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人権的に正しい通信速度話

ほりまさたけさんのnoteで「ネット接続は人権である」という議論のことを読んで、意外と本質的な話かもしれないなあと思っています。「ネット上で授業を行うにしても、肝心の学生たちが通信量が十分にあるネット回線をもっているか、ひとによってはスマートフォンの回線だけではないかという懸念がある」と指摘しています。

もちろん教育をうけられなかったところで生命の危機とかはないのですが、教育を受ける権利は「社会を生きていく上で人間が人間らしく生きるための権利」である社会権の一つと考えられていて、日本でも憲法で定められています。もし教室が校舎からオンライン上に移ったなら、通学であるネット接続が現実的であることまでがセットで教育を受ける権利、つまり人権であるというのは思いのほか筋が通ってる感じがします。

もちろん接続できるだけではなく、授業への参加に堪える通信環境が必要で、それにはある程度の通信データ量(パケット)も通信速度も必要。友人が「下り200Kbps、我が家の人権が」「600Kbps、今日も人権をはく奪されてる」とFacebookに投稿してて感覚的には「分かるわー」とか思ってたのですが、その根っこがここにつながっています。でも同じ事業者のたぶん同じようなマンション向けプランだからある程度は予想してたけど、ある日の自宅もっとひどい。僕の人権どこ行ってもうたんや。

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この「通信速度は人権」みたいな言い回しが生まれた発端は、2018年末の以下の退職エントリの「ソフトウェアの開発をしているというのにメモリが4GBとか(略)そんな非人道的な環境での作業を強いられている」という一文だったと記憶しています。ここが妙に注目されてネット上では「メモリ8GBは人権」などというパワーワードが生まれましたが、最近のTweetを検索すると納得ラインが16GB、異論が出ないラインが32GBぐらいまでエスカレートしているようです。

わざとふざけた言い回しとして人権という大仰な言葉が選ばれていますが、でもわりと本質的な一面もあります。勤労権もまた社会権の一つとして日本憲法でも定められており、その文言は「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」とまず権利であることが先。よく「仕事なんてしたくない」なんて言葉は聞かれて勤労こそ義務感が強いですが、でも労務そのものは別にして、わりと僕たちが勤労を通じて社会に貢献し社会に認められたいというのは「人間らしく生きたい」という欲求の一つで、働く機会・働ける環境はたしかに基本的な権利として求めたいものだなと。

そうであれば、能力や運のせいではなくメモリや通信速度といった仕事道具のせいで成果が上がらない、貢献や承認が得難いというのは結構なストレスかも知れません。会社の仕組みや決まりで定められた道具だからと言われることもありそうですが、交換してしまえば改善できそうなのにそれが許されないとなるなら、なおさらストレスでしょう。以下は最近読んだ文章からですが、僕はこの個所に深くうなずきました。

私は「人生のコントロールを剥奪されている」と感じているがゆえに、幸せではないのである。前にも書いたが、「コントロールを剥奪される」と、人間は、不幸になる。場合によっては、心身に異常をきたす可能性もある。

自宅のネット環境で昨年1年間リモートワークとオンライン・ミーティングをしてきたのですが、声が聞こえなくない、画面が見えない、サーバー上のファイルが開かないという不便を感じるようになったのはここ2ヶ月くらい。そこに対してできるのは苦情を入れるくらいで、それも通信速度はベストエフォートですもんとか言われればそこまででです。僕は人生的な欲求に対して、ちょっとコントロールが奪われてる感があるわけです。

しかし「メモリ8GBは人権」だとしたら、通信速度はどれぐらいが人権なんでしょうね。ふたたびTwitterで検索すると「1Mbps以上は基本的人権」「一桁Mbpsはマジで人権ない」「通説は通信速度30Mbps」「通信速度は3桁が人権なの?」「最低下り300Mbpsないと人権ない」とかすごい幅があるのだけど、オンライン・ミーティングのツールの通信量だけで考えれば1Mbpsで足りるのかな。リモートファイルでの業務を考えるともう少し?メモリ8GBに準えるなら「通信速度8Mbpsは人権」とかかな。

実は2月末で退職となり再(再)就職までの3カ月間は分かりやすい形で勤労権から遠かったのですが、その間に前述の「人生のコントロールをはく奪されている」という感覚の辛さは実感として理解できました。コロナ退職やコロナ退学のようなはっきりとした決定的な形だけでなく、コロナ禍での三密回避に通信環境の不十分が重なると、働きたいとか学びたいとかいうわりと基本的な人権がボンヤリと分かりにくい形でも損なわれそうです。引き続き三密を避ける新しい生活様式が長丁場になるなら、「ネット接続は人権」はアフターコロナの足まわりに関わるわりと本質的な問題に思えます。

……なんて他人事感ある言い方だけど、仮に瞬間“最低”風速だとしても僕の家の0.07Mbps=70Kbpsは相当な話で、まず僕の「働きたい」周りのコントロールが先だよな。どうしたものかな。

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