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One ear, one year。2018年の突発性難聴と2019年の働き方の話。

2018年は明けてすぐに突発性難聴に見舞われ、耳の新しい状態との付合い方を探る一年間だった気がします。一応は2019年につながる形で年を納められそうなことに感謝しつつ、振り返ってみたいと思います。

1月、突発性難聴を患った

年明けの1月6日。土曜日で仕事はお休みで、夜には馴染みの珈琲専門猫廼舎のガレット・デ・ロワ会に夫婦で伺う予定の日でした。起きてすぐ、耳の変調に気づきました。耳閉感があり「今朝起きたらなにか耳がモワンとしてる。所用で近所に向かったところ、軽くふらつく」とメモを残しています。また外に出て気づきましたが、音が小さいというか、遠いという感じがあります。

たまたま数週間前のブログ記事で「突発性難聴になったら、全てのものを投げ捨てて、病院です。発病後、48時間が勝負です」と呼びかけるTweetを見ており、すぐに近くのいつもかかる耳鼻科クリニックへ。3分の距離でも時折ふらつきを覚えながらたどり着き、診察と検査を受けました。

鼓膜の動きを見るティンパノメトリー、気導と骨導それぞれの聴力を計る標準純音聴力、医師の指を目で追いかける自発眼振と注視眼振、足踏み検査、ゴーグルのようなものを付けて行う頭位眼振検査と頭位変換眼振検査などの平衡機能検査。一通りの聴力とめまいの検査を経て、突発性難聴と診断され、1週間の投薬が決まりました。

直後の症状、めまいを知った

診察後に湧き上がったのは、耳が聞こえるようになるかより、聞こえないことを前提に生活と仕事がどうなるかという心配でした。完全失調ではない。耳以外に異常はない。打合せなどは難しいけど、コミュニケーションの中心はメールとチャットの時代だ。PCに向かう技術仕事はできる。生活も一人のことや最低限の買い物はなんとかなるだろう。映画館は難しいかな?

夜、予定通りに珈琲専門猫廼舎に向かったのは「大したことはない」と自分で思いたかったのかもしれません。病院にも歩いて行けたのだし、ほぼ電車移動で歩く距離は少しだし、と。まず電車で数駅で気持ち悪くなってきました。新宿で乗換えるために階段を下る途中で悪化。それでも我慢して四谷三丁目に移動し、駅を出たところで吐き気が堪え切れなくなり、また眩暈がします。

視線方向を中心に、つまり前後左右どころではなく上下左右が回るめまい。天地が逆転するので、立ってられなくなります。乗り物酔いの酷いもの、という感覚。あとで乗り物酔いのメカニズムを知って、これは同じだな、と思いました。

乗り物に乗って、発進・停止の反復、スピードの変化、前後・左右・上下(最も酔いやすい刺激)・回転などの刺激を内耳が受けると、その情報が脳へ送られるのですが、慣れない刺激がくり返されると情報過多となり、脳が混乱して、自律神経に異常な信号を送ってしまいます。そうすると、生あくび、生つば、冷や汗、顔面蒼白、手足の冷感、気持ち悪さなどをおこし、ついには吐くなどの症状が出てしまうのです。
【耳と聞こえのQ&A】<乗り物酔い>:社団法人 日本耳鼻咽喉科学会

聞こえの変調で、脳はそうでなくても情報過多になっていたでしょう。病院行には使わなかった電車こそ鬼門で、突発性難聴の発症直後に動き回ってはいけないことを痛感しました。

仕事を続ける準備をした

一晩休んで体調は落ち着き、翌日曜日は大人しく、それでも家から目と鼻の先の喫茶店に食事に出てみたりと、自分の行動限界を少しずつ探りました。前日のような眩暈はでない。相変わらず耳は聞こえてない。ただし何かの音(例えば信号の音、バイクのエンジン音、救急車のサイレン音、等々)が、ハウリングしたみたいに大音響で聞こえることがある。

翌々月曜日は祝日で、前日の調子を踏まえて、火曜日からの出勤する気持ちを固めました。仕事は回復するまで聞こえない前提で続ける、周囲に配慮してもらう必要があると考え、耳に注目してもらえるようセパレートのイヤーマフをすることにしました。また前述のハウリングもどきに備えるため、耳栓をすることにしました。

電車で出勤できるかの確認も兼ねて、数駅先の池袋にこれらを買い揃えに行きました。もうめまいや吐き気には襲われないこと、駅の発車ベル音でもハウリングもどきが起きることなど、いくつかわかったことがありつつ、帰宅しました。

目覚ましについて考えた

三連休中に、右耳は急速に回復していきました。突発性難聴者としての出勤初日、職場で症状やできること、難しいことを説明し、働き方を調整しました。仕事柄、受け入れやすいとはいえ、理解を示してくれた職場には感謝の一言でした。おっかなびっくり業務を終えて帰宅、早々に休みました。

翌水曜日の朝、別の問題に気づきます。顔を横向けて右耳を枕に押し当てて寝ていると、目覚ましの音が全く聞こえませんでした。耳に頼らない起床手段が必要でした。実はこれは難聴者の頻出問題らしくて、かつてはカーテンを開けて寝る(日の出とともに目覚める)、部屋を寒くして寝る(眠りを深くしない)など、眠りを犠牲にする対応をした人もいるようです。

幸い、少し前から睡眠改善、睡眠計測にスマートウォッチの購入を考えていて、それらに振動での通知や目覚ましの機能があることを知っていました。仕事が終わるとその足で家電量販店に向かい、在庫のあったFitbit Alta HRを買って帰りました。これはやがて、睡眠時だけでなく外出時には手放せないものになりました。

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1週間経過、転院を決めた

1週間のステロイド投薬を経て、右耳はかなり回復したものの、左耳が回復していない感覚がありました。以下のような記事も目にし、治療にタイムリミットがあるならと多少なり焦りもありました。

突発性難聴が治るかどうかは、どれほど早く治療をはじめられるかが大切なのじゃ!できれば48時間以内、遅くとも2週間以内には耳鼻科で診察を受ける必要があるのじゃ!
発症後2週間がリミット!?突発性難聴の原因や治療法|シニアのあんしん相談室‐補聴器案内

クリニックと相談して、ステロイド投与量を増やす、それには投薬から点滴に切り替える必要がある、そのためには総合病院や大学病院に転院という話になりました。幸いに、難聴治療に定評のある慶応医大病院の初診予約が取れ、クリニックにも紹介状を用意してもらえました。

再び各種検査と診察の上で、1週間の点滴開始。毎日通院となり、職場には午前半休を認めてもらいました。受付の開く8時半には病院に着くようにし、11時には病院を出て午後には出社というサイクルになりました。聴力は点滴終了時でも少し回復しており、その後ゆっくりと回復していきます。

聴力は回復した、2週間経過後も回復し続けた

聴力は、どれくらいの音圧(音の強さ)から聞こえるかをデシベル(dB)単位で表し、いくつかの周波数(音の高さ)で計測します。この聞こえ具合を所定の方法で平均をとったのが平均聴力になります。

私の場合、1週間の投薬を経て転院直後の検査では、4分法での平均聴力が右耳31.3dB、左耳73.8dBでした。これが転院し1週間点滴を受けた後には右耳26.3dB、左耳65dBになります。発症から2週間経過以上経過しており、これが最終的な聴力になるかなと思っていましたが、その後も回復は続きました。平均ではなく、素の計測結果をグラフで見ましょう。まず右耳です。

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濃い青い線が最後の計測結果である9月11日。低~中音域(125~2,000Hz)で回復が見られます。続いて左耳です。

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左耳はさらに、低~中音域(125~2,000Hz)の最初の状態が悪く、回復も大きく見られます。この音域は肉声が収まる範囲で、ここに谷があったのはとても会話を難しくしました。1月23日時点で左耳はあきらめたのですが、その後回復してくれたのは非常にありがたいことでした。

最後に検査した9月11日時点では、右耳の平均聴力が18.8dB(健聴者レベル)、左耳が31.3dB(軽度難聴者レベル)まで回復していました。

聞こえにくくなるだけ、ではなかった

ところで突発性難聴というのは、なってみるまでは「聞こえが悪くなるだけ」だと思っていました。実際には、そこから来る復症状の方が厄介かもしれないぐらいでした。突発性難聴の後遺症として、次のようなことが言われています。

症状が重度であったり、発症から治療までの期間が長くなってしまったりした場合などには、治療を行った後も後遺症として耳鳴りやめまい、難聴のような症状が残ってしまう場合があります。(発症後2週間がリミット!?突発性難聴の原因や治療法|シニアのあんしん相談室‐補聴器案内

発症直後に起こった問題を挙げると、耳鳴りは起こりました。私の方が多少軽いながら「耳の聞こえない人は、世界をこんな風にとらえていた」や「淋しいのはアンタだけじゃない」の情景そのままです。また音の方向や距離が分からなくなりました。音を聞き逃す怖さと相まって、外出時には車の接近に気づきにくく、職場でも人の接近や声をかけられても気付けなかったりがあり、非常に緊張し、また始終きょろきょろするようになります。

購入したFitbitは心拍数も計測してくれます。当時のグラフを見ると、一日中、非常に緊張状態にあったことが見て取れます。Facebookには「(1)ひどく疲れるし、(2)異常に汗をかくな、と感じてました。で、そういえばと思い出して気になったのが、(3)心拍数が社内デスクワーク中や会議室ワーク中、外食中などに大抵88超の脂肪燃焼ゾーン」とメモを残しています。

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外出時と言えば、車におびえなくていい電車移動中も、今度は駅到着のアナウンスを聞き逃す怖さがありました。しかしこれはGoogle MapsやYahoo!乗換案内で降車駅の到着時刻を調べて、Fitbitのアラームを設定することで解消できました。スマホ版Google Mapsは、乗車中に地図を表示すればいまどの駅のあたりにいるかも確かめられるので、さらに安心できます。こうしたモノで補うということは積極的にしていきました。

現在でも残る症状、そして転職をすることにした

現在、聴力はだいぶ回復しています。一方で残っているものもあります。まず耳鳴りは相変わらずで、7月には「蝉がもう鳴いてるとか思ったけど新しい音質の耳鳴りだこれ。シャーっていう音、サラサラなにかが流れるような音、フォーンという音、ピーという音に続いて5種類目」とメモを残しています。音の方向感、距離感のなさも残っています。これらの影響もあってか「聞こえるのに聞き取れない…」の場面が少なからずあります。

音としては聞こえるのに話の内容が聞き取れない、「聴覚情報処理障害」と呼ばれる症状について、専門家が聴覚の専門外来を受診した患者およそ100人を分析したところ、20代から30代が全体の6割を占めていることが分かりました。[...]聴覚情報処理障害は、聴力は正常なものの、さまざまな音が同時に聞こえる雑踏のような場所では話の内容を聞き取れない症状です。(「聞こえるのに聞き取れない…」ひとりで悩まず受診を | NHKニュース

注意深くふるまい、聞き落としたこと、聞き間違えたかもと思ったことは早めに確認することで、仕事は支障を出さずに来ています。しかしそのために終日緊張した状態で、午後の業務が始まる頃には疲労困憊という日がかなりありました。半休にしてしまう日もありましたが、勤務を続けるにせよ「定時まであと3時間...あと2時間...」とつぶやきながら時間を食いつぶすような日もありました。

お医者さんによれば、耳鳴りは脳の未適応の部分があり、脳の慣れとともに治まることもあるそうです。聞こえが変わったことによる諸症状も、やはり脳の情報過多といった理解をするとすんなり腑に落ちる部分があり、同様に治まるのかもしれません。ただしそれには1年ぐらいかかるとのこと。私の場合、9月まで聴力が変化(回復)していたので、そこから1年、来年の9月ぐらいに期待ということになりそうです。

すくなくとも現在、私にはオフィス勤務に耐えられないときには自宅勤務したり、拘束9時間実働8時間ではなく間に昼寝2時間を挟んだ8時間勤務といった対応ができる働き方が必要なようでした。約1年間、左耳が思うように利かないという状況と向き合い、最終的に大学卒業以来20年お世話になった沖電気を辞することに決めました。

幸いそうした働き方を容れてくれる会社があり、そこに勤務している知人から声をかけてもらえ、1月からはそちらで勤務を始めることになります。もちろんそうした消極的な理由ばかりではなく(それだけなら事情を酌んでくれる沖電気で成果を出せなくても甘えさせてもらう可能性もありました)、新しい仕事内容への大きな期待感があってこその転職ではありますが、その辺りはまたいずれとしたいと思います。

突発性難聴と付き合う

突発性難聴と分かった直後から、Facebookにはそのことと、仕事や生活への影響を考えたこと、3日後の連休明けの出勤に備え始めたことなどを投稿しました。かつての同僚からは「障害対応気質だよね」とコメントをもらいました。「僕たちは感情的になる間もなく、まず影響度調査、暫定対応、原因調査、そして抜本対策って染みついてるよね」と。

突発性難聴は、私からいろいろな能力を奪い不便をもたらしましたが、痛い、苦しいというものではありませんでした。習い性で(それこそ職業病のように)淡々と向き合い、一つずつ手を打っていくうちに、ここまで1年間を歩んで来れました。もちろん周りにも助けを求め、助けられました。しかし、これはそのように対応していくことができる病気だな、ということも思いました。

もちろん何事もないのが一番ですが、皆様がもし突発性難聴を経験しても慌てずに、急いで、冷静に診察や治療を受け、生活や仕事をチューニングし、うまく付き合っていけることを祈って、このメモを終わりにします。2019年を迎え、そして間もなく平成の次の元号も迎えることになります。新しい一年が、皆様にも、そしてもちろん私にも、幸多い年になりますように。

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ヘッダ画像はlambda_Xの「listen」。

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