本の各友好団体の代表が出席した。
楊氏は、日本の各友好団体が長期にわたり中日友好の先頭を歩んでいることを賞賛し、中日関係は現在、改善・発展の重要な時期にあり、中国人民対外友好協会は日本の各友好団体と手を携えて努力し、中日友好の守護者、推進者、伝承者となり、新時代の要求に合致した建設的で安定した中日関係の構築に、民間の知恵と力で貢献していきたいと述べた。
11日、歓迎昼食会であいさつする楊万明氏。(東京=新華社配信/中国人民対外友好協会提供)
日本の各友好団体の代表は、日本の民間各界が中国と共に、両国の古い世代の先人の友好的信念を継承・発揚し、チャンスをつかみ、引き続き新時期の人的・文化交流と互恵協力を深めていくことを望んでおり、青少年交流を大いに展開し、両国人民の相互理解と友好の感情を絶えず増進し、日中関係の持続的な改善・発展を推進していきたいと表明した。
中国がアステラス製薬社員を拘束した「本当の狙い」、元公安捜査官が解説
2023.4.1 5:00
スパイ容疑により
多くの日本人を摘発
大手製薬メーカー、アステラス製薬の社員である50代日本人男性が「反スパイ法」に違反した疑いがあるとして、中国国家安全局によって、日本への帰国直前に拘束され、中国外務省がその事実を認めた。
この男性は、中国に進出する日系企業の団体「中国日本商会」の幹部を務めたこともあるベテラン駐在員であるという。
この件に関し、中国の外務省報道官は、「本人はどのような違法行為をしたのかよく知っているはず。日本国民の類似事件がしばしば発生しており、日本は自国民に対する教育や注意を強化すべきだ」とコメントしている。日本政府としては、林芳正外相が4月1~2日に急きょ訪中することを予定しており、日中での解決に向けた動きが速やかに進展することが望まれる。
中国は2014年に「反スパイ法」を制定。これまでに17人の日本人がスパイ活動への関与を疑われ拘束された。そのうち1人が病死し、11人は刑期を終えるなどして帰国しているが、今回拘束された日本人男性を含め5人がいまだに拘束されている。
いずれも、具体的な容疑は謎のままである。というのも、スパイ事案において、中国は「国家機密」を理由に容疑内容や裁判などの司法手続きを非公開にする場合が多い。
今回もその容疑内容は不明であり、スパイ容疑という性質上、中国は非常に抽象的な発表に終始しており、中国政府による“恣意的”な法運用であったと推認される。
「私はスパイじゃない」中国で懲役6年の男性語る“監視居住”
「おまえはスパイだ」中国で突然、スパイ容疑で拘束され、6年間収監された日本人の男性がいます。
太陽の光も届かない“監視居住”での拘束。体重は30キロ近く減っていました。人生をかけて日中両国の友好を願ってきただけなのに。いったい何が起きたのか。「刑期」を終えて帰国した男性が語ってくれました。(国際部 関谷智)
何が起きたのか知ってほしい
「一番つらかったのは、拘束された最初の7か月ほどでした。カーテンが締め切られた部屋で、太陽を見ることができたのは、特別に許可をもらった15分だけ。太陽を見た時、涙が出ました」
こう話すのは、2016年に中国の首都、北京で拘束された鈴木英司(65)さんです。
鈴木さんは、「スパイ行為をした」として、中国当局におよそ6年間拘束されました。
2022年10月、日本に帰国した鈴木さんに、だめもとで取材を申し込みました。
中国で拘束された日本人はこれまでもいますが、多くが口を閉ざしているからです。しかし、意外にも、インタビューを受けますという返事が返ってきました。「何が起きたのか知ってほしい」取材当日、そう語った鈴木さん。中国で起きたことを話し始めました。
空港で突然、男たちが…
2016年7月15日、鈴木さんはシンポジウムの打ち合わせのために北京を訪れていました。
夏の強い日ざしが照りつける、暑い日でした。
友人とレストランで昼食を終えた鈴木さんは、日本に帰国するためタクシーで北京首都国際空港に向かいました。
タクシー降り場に着くと、大きなグレーのバンが停車していて、その周囲に体格のいい男が5、6人いるのが目に入りました。荷物を持って空港の入り口に歩き始めた時、男の1人が「おまえは鈴木か?」と問いかけてきました。鈴木さんが「そうだ」と答えたとたん、一斉に飛びかかってきた男たち。あっという間に、白いバンの中に引き倒され、最後列の一番奥の席に押し込まれたといいます。「おまえたちは誰だ!」必死で叫ぶ鈴木さんに、男の1人が「北京市国家安全局だ」と短く答えました。男たちは中国国内のスパイを取り締まる機関の職員でした。その後、携帯電話や腕時計、ズボンのベルトを奪われ、目隠しまでされました。どこを走っているかもわからないまま、1時間ほどたったかと思われるころ、車から降ろされました。
方角をわからなくするためか、何度も体をぐるぐると回転させられながら歩き、ある部屋に入れられました。その後7か月近く続く、取り調べと監視生活の始まりでした。
北朝鮮の話がスパイ活動!?
なぜ突然、拘束されたのか。取り調べやその後の裁判が進むにつれて、どんな「容疑」がかけられているのか、分ってきました。つきあいのあった中国政府の関係者と会食をした際の会話が問題となっているというのです。男たちは、鈴木さんがどんな会話をしたのか、把握していました。
「北朝鮮に関する話しをしただろう。敏感な問題で、違法だ」と一方的に述べたといいます。
鈴木さんは長年、中国に関わっていて、渡航回数は200回以上になるといいます。日中の交流団体の代表をしていたほか、中国の大学で教えた経験もあり、中国人にも多くの友人がいました。中国政府の関係者や、北京にある日本大使館の職員とも交流があり、食事に行ったりもしていました。
こうした中で、中国側は、「日本の情報機関に渡すため、中国の外交関係の人事や、領土問題、北朝鮮の問題などで情報を集めていた」、と認定したのです。しかし、鈴木さんは、今でも納得できないと、憤りを隠しません。
鈴木英司さん
「当時、北朝鮮の故キム・イルソン主席の娘婿のチャン・ソンテク氏が処刑された疑いについて、韓国政府が発表していたので、中国政府の関係者に、『処刑についてどうなんですか』と聞きました。しかし、彼は『知りません』と答えました。これが、なぜ違法な情報収集にあたるのか、私には理解ができないし、憤慨しています」
7か月の“監視居住” 太陽を見たのは15分・・・
鈴木さんが拘束されて連れて行かれたのは、古びたビジネスホテルのような部屋でした。小さな机に、ベッド、そして監視のためにドアのないトイレとシャワーがありました。
中国当局の言い方によれば、「監視居住」が始まったのです。部屋の四隅には、監視カメラのレンズが光っていました。窓には黒っぽい、分厚いカーテンがかかり、外が昼なのか、夜なのかもわかりません。そして、ベッドの向かいにあるソファーには、監視役の男2人が常に腰掛けていました。
男たちは交代しながら24時間、鈴木さんがトイレで用を足す際にも、常に見張っていました。寝るときも明かりをつけたまま。男たちが見ているので、落ち着きません。運動といえば、部屋の中で足踏みをすることしかできない日々。
男たちの目の前で、足踏みをしている自分の姿に、とても悲しくなったといいます。いったい自分はどうなってしまうのか。不安と恐怖に追い詰められました。
鈴木さん
「これからどのくらい監視下での生活が続くのか、何の情報もなかったため、ちょっとしたことで疑心暗鬼になりました。日本はどうなっているのか、家族はどう過ごしているのか、そうしたことをずっと考えていました。本当につらかったです」取り調べ以外の時間では食事とシャワー、トイレ以外はただ座っているだけです。本もテレビもなく、紙やペンの使用もできませんでした。話し相手もいない中で、取り調べが続いた7か月間を、この部屋で過ごしました。ある日、鈴木さんは、太陽の光をどうしても見たいと、頼み込みました。許されたのは、たった15分。
部屋を出ると、廊下の窓からすこし離れた場所に、イスがぽつんと置かれていました。座ると、太陽が見えました。自然に目から、涙が出ました。
もっと近くで見たい。窓に近寄ろうとすると「ダメだ」と叱責されました。
非公開の裁判 懲役6年の実刑
突然の拘束からおよそ7か月後の2017年2月。鈴木さんは逮捕、のちに起訴されました。
その後の裁判は、中国側が違法とする「情報」と関連があるとして、非公開で行われました。証人申請はすべて却下されたといいます。そして、2019年5月に1審で懲役6年の実刑判決を言い渡されました。
鈴木さんは上訴しましたが、翌年よくとしの2020年11月、棄却。拘束されてから、すでに4年以上がたっていました。
判決文には、このように書いてありました。
「鈴木英司は日中友好人士の身分を借り、中国国内外で(人物は略)などの人と頻繁に接触し、面談などの方法を通して、わが国の対日政策とほかの外交政策、高層人士の動向、釣魚島(尖閣諸島)と防空識別圏に関連する政策措置、中朝関係などの分野の情報を尋ねてから、入手した情報を(人物は略)などの人に提供した。
/この提供した内容は情報であると中華人民共和国国家保密局に認定された
/鈴木英司は間諜(スパイ)犯罪行為を実施したことを証明し、中国の国家安全に危害をもたらした」
鈴木さんは、懲役6年の実刑が確定し、北京にある刑務所に収監されました。拘束されてからの4年間を差し引いた、2年近くを過ごしました。
中国では、反スパイ法が施行された翌年よくとしの2015年以降、日本人がスパイ行為に関わったなどとして当局に拘束されるケースが相次いでいて、これまでに少なくとも、16人が拘束されています。
このうち、服役中だった北海道出身の70代の男性が死亡しているほか、6人はいまだ帰国できていません。
中国を恨んでいます、ただ…
2022年10月中旬、刑期を終えて日本の実家に帰国した鈴木さん。拘束前に96キロあった体重は、30キロ近く減っていました。90歳近くになる父親や親戚は、帰りを喜んでくれました。6年ぶりに帰った実家で用意されていたのは、手作りの家庭料理でした。ずっと食べたかった好物の刺身と冷酒は、涙が出るほどおいしかったといいます。鈴木さんは中国における今の人権状況には、極めて強い懸念を感じています。
鈴木さん
「習近平指導部になってから、特に人権について、締めつけが厳しくなったと感じる。中国政府は、『中国なりの人権があり、西洋と違う』という主張を繰り返しているが、監視をしたり、何も見せない、誰にも会わせないという自分が受けた経験からは、中国の人権状況は明らかに遅れていて、大きな問題だと言わざるをえない」
自由の身となった今。しかし、中国の友人たちとはもう2度と会えません。会ったり、連絡をとったりすれば、友人が捜査の対象になる恐れがあるからです。
1980年代から40年近く、人生をかけて取り組んだ日中友好の草の根の活動。その中国で拘束され、「犯罪者」として、今後、入国すらできなくなった自分。
取材の最後に、鈴木さんは、揺れ動く複雑な胸の内を話してくれました。
「中国を恨んでいます。ただ、日中関係は大事な2国間関係です。経済的な貿易のつながりも強く、地理的にも隣国で、たとえ嫌いであっても大事にしなければならないのです。それに、日中関係がよくなれば、自分のようなケースも少なくなると思うし、より多くの交流が芽生えると思うんです。そして、日中関係改善のためには、相手の国を正確に知ることが必要で、私は、そのために、今後も尽力していきたいです」
じつは深い、なぜ政権や王朝が滅亡するのか「たったひとつの答え」
岩尾 俊兵 の意見
なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか? 張り紙が増えると事故も増える理由とは? 飲み残しを放置する夫は経営が下手?
10万部突破のベストセラー『世界は経営でできている』では、東京大学史上初の経営学博士が「人生がうまくいかない理由」を、日常・人生にころがる「経営の失敗」に見ていく。
※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
どんなに栄えた王国や文明もいつかは衰退する。
日本には本当はあまり咲いていない沙羅双樹の花を探して眺めてみなくとも、歴史の教科書を開けば盛者必衰の理は嫌というほど表れている。
既存の政権や王朝を滅ぼす原因として、異民族の侵略、大災害と飢饉、内乱と革命などが挙げられることが多い。歴史番組や歴史映画はこうした悲劇を取り上げがちだ。睡眠薬の代わりになるような、書きぶりからして眠たげな分厚い歴史書も、こうした場面に入ったとたんに生き生きとした筆致でこちらの目を覚まさせてくる。
しかしこうした言説は原因と結果を取り違えている。異民族が侵略を試みていない時期などないし、災害と飢饉への備えはいつでも必要だし、内乱と革命を虎視眈々と狙う者はいつの時代にも存在するからだ。
亡国志:本来の目的を忘れた国は亡びる
たとえば一般には海の民と呼ばれる集団によって滅ぼされたとされる古代エジプト王朝は、実際には滅亡までに何度も海の民を撃退していた。中国の漢王朝も黄巾の乱によって勢力を大きく削られるまで、何度も似たような人民蜂起を鎮めてきた。
政権や王朝は常に危機に対峙しているのである。
危機そのものが政権・王朝を滅ぼすと考えるより、むしろそれらが日常的に直面している危機に対処できないほど落ちぶれたときに、「危機という最後の一押しで滅びる」と考える方が自然だろう。
本当の意味で政権や王朝を弱体化させる原因は国家経営の失敗である。すなわち経営の巧拙こそが歴史を動かす。
たとえば、アレクサンドロス大王治世の古代マケドニア王国、チンギス・カンが統治した中世モンゴル帝国、近代の列強にいたるまで、大帝国はしばしば世界征服を目的に掲げる。この目的を達成するために大帝国は支配地域に重税を課し圧政を敷く。そうしないと戦争を続けられるだけの資源が得られないからだ。
こうした政治においては「国家を目的とし、国民を手段とする」という逆転現象が起こっているため、政権に徐々に綻びが生まれる。
歴史を紐解いてみれば、これらの国家においてしばしば「○○大王の威信を世界に示すため」といった大義名分で人民は暴政に耐えることを強いられた。しかし、人民からすれば、○○大王の威信なんて食えもしないし見たことさえない。
特に侵略を受けて属州となったばかりの地域の住人からすれば、○○大王なぞ「強盗の親玉」くらいにしか思っていない。そのため、「盗っ人の見栄のために耐え忍ぶなんて無理な相談だ」ということになる。
国家は国民が共同で作り上げた虚構であり、国家自体は究極の目的にはなりえない。
究極の目的になりうるのは「国民一人ひとりの幸せ」のはずである。国家も、政治体制も、政治理念も、人間が作ったもの=人工物である。本来ならば、人間を幸せにしない人工物は捨てられるだけである。
しかし、このことはいつでも忘れられる。そのたびに大混乱が起こり歴史に新たな一頁が足されていく。
あるいは歴史の中で何度もどこでも見られる現象として財政の問題がある。むしろ財政を国家経営そのものだと思っている人も多い。
たとえば、古今東西どんな国家でも官吏は増税を大使命だと勘違いしているかのように振る舞う。もちろん彼らは本当に愚かなわけではない。「自分たちの使命は増税ではなく、財政健全化だ」と堂々と主張する。だが、財政健全化もまた国家の目的にはなりえない。財政健全化は国民の幸せを実現するための手段のひとつに過ぎない。
仮に国民を重税で苦しめた挙句に財政健全化に成功するとして、そんな国を望む国民はいないだろう。そんな国を作り上げても、内乱と革命によって、財政健全化した国そのものがなくなる。結局そんな国では当の官吏ふくめ誰も幸せにならない。
それに、政権が重税を課せば課すほど、一般市民はなんとかしてその税を逃れるための方法を編み出す。たとえば、後漢においては戸籍を改竄して税を逃れるという方法が後を絶たなかった。日本においても、平安時代に租税回避のために租税を免れていた寺社や有力者への寄進地が増加した。租税と脱税の知恵比べ合戦は歴史の常である。
こうして、増税しても税収は増えない。それどころか一般市民は苦しみ、さらに脱税によって新たに権力を得る層が生まれてしまう。
世界中どこでも、歴史の中で、租税回避の特権を得るものが必ず台頭してくる。
典型的には王の親族だ。男系王朝において権力者は娘の嫁入りを通じて次期国王の親戚(外戚)になることができる。そのため皇帝の外戚がこうした特権を通じてますます権力を増し、ついには「外戚の影響力を増すために幼齢の帝を立てる」という本末転倒な結果にいたる。
これこそ王や帝に対する究極の侮辱である。
そのうちに、本来は「人民を幸せにする」という約束を果たすために権限を委任されていたにすぎない政治権力は、まるで「特権階級だけが人民だ」と定義しているかのような行動に出る。特権階級の権利・権限は拡大し市民の権利・権限は極限まで縮小される。
細かい差はあれ、後漢でも、藤原摂関政治でも、李氏朝鮮でも、ほぼ同様の説明が通用する。世界の歴史は登場人物の名前以外は似たような出来事の繰り返しだ。
現代の中国で易姓革命がまた起きる予感がする。
参考文献・参考資料
日中友好7団体、中国対外友協会長訪日の歓迎昼食会開催 (msn.com)
中国で拘束の日本人男性 上訴棄却され懲役12年確定 | NHK | 中国
中国がアステラス製薬社員を拘束した「本当の狙い」、元公安捜査官が解説 | 元公安捜査官が教える「見抜く力」 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?