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入院生活まとめ

多木東(たき あずま)はA美術大学の景観デザイン専攻に所属していた。あのとき別の専攻を選んでいたら、病気にもならずに大学を卒業できていたかな、と東はいまでも時々思う。東は専攻の課題で小説を書いていた。自分のことを洗いざらい書けば、きっと必ず新しい人間に生まれ変われると信じていた。

そんな東がA大学付属病院精神科に入院したのは、二○二○年六月三十日のことだった。


目を覚ますとまだ薄暗く、自分は見知らぬ部屋の、柵のついた白いベッドの上に寝かされていた。腕に名前とバーコードが印刷された白いバンドをはめて、見覚えのない薄青色のパジャマを着ているようだった。正面の壁の上部に丸い壁掛け時計が掛かっており、左の壁にのっぺりとした緑一色の絵画が飾られていた。天井に何かの模様があり、丸い形の監視カメラのようなものが取り付けられていた。頭の下に敷いていた枕は、よく見ると中に入っている小さな金属の粒が透けて見えた。「ここ、どこ」と言っただけで、東は気を失った。

次に目を覚ました時には、部屋はすっかり明るかった。どことなくかつての同級生の面影のある女性が部屋にやってきた。服装を見る限り、看護師のようだった。

「これ東さんのコップだよね」と言って、彼女は東に黄色い取っ手のついたマグマグ、『マグでチュー』を手渡した。

(そうだ……小説内ではかっこつけて「カップ」と書いたけれど、これが本当のわたしのミルクの入れ物だったんだ……)

「自分のコップって、安心するよね」

幼児用のものであるということは気にしていない様子で、看護師は言った。マグマグの中には、水が半分ほど入れられていた。

先天性フェニルケトン尿症(PKU)……それが東の生まれつき患っていた疾患だった。必須アミノ酸のうちのフェニルアラニンを消化する酵素を生まれつき持っておらず、食品から蛋白質を摂ると消化されずに体内に悪いものが溜まる。悪いものは脳や発達に深刻な影響を及ぼす。これを防ぎ、治療するには、低蛋白質の食事をとり、フェニルアラニン以外のアミノ酸を含有した『フェニルアラニン除去ミルク』という医療品の粉ミルクを、一生涯にわたって飲み続けなければならない。これはいわゆる難病と言われるものの一つだった。

「ここはどこですか?」と東は言った。看護師は「ここは大学病院の精神科の病棟だよ。精神科の外来にきたことは覚えている?」と言った。

そもそも、先の小説を書いたのも、自分の中で『フェニルケトン尿症』への違和感が大きくなりすぎたためだった。二十歳をすぎたのにいつまでも赤ん坊のようにミルクを人に隠れて飲まねばならず、大人なのに「小児科」に通院しなければならない。何年治療しても、治らず、検査のために腕に針を刺されて血は抜かれるし、こんな病気が本当に嫌になっていた。だからこそ生まれ変わる必要があったのだ――。そして東は、そんな自分への殺意を動機に、『ロクミ』という粉ミルクを飲んで生きるキャラクターを生み出し、小説の中で彼女を操る。

しかし、制作の終盤になると、頭の中がキンキンと鳴り出すようになった。何かを削っているかのような、甲高い金属音が常に聞こえ、大学の同級生や自分の顔の幻視が見えるようになり、何日も眠ることができず、授業に出席することが困難になった。他人の人格になったような妄想と、その幻聴がひどいため、母の運転する車で大学病院に連れられて、車椅子に乗せられて小児科と精神科の外来を受診した。精神科の黒いベッドの上で暴れる東に看護師は、黄色い二粒の薬を飲ませた。ほどなくして東は気を失った。

そして目覚めた時には、薄暗い部屋の柵のついたベッドの上に寝かされていた。

「東さんはここに入院することになったんだよ。外来にきて、ああ、これは入院したほうがいいねということになった。入院の持ち物は、お母さんが用意して届けてくれたからね」

「いま……いま何月何日ですか」

「七月七日。東さんは六月三十日に入院したんだよ」

「一週間も……記憶がありません。わたしは、何をしていたんですか」

「ずっとここで休んでいたよ」

看護師は、熱を計って、と言って体温計を差し出し、横たわる東の左腕に血圧計を巻きつけた。そして、両方とも計り終えると、「いま朝ご飯持ってくるね」と言って部屋を出ていってしまった。時計の針は、朝の七時を指していた。

まもなくして、四つの食器が載った薄緑色のトレーを持って看護師はやってきた。中央の深い茶碗の中には、「低たんぱく米飯」で作られた、小さな白米だけのおにぎりが二つ、寄り添いあって入っていた。

東はベッドの上に上体を起こした。歯ブラシとコップの載ったテーブルがベッドに設置され、そのテーブルの上にトレーが置かれた。

看護師は皿の上の、ほうれん草と肉の油炒めを、「アツアツだ」と言ってかき混ぜた。東は何かを食べるという気がしなかった。しかし、渡された私物の箸を取り出し、まずは味噌汁から、そっと食べ始めた。時折、マグマグの中の水を飲みながら。

数十分後、看護師がトレーの回収をしにきた。東はほうれん草と肉の油炒めを、そっくりそのまま残していた。そして、歯磨きをするように指示されたので、東はサンダルを履いてベッドから降りた。降りると、ベッドの上で何かが「プルルルルル」と鳴った。看護師が胸元の何かを操作すると、その音は止んだ。東は部屋に取り付けられたトイレの個室の前を、洗面台へと歩かされた。

洗面台の鏡で、初めて自分の姿を見た。黒い髪は肩まで伸び、すっかり痩せた身体は、薄青色の病衣を纏っていた。その姿は、決して見慣れたものではなかったが、馴染みの自分の丸顔を見ると、ああ、やはり自分は自分なのだと安堵した。洗面台の前には青いパイプ椅子が一つ据えられており、東はそこに座って歯を磨き始めた。磨き終えると、東はベッドに戻った。

看護師は去り際、ベッドに取り付けられたボタンを指し示し、「ここを押せば、ナースコールされて看護師さんくるから、何かあったらこのボタンを押してね」と言った。大きな丸いオレンジ色のボタンだった。「それからここを押すとベッドを起こすことができるから」ベッドの操作方法も教えて、看護師は去っていった。

一人になると、罪の意識に苛まれた。

わたしが学校でしていたことは、いけないことだったのだろうか。自分への殺意で小説を書き、一度死んで生まれ変わるために、作品を書いてしまった。教員に好かれ、同級生に嫌われるようなことをたくさんしてしまった。その甲斐あって、課題に対する教員らの評価は、高評価だったそうだが、あれは、罪、だったのか。一生懸命にやったにすぎない話のはずだが……。

午前十時になると、看護師は、熱湯の入ったポットと、哺乳瓶に入った三種類のミルクの粉を持ってきて、ミルクを作って飲むように言った。東はマグマグの中身をからにして、熱湯を注ぎ、そこに粉を全て入れ、ストローの差し込み口にティッシュを詰めて蓋をし、右手で持って、勢いよくシェイクした。いつもと何も変わらなかった。どろっとした質感も、味も、二十歳をすぎても尚、飲まなければならないということも。

飲み終えた東は、看護師に言われて、洗面台に移動し、マジックで「多木さん」と書かれた食器用洗剤とスポンジを使って、マグマグを洗い始めた。洗い終わった後には再び飲むように水を入れておいた。

この日、食事は七時と、昼の十二時、夕方五時半に運ばれてきた。ミルクは、午前十時と、午後三時に飲むことになった。

それ以外では、一人きり、ベッドに横になり、ただ天井を眺めるばかりの時間が続いた。監視カメラのような黒い丸い物体は……あれは本当に監視カメラなのだろうか。わたしはなぜここにいるのか? 病気なのか? 東はこの場所について考えることで時間を潰した。この部屋にはベッドの右側にオレンジ色のカーテンの吊られた大きな窓があった。窓の外には病院の別棟が見えた。見る限り、ここは三階であるらしかった。

夕方にもう一度、看護師は体温計と血圧計を持ってやってきた。計り終えると、「血圧、低めだね」と言って去っていった。

夕飯を食べ終わり、夜になると、看護師は薬を運んできた。外来で飲まされたものと同じ、黄色い二粒の、「ジプレキサ」という薬だった。「な、なんの薬ですか」と東は尋ねた。「幻聴を抑えて、気分を落ち着かせる薬だよ」と看護師は答えた。

九時になると、部屋のドアの向こうから看護師の「消灯でーす、おやすみなさーい」という声が聞こえ、パチンという音とともに部屋の電気が消えて真っ暗になった。この病棟では夜九時になると消灯なのだった。

その後、寝入ろうとしていた時分に、東は恐ろしい男の叫び声を聞いた。その声とともに、背中が大きく膨れ上がり、意思を持った獣と化し、その背中の獣に全身を操られているような感覚が東を襲った。東はオレンジ色のボタンをぐっと押し込んだ。するとボタンは赤く光り、「プルルルルル」という音が鳴った。続けて看護師の声がした。「東さんどうされましたかー」と言うので、東は、「怖いです」と言った。看護師は薬を持ってやってきた。半分に割られた小さな粒は、「クエチアピン」という名の薬だった。気分を落ち着かせる薬だからね、と言って看護師は東に薬を渡した。東はマグマグの中の水と一緒にそれを飲み込んだ。


眺めているだけで、どこか遠くの世界に連れていってくれるような、絵や布を作りたかった。綺麗な色を永遠に眺めていたい。空想にふけりたい。ただそれだけの動機だった。一方で、美術に対する専門性がないことはとてつもない劣等感だった。

だから東は、美大に進んだ。

東は、最初からずっと東だった。それなのに、美大では皆が寄ってたかって東を「何者か」に仕立て上げようとした。それが恩のある人だったりすると、余計に、期待に応えようとして頑張ってしまう。そして、頑張りすぎてしまい……その結果、東はいま病室にいるのだ。ただ、何かを学んでいただけだというのに。

制作中のことを思い出すと、東はいつも「人を殺したい」と呟いた。自分を殺したいという意味で言っているのだが、作品を書いていた頃からすっかり口癖になってしまっていた。この口癖が治るまでは退院できないよと母は言った。あまりにも頻繁に口をついて出てくるので、東は、もしかしたら永遠に退院できないのではないかしらと思うのだった。


なんとかやっと落ち着いて、眠りにつくことができたようだった。朝になると、看護師が部屋のカーテンを開けにきて、いま朝食持ってくるね、と言った。昨日とは別の看護師だった。明るくなった部屋で東は苦しそうにボタンを押して、ベッドを起こした。前日とは違い、右のこめかみの辺りが激しく痛んでいた。

看護師は、東の腕に血圧計を巻きながら「先生から、まだシャワーに入っていいと言われていないから」と言った。そして、「もういい気すっけどな」と言ってニヤリと笑って東を見た。東は「頭が痛いです」と訴えた。看護師は「ご飯食べ終わったら頭痛薬と冷やすもの持ってこようか」と提案した。東はお願いします、と言った。そして、ベッド横に設置されたテーブルに向かい合って朝食を食べ始めた。

頭痛薬は、「カロナール」という名前の錠剤だった。冷やすものは、保冷剤をタオルで包んだものが渡された。東は薬を、マグマグの中の水で飲み、保冷剤を右のこめかみに押し当てた。この日も同じで、七時、十二時、十七時半の食事だった。ミルクの時間も、十時、十五時で前日と変わらなかった。

東は「正直、ミルクを作って飲むことがこんなに癒しになるものだなんて、入院するまで全くわからなかった」と思った。東は、いまこの病棟内で唯一の、ミルクを飲む人間だ。そういうことなのだと東は思う。専攻にいた時も、東は専攻内で唯一の「文章を書く人間」だった。それが東の心の平静を保っていた。この病院でもミルクさえ飲んでいれば、自分を保てるという気がした。

食事を終えて、青い椅子に座って歯を磨いている時のことだった。洗面台の近くのドアがコンコンと鳴り、引き戸が横に引き開けられた。

訪問者は、小児科の主治医、日野先生だった。日野先生は三十代くらいの女性の先生で、可愛らしい声をしている。日野先生はその声で、「東ちゃん、お見舞いにきたよ」と言った。日野先生の姿を認めた東は、「日野先生!」と言って笑顔になった。

「どうだ、調子は」

「今日、頭が痛くって」

「あらあ、頭痛いかあ」

「それから……ちょっと心配なことがあって」

「そっかそっか、心配だよね」

「でもね、」と、日野先生は言った。

「東ちゃんの心配事がこのくらいだとしたら、」と言って両腕で空中に大きな輪を描いた。

「このくらいは心配しなくてもいいことだと思うよ」と言って先ほどと同じくらいの大きさの輪を描いた。

「え、本当ですか」

「そうだよ」

東は、「あの、日野先生」と切り出した。

「実は、ここにくる前、小説を書いていたんです。それは……PKUを題材にした、小説だったんですけど」

「ほう」

「なんか、この病気への違和感が……もう、限界でした。書くしかなかったんです。でも、やっぱり、それはやっちゃいけないことだったのかなって……」

日野先生はううんと首を横に振って、言った。

「それは、東ちゃんにしかできないことだから、何も問題ないよ。PKUの子はいっぱいいるけれど、東ちゃんの病気は東ちゃんのモノだからね」

東は胸を撫で下ろした。

「よかった……わたし、PKUがすきです」


日野先生が去った後、東はボタンを操作してベッドを水平に戻した。そこに横になり、頭を保冷剤で冷やしながら、少し眠ろうと試みた。しかし、明るいこの部屋でいま眠ることは難しそうに思われた。東はまた天井を眺めて時間を潰すことにした。

監視カメラに向かって両手を伸ばし、手を振ってみた。きっと誰かが見ているのだろう。それか、あれは監視カメラではないという可能性もある。看護師がきたら、あれがカメラかどうか尋ねて確認してみようか。

扉がコンコンとノックされた。今度は精神科の主治医の瀬夏先生だった。瀬夏先生は女性の精神科医で、とても綺麗な容姿をしている。ベッドのそばまできて、「東さん、こんにちは」と彼女は言った。

「瀬夏先生」と東は言った。

「暇になってきましたか」

やはり、監視カメラに手を振っていたところを見られていたのかもしれないと東は思った。

「は、はい」

「調子はどうです?」

「今日、頭が痛くて。お薬飲んで、冷やしています」

「そうでしたか」

瀬夏先生は少しだけ考えて、「何か書くものがあったらいいかしら」と言った。「やっぱり東さんは書く人だから」。東は、「書くもの、欲しいです」と言った。

「まだ太いマジックペンしか許可できないのですけど」

「マジックペン、わかりました」

「じゃあ、お母さんに伝えて今度メモ帳とマジックペンを持ってきてもらうよう頼んでおきますね」

瀬夏先生は白衣を翻して去っていった。

十五時にミルクを飲み、十七時半に夕食を食べ、ジプレキサを飲んで眠りにつこうとした。この夜も、身体が勝手に動く感覚が東を襲い、ナースコールをしてクエチアピンを飲んでやっと就寝した。


翌日、頭痛はすっかり引いていた。

ベッドの上で暇を潰していると、昨日とも一昨日とも違う看護師が入ってきた。「東さん、本とか、読む? とりあえず有名どころを持ってきた」と看護師は言った。

『マスカレード・ホテル』、『君の膵臓をたべたい』、『恋愛の神様』の三冊だった。それを見た東は笑顔になった。

「本の形見ただけで嬉しくなっちゃうから」

「じゃあここに置いておくね」

看護師はベッド横のテーブルに三冊の本を置いて去っていった。

東は、『マスカレード・ホテル』から読んでみることにした。その小説は「山岸」という苗字の主人公が出てくるものだった。胸がキュッと締め付けられた。苗字に「山」がつく教員と、苗字を「岸」という教員が、専攻内にいたことを思い出したためだ。怖くなった東はこの本を読むのをやめておいた。もしかしたらこの三冊の本は、実は入院した東に読ませようと、専攻の教員たちが差し入れたものなのかもしれない。

ベッドを起こして『君の膵臓をたべたい』を読んでいると、不意に扉がノックされ、数人の医師と看護師が現れた。見慣れないその男の医師は白衣をはためかせて大股で歩いてこちらまでやってきた。数人の看護師が付き従っていた。

医師は「多木さん、こんにちは」と言った。東は警戒して、戸惑いを含んだ声で「こんにちは」と言った。医師は東が手にしている本を見て、「これは、多木さんの私物?」と尋ねた。すると付き従っていた先ほどの看護師が、「いえ、あっちのデイルームの本棚にあった本です」と言って空間を指差した。医師は「ああ、そう。本棚なんてあったんだ。俺も何か本を寄付しようかな」と言った。東は警戒心を強めてベッドのシーツを右手で掴んだ。

「体調はどう?」と医師は尋ねた。

「いまのわたしが本当のわたしかどうかわからないんです」と東は答えた。

「おお、文学的ですね〜!」と医師は言った。

やがて、ゆっくり休んでね、と言って医師は去っていった。東は先ほどの看護師に「いまのかたは誰ですか」と尋ねた。看護師は「A大学の医学部の教授」と答え、「誰だと思った?」と訊いてきた。東は「この部屋の、責任者」と答えた。看護師は「ある意味それも正解だけど、この病棟全部の責任者でもあるかただよ」と答えた。東は「怖かったです」と言った。看護師は「ちょっとパンチ強かったかな。でもしょっちゅう病棟にくるわけじゃないから、あまり会うこともないと思う」と言った。

東は、『君の膵臓をたべたい』と『恋愛の神様』を交互に読んで時間を潰した。十時と十五時にミルクを飲んで、洗って、マグマグに水を入れて飲んだ。食事も同じ時間だった。初日よりはものを食べられるようになっていた。看護師は毎日決まって朝と夕方に、体温と血圧を計りにきた。夜は必ずジプレキサを飲むことになった。東は、少しずつ入院生活のルーティンのようなものがわかってきた気がした。


翌日、東は部屋で目覚めて四日目を迎えていた。一度見たことのある看護師がやってきて、「東さん、お母さんきてくれたから」と言って東を起こした。コロナの関係で面会はできないようになっていたが、何か必要なものがあれば届けてくれて、看護師が伝言をしてくれることもできた。看護師は東に薄桃色のブロックメモと、いま母が病院の売店で買ってきたばかりのマジックペンを渡してくれた。東は夢うつつの状態で「ありがとうございます」と言って身体を起こした。

看護師が去ると、早速マジックペンの包装を破り、ゆうべ見た夢の夢日記をブロックメモに書き始めた。

『入院中、夢で、手が消えた。両手とも、手首より先が、こつぜんとなくなってしまっていた。触感はそれでも尚、残っていた。紙粘土か練り消しのようなものを、こねたり伸ばしたりという感覚はしていた。ただ、見た目には手がなく映っていた。』

『寺の古い参道が、急な階段になっていた。私は手がないなりに工夫してよじ登らなければならなかった。私はこのとき、二人いて、もう一人の私の方は、髪の毛が作り物みたいに綺麗だった。登り切ったとき、視界の中に綺麗な色のねじり髪が二本見えた。』

ブロックメモは手のひらよりも小さく、マジックペンは一ミリよりも太かった。九行も書けば、あっという間に一ページが埋まってしまった。二ページにわたって夢日記を書いたが、まだ書き足りないことがあった。

『毎日、ジプレキサという薬を飲んで眠る。私はこれが、実は「ナカッタコトニスール」なのではないかと思っている。これを飲む毎に、過去がどんどん後ろへ押し流される。功も罪も、全て帳消しにされる。とても恐ろしい薬だ。』

『私の罪は、一生かけて償っていかなくてはならないと思ったのだが、案外早くも私は私自身を許せつつある。何も、悪いことなどしていないのだとさえ言えると思う。だが、やはり悪いことだったと思う。迷っている。』

『『No title』という小説を書いていた。私の自慢の子供です。私は、作品の親になることで幸せになるタイプの人間です。この子が人様に対して、何か悪いことをしたなら、それは私の責任です。この子は何も悪くない。』

書いていた小説や罪のことが、東の頭をいつまでも離れなかった。

朝食を食べ、十時のミルクを飲み終えた。東は十二時の昼食までの間、本を読んで暇を潰すことにした。

『恋愛の神様』の三分の二ほどまで読み終える頃、そこに、綺麗に折り畳まれた薄青色の病衣を持った看護師がきて、「東さん、先生からシャワーOK出たから、介助付きでシャワーしにいくよ」と言った。東は「シャワーですか」と言った。看護師は「ここからちょっと歩いたところにシャワー室があるから」と言った。

東は初めて病室を出た。出たところに、テレビのついた棚があり、看護師は「お母さんが持ってきてくれた肌着はここにあるからね」と言って棚の上から白いシャツと水色のパンツを取り出して東に渡した。「これは東さんの棚だからね」と言った。

看護師に連れられて行ったシャワー室は、八畳くらいの、カーテンの仕切りのある空間だった。そこに使い切りのリンスインシャンプーとボディソープ、そしてバスタオルとフェイスタオルが用意されていた。看護師の目の前で病衣を脱ぎ、身に着けていた黒い下着も脱いだ。自分の裸を見るのは久しぶりだった。

蛇口を捻ると、熱い水がシャワーから飛び出してきた。東はまずリンスインシャンプーを半分手に取って、頭皮を念入りに洗った。そしてもう半分を髪の毛先を洗うのに使った。ボディソープも二回に分けて使った。半分は上半身、もう半分を下半身という具合だ。

身体を拭き終えて、新しい下着を身に着けた。東は、何かに気づいて「あ」と呟いた。看護師は「どした?」と尋ねた。

「パンティーライナーを忘れました」

「ああ、それなら東さんの部屋のトイレにあるから、後で着けておいて」

「わかりました」

新しい病衣を着て、東はどこかさっぱりとした面持ちになった。

十二時になると、看護師はいつものように昼食を運んできた。「東さん、今日から、十二時から二時までの間、部屋から出てもオッケーになったよ」と看護師は言った。「いまちょっと行ってみる?」と言う看護師の後について、東は歩いて「デイルーム」まで行った。そこには、昼食を受け取るために並んでいる入院患者の人々、受け取ったトレーを置いてテーブルに向かい、食事をする数人の患者たちがいた。東と同じ薄青色の病衣を着ている人がほとんどだったが、中には私服と見られる人も数人いた。看護師は「ここで昼食を食べてもいいんだよ」と言った。東は「自分の部屋で食べたいです」と言った。デイルームは広場ほどの広さがあり、食事の席の他には、流しと電子レンジ、飲み物の自動販売機、テレビ、二つのソファー、そして本棚があった。看護師は「いま読んでいる本、終わったらこの本棚から新しいの持っていくといいよ」と言った。東は本棚を眺めたまま、こくんと頷いた。

部屋に戻ろうとして、東は公衆電話の電話ボックスを見つけた。「東さんがご家族に電話したい時、この電話ボックスを使ってね。小銭ならお母さんから届けられているのが、あの棚にあるから」と看護師は言った。

昼食を終えると、東はトレーを持ってベッドから降りた。二時まで外出できるようになったので、「昼食たべ終わったらおぼんデイルームまで返しにきてくれる?」と言われていた。デイルームに行くと、食べ終わったトレーを積んでいるワゴンがあり、一人の看護師が紙に何か記録をつけていた。東がワゴンに近づくと、その看護師は「ありがとうございます」と言って東のトレーを受け取った。

三時にミルクを飲み、また暇を潰して五時半に夕食をとった。夜八時にジプレキサを飲み、その後しばらくベッドを寝かせたり起こしたりを繰り返していた。やがて、消灯の前に、東は眠った。


翌朝も、看護師は東の体温と血圧を計り、その後すぐに朝食を運んできた。東はこの日も夢を見ていた。朝食を食べ終わると、東は看護師に頭痛を訴えた。看護師はカロナールと冷やすものを持ってきて東に渡した。東はそれを飲んで保冷剤を側頭部に押し当て、無理に、少し眠った。

昼、オレンジ色のボタンが赤く光り、「ピンポン」という音がして放送が流れた。「昼食の用意ができました、デイルームにお越しください。昼食の用意ができました、デイルームにお越しください」。東は昨日から昼の外出ができるようになったことを思い出し、今日から昼は自分で取りに行くことになるんだな、と悟った。

デイルームへ行くとトレーを受け取るために並んでいる列ができており、東も他の患者と同じようにそこへ並んだ。昼食担当の看護師が一人一人患者の名前を呼び、トレーを渡していた。やがて東の番になり、「東さーん」と呼ばれてトレーを受け取った。「こっち熱いから気をつけてね」とその看護師は言った。東はトレーを持って自分の病室まで戻った。

食事が終わり、下膳も終わった。

東は、ブロックメモに書きつけた。

『夢のことは変だ相変わらず。だけど取り立てて書くようなことではないので割愛する。今日は朝から少し頭痛があった。冷やしたり眠ったりして昼食をとった。ところで罪の話だが、やはり、どんなにナカッタコトニスールを飲んでも、なかったことになどできないのではあるまいか。』

『私のやったことは良くも悪くもなかったと思う。これはそう簡単には清算されない功罪と思う。どうすればいいだろう、これからひとまず今日の目標は、小説『君のすい臓をたべたい』を読むこととしよう。』

『私を定義するものが、言葉(文章)から肉体(身体)へ変わったのだと思う。やっと輪郭ができたような感じ。書かなくてもミルクさえ飲んでいれば、私は私でいられると実感した。裏返ったのだと思う。洗濯物の靴下のように裏返った。私は。』

書いていると、扉がノックされ、瀬夏先生が入ってきた。

「東さん、こんにちは」と瀬夏先生は言った。

「こんにちは」

「あら、書いていましたか」

「はい……」

「調子はどうですか?」

東は、朝から頭痛があることと、罪の意識に苛まれることがあることを伝えた。

「デイルームのほうへ行って、怖い思いとかしませんでした?」

「それはありませんでした」

「そうですか」

そして、瀬夏先生は少し考えたようだった。

「いまは、混乱しないためにこの部屋に何もいれていないのですけれど、もうちょっとしたら普通の病室のように、テレビを部屋の中に入れて、部屋で見られるようにしますからね」

それを聞いた東は笑顔になった。

やがて、この日の夕方、外に出ていた東のテレビ付きの棚が、室内に持ち込まれた。

夕食を終えて、誰もいなくなってからテレビをつけると、罪を犯した人が逮捕される様子の映像が流れていた。東の胸がキュッと締め付けられた。やがて夜の薬を持ってやってきた男の看護師に、東は「わたしはここを出たら家に帰れるんですか」と尋ねた。「例えば、ここを出たら次は刑務所に送られるのでは」。それを聞いた看護師は、「それは、ないない。刑務所は罪を犯した人が行くところだから」と言った。自分のしたことが罪であるような意識のある、東は混乱してしまった。

「美大生」、「心配なのは」、「旅する」、「エリア」、「悲しいことがあったのか」。小説を書いていた頃に使っていた言葉をテレビで聞くと、あからさまに自分のことを言われているような気がしていたたまれなくなった。


翌日、東はテレビを消して、棚の中から母の持たせてくれた小銭を探すことにした。母に電話しよう、と思い立ったのだ。小銭は棚の引き出しのポチ袋の中に入っていた。十円玉が四枚と、百円玉が三枚だった。

東はこの日の昼、デイルームに赴いて電話ボックスの扉を開けた。電話ボックスの中には一人座ることのできる赤い椅子と、白い机の上に緑色の公衆電話が備えられていた。

東は家の電話番号を覚えていた。十円コインを一枚投下し、ゆっくりと番号を押した。呼び出し音の後に、母親の声が「もしもし」と言った。東は「もしもし」と答えた。すると母の声は、「あーよかった。声聞けたー!」と、いかにも安心したような様子で言った。母親は「何時から何時までの間、部屋を出られるの?」と尋ねてきた。東は「昼十二時から二時だよ」と答えた。ここでコインが落ちて、電話が切れた。時間切れだ。これ以上に話をしたかったら、もっとコインを投下するか、テレフォンカードを使わなければならない。東は、持っていたあと三枚のコインを全て投下し、また電話をかけた。

「もしもし、ごめん、切れちゃって」

「もしもし。大丈夫だよ」

母親は、

「前期の最初の課題の成績は、来年に持ち越せないんだって。それでも、書いていた小説は、専攻の先生が『面白かった』って言っていたそうだよ」と言った。東は、少し心がふわっと軽くなったのを感じた。「面白かった」、その一言がずっと欲しかったのだ。

「誰先生が言っていたの?」

「それは聞いていない。『先生が』としか」

「そっか……」

「それでいまは、後期休学する方向で動いている」

「えっ、休学」

「こういう状況だし、それしかないでしょう。それとも何か、やりたいことあった?」

「い、いや。ないけど」

「うん。わかった。それでね、後期、半年間休学して、その先の選択肢は三つ。来年四月から復学するか、自主退学するか、それとももう一年休学するか、この三つのどれかになるんだって」

「もう一年休学も、できるんだね。わかった」

「それからね、いまこういう状況だし、大学の近くに借りてたアパート、引き払うことにしていいかな? 家空けているのに家賃取られている状態だから……もう解約したいんだけど。どうする?」

「いいよ。もう戻らない」

「そう、戻らないのね。じゃあ、その引越しのほうもこっちで進めておくよ」

母がそう言った後、時間切れになって電話は切れた。


翌朝、母親から十枚ほどのテレフォンカードが届けられた。父親が使用済みテレカを集めているため、使い終わったテレカは捨てないで取っておいてほしいということが、看護師から伝えられた。看護師は続けて、「今日もう一度くるけど、何か持ってきてほしいものある? って、お母さんから聞かれた」と言った。東は寝ぼけながら「うさぎのぬいぐるみ」と答えた。妹の蓮花(れんか)から誕生日に貰った、アパートで一緒に寝ていたぬいぐるみだった。ピンク色のからだをしていて、「うさこ」という名前がついていた。

デイルームに外出できる時間が増えたので、十五時半にデイルームへ行くと、そこに日野先生がいた。

「東ちゃん、ミルクのことなんだけど」と日野先生は切り出した。

「はい」

「採血の結果、チロシンがどうやら足りてないみたいなんだよね」

東は前日、病室で採血を受けていた。

「チロシンですか」

「もうちょっとミルクの量増やしていい? それか、量は減らして回数を増やすか」

「わたし的には、三回目があってもいいのだけどなと思っていました」

「あ、そう? 回数増やす?」

「量よりは、回数を増やしたいです」

「わかった。明日から増やすね!」

日野先生は、そう言って去っていった。

この日の夕方、ぬいぐるみのうさこが東の病室に届けられた。うさこを抱くと、不思議と、蓮花と一緒にいるような気持ちになった。


七時、十二時、十七時半に食事をし、十時、十五時、十九時にミルクを飲む。その他の時間はデイルームの本を読んだりテレビを見たりして時間を潰す。朝と夕方に検温と血圧測定を行う。二十時にジプレキサを飲み、二十一時に消灯する。恐ろしい声が聞こえる時にはナースコールをしてクエチアピンを飲む。時折、気が向いたらシャワーをする(東はすでに介助なしでもシャワーができるようになっていた)。そんな日々が続いた。うちに、わかったことがあった。東の頭痛は偏頭痛なのでカロナールは効きにくいこと。クエチアピンが幻聴のほか、偏頭痛にも効くらしいこと。また、日々をすごすうちに東自身にも変化があった。最初の頃は書いていた小説や、自分の罪のことばかり考えていた東が、退院したらやりたいこと、前向きなことを考えられるようになってきたのだ。ブロックメモに書く内容も、増えた。しかし、「人を殺したい」という口癖は相変わらず口をついて出てきていた。テレカを手に入れたので、母と通話することが度々あり、母から、三ヶ月間の入院予定であること、薬は退院してからもずっと飲み続けなければならないこと、病名がつくとしたら「統合失調症」らしいことが告げられた。どうしてそうやってわたしに隠すんだろう、と東は思った。母は「人を殺したいっていうの、口癖、治るまでは退院できないよ」と言った。東はわかってる、と答えた。しかしどうすればその口癖が治るのか、本当に入院中に治せるものなのか、東には皆目見当もつかなかった。


ある日、東がブロックメモに、「退院したら織りたい布の図案」を描いていると、瀬夏先生がやってきて、「こんにちは」と言った。東も「こんにちは」と返した。瀬夏先生は、「日記です?」と尋ねた。「いえ、アイデアスケッチです」と東は答えた。瀬夏先生は「そうですか」と言った。

「これから東さんは、四人部屋に移ることになります。そして、人のいる環境に慣れて、大丈夫になってきたら退院という流れになります」

東は少し不安げな顔をした。

「いまこれからベッドを移動して、四人部屋に移りますよ」と瀬夏先生が言うと、数人の看護師がやってきて、ベッドと棚を運び出す準備を始めた。東はベッドから降りた。うさこの乗っている白い柵付きのベッドが、部屋のドアを開けて、外に運び込まれていく。東はその後をついていった。

その部屋は「2−316」という名前の部屋だった。東の元々いた病室は「2−311」なので、新しい部屋は五部屋ぶん離れたところにあった部屋だ。

カーテンで仕切られた一人用のスペースの中に、ベッドと棚は設置された。ベッド横だったテーブルは、今度はベッドとの間にスペースをおいて、壁にくっつけて置かれることになった。そのテーブルに向かい合うための茶色い椅子が用意された。今日からテレビはイヤホンで聴かなければならなくなった。また、洗面所とトイレは四人の共用なので、自分の私物……パンティーライナーやマグマグを洗う洗剤などを置きっぱなしにすることができなくなった。代わりに、この日からは消灯までの間、いつでもデイルームなどに出られる許可をもらった。ミルクも、これからは東のすきなタイミングで、水道から汲んだ水をデイルームの電子レンジで熱湯にする、自分で作るという仕様に変わった。

看護師と瀬夏先生が去った後、東はブロックメモに書きつけた。

『4人部屋にうつった。今日からこの部屋で暮らす。置きっぱなしにできないことが今度は新しいストレスになりそうだ。それから、静かにしていなくちゃならないことも……。体がだるい。少し休みたいと思う。』

新しい部屋の天井には監視カメラのようなものは見当たらなかった。それから、カーテンで仕切られたこの空間には、壁掛け時計などの時計がなかった。東は時間がわからないのは困るので、母に電話して、アパートで使っていた置き時計を持ってきてもらうことにした。

「もしもし、お母さん」

「もしもし。東、久しぶり」

「今日から四人部屋に移ったよ」

「あ、そう! 今日からなんだ」

「それでね、新しい部屋、時計がないの。時間がわからないの。今度くるとき、アパートで使っていた緑色の置き時計を、持ってきてもらえないかな」

「ああ、あれね。わかった」

「それから、わたし、退院したらやりたいことを色々と考えてたんだけどさ……」

「うん」

「退院したら、また織りをやりたいな。そんなに大きくなくても、小さいコースターでもいいから何か織りたい。自分で織ったコースターを、食卓で自分で使いたいんだ」

「あら! いいわね!」

画像1

キャンバスの木枠の、上下に真鍮釘を0・5ミリ間隔で刺していく。そこに経糸となるタコ糸を張ると、簡易式の織り機ができあがる。東は元々、織りをやりたくて美大に進んだ。しかし美大では、東のやりたいつづれ織りはできなかった。課題が少なかった一年の頃は、家に籠って布作りばかりをしていた。二年、三年、四年になるうちにどんどん忙しくなり、気づけばそれもできなくなっていった。

後日、その置き時計と新しい下着を持って、母が来院した。東は看護師に使用済みの下着を預けて母に渡してもらった。

四人部屋の一角で静かに、退院したらやりたいことを考えるばかりの日々が続いていた。いい加減にそろそろ病衣を脱ぎ捨てて、自分の服を着たい。生活がしたいと思うようになっていた。


数日後のある日、東がブロックメモにイラストの落書きを描いていると、瀬夏先生がやってきて「こんにちは」と言った。

「調子はどうですか」と尋ねられたので、

「今日は調子いいです」と言った。

「そろそろ、普通のペンを使うことを許可しましょうか」

「え、本当ですか」

嬉しくて、思わず笑ってしまった。東は照れ隠しで、自分のイラストを指差し、「美大生なのに絵が下手で恥ずかしいです」と言ってみた。瀬夏先生は、「そんなことないですよ、味のある絵ですよ」と言ってくれた。

瀬夏先生が去った後、東はブロックメモに書きつけた。

『嬉しいと笑ってしまう癖がどうにかならんものかな。感情むき出し、子供か! ちょっとどころじゃなく恥ずかしい(笑)。』

『6月30日に入院して、今日8月4日です。3か月の予定とあったので、もうじき半分です。まだ半分か。ストレスもたまるがこの生活が私には必要だったのだと割り切ってすごしている。じきに家に帰れるはずだ。』

『ノートとペンとスマホが持てるようになる日が待ち遠しいです。何か物語をつくりたいな。』

東は、母親に電話し、万年筆の入った自分の筆箱と、入院前から使っていたB5の赤いノートを持ってきてもらうことにした。

その日、東はブロックメモにこんなことを書いた。

『星先生に会いたい。あの小説はそのために書いていたようなものだ。ちゃんと製本して、その上で会いたい。これ書いてて体調壊しましたと。休学しますと。やはりあの人には言わなくちゃならないだろうから。』

星先生とは、星かずまさ先生といい、東の恩人だ。高校三年生のとき、美大受験のための鉛筆デッサンを習った、A市の美術教室の先生だった。美術教室は星信子(しんこ)さんという星先生の奥さんと、ご夫婦で経営していた。人形作家の信子さんは子供達の絵画や人形作りを主に担当し、油絵画家のかずまさ先生は受験生のデッサンを主に担当していた。

その夜、東はまた手が消えている夢を見た。今度はスマホと母親の幻覚も見た。何だったのだろう、またよからぬことを考えたのではないか、と東は思った。

デイルームで『はてしない物語』を、病室で『少年H』を少しずつ、読んで時間を潰す日々が続いた。

日野先生は東の病室に時々きて、東と話をしてくれた。ある時は東の読んでいる本の話を、またある時はセクシャルマイノリティーについての話をした。さらに、東が「日野先生、わたし、大学をやめるかもしれないです」と言った時、日野先生はうんうんと頷いて、「それもいいよ。健康っていうのは、東ちゃんらしくいられるということだから。美術大学にいて、東ちゃんらしくいられなくなっちゃったなら、退学を考えたっていいと思う」と言ってくれたのだった。


後日、届けられたB5の赤いノートに、万年筆で早速こんなことを書きつけた。
『リハビリがてら、文章を書いてみようと思う。でも何を書けばいいのかわからない。今更、書くことなど何もないと思える。

あれから、何度も考えている。退院後のこと。果たして、「人を殺したい」という口癖は治るものだろうか? それだけが不安である。あとのことは、また後でいくらでも考えられると思うけれど、私は今は、空想くらいしかできないものでな。「あれやりたい」とか、織作品作りたい、と思っても、その完成の空想しかできないわけだよ。実際に手を動かすことは、文章でなら、できないことはないが、作品を作るということはもうできない。因みに美大にはもう戻らない気でいる。春からずっと、予感はしていた。「死ぬかも」「いなくなるかも」という予知夢をたくさん見ていた。まさか精神科に入院するとは思ってもみなかったが。』

『元々、織りがやりたくて美大に行ったのではなかったか。景観で本当に良かったと思うが。何か織りたい。生きていくことは、食べていくこと。つまり、食卓を制すものが生命を制す……。私は、「そっち側」に行きたいのである。手始めに、まずは家族4人分のコースターを織る。』

『物語を、知れば知るほど、読めば読むほど、書けば書くほど、自責の念が強まっていく。人生とは、本質どれも変わりなく、誰の人生も結局一つの同じ結論しか導き出さないようで、うんざりする。私は今、何の為に読むのだろう。また何の為に、書くのだろう。』

『全ての元凶は若さだった。若いということは最高の素材であるように見えて実はそうではない。時に全てを狂わす原因にもなるのだ。珍しいことではないと思う。私は若すぎたし、清すぎたのだ。いけないことではない。ただ程度というものを知らなかっただけ。無知の罪だけだった。無知を知った後は改善するように努力すればいいだけだ。』

『私はもう美大生ではないし、芸術家でもないのだよ。22歳・PKUの多木東です。美大はまるで、『はてしない物語』のようだった。夢というか、望みを次々に見せつけてくる。ある望みから、次の望みへ、次々にジャンプしなければならなくて、大変、楽しかった。今となっては、という意味だけど。

万事、進むのだ。止まることなどできないし、戻ることなど尚更できない。私が次に進む先は……退院という目標だ。外泊の話など、これから近い内にあるだろう。見たくないものは見ないと決めている。それなのに、何を見ても劣等感を抱いてしまうのは、「美大生」がまだ抜け切っていないのだろうか。世の中の人達は、きちんと「制作」して、偉いなあと思ってしまうみたいだ。もうそんなこと、考えなくてもいいのにね。』

ノートが手に入ったことで、読むことよりも書くことが多くなったようだった。


別のある日、東がそのようにノートをつけていると、また瀬夏先生がやってきて、「あら、精が出ますね」と言った。

東は少し照れた様子で「はい」と言った。瀬夏先生は「やっぱり東さんにとって書くことは切っても切り離せない存在なんですね」と言った。東は「そうかも知れないです」と言った。

瀬夏先生は「いまから少し、東さんの病気について説明したいので、面談室にきてもらえるかしら」と言った。東は「はい」と答えた。

瀬夏先生の後ろについて、東は面談室へと通された。面談室には、楕円形のテーブルが一つと、背もたれの大きな色鮮やかな椅子が二つ、置かれていた。奥の椅子に瀬夏先生が座り、手前の椅子に東が座った。

東に、ポップな字体で「統合失調症ってどんな病気?」と書かれたB5版のパンフレットが手渡された。

「お母さんにはもう渡してあるのですけど」と瀬夏先生は言った。「あなたが回復するまでの過程」と書かれたページに、ギザギザしたグラフが描かれていた。「前兆期」、「急性期」、「休息期」、「回復期」と、段階に名前がついていた。

「東さんはいまこのグラフの『休息期』に当たります」

東は、調子がいいと感じるのに、まだ休息期なのか、と思った。


七時半と十二時と十八時に食事をし、十時と十五時と十九時にミルクを飲む。朝夕も並んでトレーを受け取るようになるに当たって、食事の時間が三十分ずれ込むことになった。ジプレキサは飲むタイミングが就寝前から夕食後に変わった。そのうち、スマホも許可された。看護師が持ってきた東のスマホは、黒いカバーに包まれていた。東は黒を「罪の色」だと連想した。怖いと感じて、しばらくスマホを触ることができなかった。スマホを触らずに、本を読んだり、テレビを見たり、ノートに考えをまとめたりするばかりの日常が続いた。


ある日東がベッドに横になってテレビを見ていると、男の看護師がやってきて「多木さん、ちょっと」と言った。

「入院生活を、我々がちゃんとサポートするために、何か心配事がないかアンケートを書いてもらっているのだけれど」と言った。渡されたA4の紙は、そのアンケート用紙のようだった。

「今日の夜、アンケート回収にくるから、それまでの時間で書いてもらえる?」と男の看護師は言った。東が了解すると、じゃあよろしくと言って去っていった。東は自分の万年筆でアンケート用紙に名前を書き、該当するものに丸をつけたり、文字を書いたりした。


後日、瀬夏先生がやってきて、「こんにちは」と言った。

「調子はどうですか?」

東は、「調子はいいのですが、『人を殺したい』という口癖が治らなくて、それだけ心配です」と答えた。

「アンケートにも書いていましたね」と瀬夏先生は言った。「どんな時に言ってしまいます?」

「過去を思い出して、自分を殺したくなる時です」

瀬夏先生は少し考えたようだった。そして、

「自分を罰したいときってあると思うのですけれど、『人を』という表現だと言いたいことと言ってることが噛み合っていない感じがしますね」と言った。

「ああ、確かに」と東は言った。

「言いそうになっちゃったら、他の言葉に置き換えてみるというのはどうでしょう? 他の言葉というのは、言葉を考えるのは東さんの得意分野でしょうから」

「なるほど」

「入院生活の、残された期間でその言葉を考えて、置き換えていきましょう」

そして瀬夏先生は去っていった。

「嫌なこと思い出した」

それが東の見つけた言い換えの言葉だった。「人を」と呟いて、その後すぐに「嫌なこと思い出した」と言い直す、そんな日々が続いていった。

そして、八月の下旬に差し掛かった頃、東の試験外泊の話が瀬夏先生から伝えられた。


二○二○年八月三十一日、東は試験外泊で久々に家に帰ることになった。

腕にずっとつけられていたネームバンドを、看護師がハサミで切ると、なんとも言い難い解放感を感じた。

迎えにきた母が持ってきた藤紫色のボーダーTシャツと、青色のリネンズボンを東は身に着けた。外来にきて入院した日と同じ格好だったが、それでも東は「自分の服装」になれたことに幸せを感じた。

東は自分の持ち物を紙袋の中にまとめた。スマホと、うさこも入っていた。

コロナの関係で、どこにも寄り道をせずにまっすぐ帰宅することが条件だった。病棟を出て、病院から出ると、外はむあっと暑く、この暑さも、東にとっては久しぶりの体感だった。東と母は駐車場へ向かい、自分達の車に乗り込んだ。東は助手席に座って、母はエンジンをかけた。聞き覚えのある音楽が車内に流れた。車は緩やかに発進した。

東の隣でハンドルを握る母が、「いまどんな気持ち?」と尋ねてきた。東は「ずっと病衣を脱ぎ捨てて自分の服が着たいと思っていた。だから、嬉しい」と答えた。

片道一時間半かけて、東たちは N市にある自宅へまっすぐ向かった。

家では、受験生の妹、蓮花が東たちの帰りを待っていた。「ただいま」と東が言うと、蓮花は二階から降りてきて「東ちゃん、お帰りなさい!」と言った。東は、「蓮花、久しぶり」と言った。

東のアパートから引き上げた家具で、家の廊下はいっぱいになっていた。「蓮花が大学に進学して一人暮らしするようになったら、東の使っていた家具をお下がりにする予定だから。いまはとりあえずここに置いている」と、母は言った。

東はまず、蓮花と共用の勉強部屋に行き、受験勉強をする蓮花の隣で、小さな布を作り始めた。釘を打ったF3のキャンバスの木枠にタコ糸を張り、刺繍糸で布の始まりのところに玉留めをする。そして、タコ糸の間に刺繍糸を交互に通していく。色を変えるだけでできる、シンプルなボーダー柄にした。

やがて、その布を織り上げると、経糸を断ち、機から布を取り外して、「二時間で仕上げた」と言って母に見せた。母は「二時間? 二日じゃなくて? すごいね」と言った。東は、「明日から、マグマグの下に敷いてコースターとして使う」と言った。「退院したらこういうのいっぱい作りたい」とも言った。

その後東は、「ゲームがしたい」と言い、テレビゲームの『塊魂』をプレイすることにした。受験生の蓮花は、東と二人でゲームをする時間を取ってくれた。母は家事をしながら、二人がゲームをするところを微笑ましく見守った。

夕方六時になると、仕事に行っていた父親、多木賢志が帰宅した。賢志は「東さん、お帰りなさい」と言ってくれた。太っていて度々断食をする期間を設けている賢志は、いまちょうど断食をして三日目とのことだった。

だから家族四人で食卓を囲むことはできなかった。けれどそれもいつものことだった。東と、蓮花と、母の三人で夕食をとった。東の食事は入院の食事に似た、低蛋白質の特殊なご飯と、野菜だった。そこに織りあがったばかりのコースターを敷き、自分のコップを上に置いた。蓮花が「それ、さっき作ってたやつ?」と訊いて、東は「うん」と答えてコースターを蓮花に手渡した。蓮花はコースターをまじまじと眺め、「すごいね」と言った。東は、「明日からこれ病院で使うから」と言った。

聞いていた賢志が、「どれ、お父さんにも見せて」と言ってきた。

「すごいね。お父さんにも作ってよ」

「退院したら、そうするつもりだよ」と会話を交わした。

夕食後にジプレキサを飲んだ。夜は蓮花と共用の寝室の、自分のベッドでうさこと一緒に眠った。

入眠しようとしていた時、また、身体が勝手に動く感覚が東を襲った。病院から持たされたクエチアピンがあったことを思い出し、半錠のクエチアピンをひとつ飲んだ。東は居間にいた母に、「知らない男の声が聞こえて、身体がモゾモゾ勝手に動くの、怖いの」と言った。母は「まだ本調子じゃないんだろうね」と言った。


翌日の夕方、東は織ったコースターとうさことともに病院へ帰還した。

病棟に入ると、瀬夏先生が出迎えて、「お家はどうでした、やりたいことできたかな」と言った。東は「はい」と答えた。

「何してました?」

「布を織って、ゲームしました」

「あら、いいですね」

そこへきた看護師の手によって、家から持ってきた荷物をチェックされた。病院で使うように持ってきた爪切りと電動シェーバーが危険物とみなされ、没収されてしまった。「刃物は持たせることができないようになっているんです。使いたくなったら声をかけてもらって、その時お渡しするという形になります」と看護師は言った。

新しいネームバンドが腕に取り付けられると、また病院で長い時間をすごす日々が始まるという実感が湧いて、東は少し残念な気持ちになった。家にいた時間の余韻に浸りたくて、しばらくは私服から着替えないでいた。しかし、東の病室へやってきた看護師に、「病衣に着替えておいてね」と言われ、東は仕方なく薄青色の病衣に着替えた。ベッドの上にうさこを寝かせ、水の入ったマグマグの下に、ボーダー柄の手織りコースターを敷いた。

瀬夏先生は、「自分で判断してクエチアピンを使うことができたなら、今回の試験外泊は合格です。これから、退院に向かっていけると思います」と言ってくれた。「例の口癖も、少しずつ直していきましょうね」と言っていた。

そんな東が退院したのは、二○二○年九月九日のことだった。


     ☆

東は真夜中の一時に布団の中で目を覚ました。しばらくそのままベッドでじっとしていた。やがて四時になると、空腹を感じた東は起き出して、階下の居間へ向かった。空きっ腹に何か食べようと思い立ったのだ。居間では東の母が起きていてテレビを見ていた。東は母に「何か食べる」と言い、ココア味の焼きドーナツと、インスタントのコーンスープを食べ出した。

コーンスープを食べている時だった。不意に、家がガタッと揺れた。テレビの情報によると、O市を震源とする、震度1の揺れだった。コーンスープを食べ終わり、少し母と話をして寝室に戻った。明け方五時まで、寝付くことができず、すっかり明るくなった時分にようやく眠った。東は眠っていて気づかなかったが、朝の八時頃にもう一度同じ場所で地震が起きていた。

東は九時に起床した。

寝不足の東は緊張していた。いま思えば朝方寝付けなかったのもこの緊張が原因かもしれない。腹痛がして、何度もトイレに駆け込んだ。この日は人と会うことになっていた。

午後一時半に家を出て、片道一時間半かけて、東を乗せた車は星かずまさ先生の教室へと向かっていった。

黒いスマホケースが怖くなくなってきたある日、東はフェイスブックを開いて「なにか、織りたいな」とだけ書いて投稿した。投稿には、美大にいたかつての友人達からの「いいね」が三つつき、星かずまさ先生からは、こんなコメントが寄せられた。

『織りに来い……織り機貸すよ! 持って行ってもいいよ』

星先生の家には、木枠機ではない、本格的な機織り機が二つあった。そのコメントを見た東は、こう返事した。

『行きたい! 本当にいいんですか? いまはまだ入院してるので、退院したらぜひ織りに行きたいです……!』

星先生はそれに対し、『来い! 待ってるよ!』と返事をくれた。


あれから何ヶ月も経った今日、二○二一年四月十六日、美大をすでに退学した東は、星先生と会う約束をして、いままさに会いに行こうとしていた。

星先生と、信子さんにプレゼントする、青と黄の二枚のコースターと、『No title』を書いた原稿用紙の束を持って。

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