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問題解決力と親子関係と時の流れ

親子関係はそれこそ100家族100通りあるんだろうと推察しますが、我が家はあまり良いものではなく、親に子を心配する気持ちはあれど、言葉や態度を受け止める子の側からすると、過剰であったり押し付けでであったりに目が行き、素直にも受け取れなければ有益なものだとも受け止めていませんでした。(実際に有益ではないことも多いと思う)

それでも、10代20代の尖った時期とは、やや受け止めも変わってきていて、ある程度萎びた自分になることで、それなりに親の言い分がわかってきたりもするし、歳をとって人並みの人間らしい悩みも出てくると、その範囲ではある程度親の言い分も理解できたりもする。

対両親には、かつてはなんやかんやと文句を付けられることを嫌って、徹底的に自己開示を避けてきて、それがある意味反抗期的な要素で、この年まで少なからずその態度を継続してしまい、小さな反抗期を十数年も続けてしまった。

ここ最近、自分の中で転職であったり将来の伴侶であったりに、方針をつけ、こう生きたいという道を描いて、そこに向けて自分を変えていく段階においては、それなりに家族向けの説明は必要になり、図らずも自己開示をせざるを得ない形になってきた。

自己開示は恥でする必要のないことだと思っていたけれど、それは今までの自分がテンプレートなみんなにとってわかりやすい、それなりに幸せ確度の高い道を歩いてきたからで、あえて細部を説明せずとも、そう選択するのは自然のことだった(だと思っていたから何かを説明する必要がない)と思い込んでいたせいでもあった。

日本人は、なのか、私の周りが、なのかはわからないけれど、あまり自己開示を積極的にしない。親しい友人などにはするけれども、それはお悩み相談ベースで開示するだけで、部分部分を開いているにすぎない。そのなかで自分は最も強固に自己開示しないタイプだったし、それが自分を凝り固めてしたっていた感も否めない。

今回、転職を含めそこそこに大きなライブイベントを目の前にして、色んな人に自己開示せざるを得ない状況が多かった。
両親を筆頭に、同僚や上司、友人等。
自分としては極めて意外だったけれど、思いの外皆が自分の自己開示に対して、真剣に意見をくれるし、一緒に悩んでくれて、尚且つそれぞれの想いや経験を語ってくれることが多かった。

これは本当に意外なことだったけれど、それは自分だけで、もしかしたら世の中の人は普段から自分を明け透けに人に見せていたりするのかもしれない。明け透けに見せることが恥ずかしかったりとか、小さな人間と思われるんじゃないかとか、そんなことばかり気にしているわけでもなかったけれど、する習慣もした経験もないとわからない。
してみると意外とスッキリしたもので、世界は味方だなとも思えるし、やはり価値観が合わない部分は大きくあるな、とも思えるし、モヤモヤした感情が晴れる思いがした。

悩む、という行為はおそらく最小にしたほうがよくて、どうにもならない方向性の違いなんかには最後悩んで◯✖️を付けていく必要があるけれども、大概のことは考えて正解が見つかることの方が多い。多くの人が高等教育まで受けて考える力は養われている時代だから、きっと真剣に考えて答えが出ないことは、誰にもわからないようなことが多いと思う。

誰にもわからない、と結論出すのは情報収集を十分にしないと至れないゴールで、そこにいくまでの道のりで、色んな心理的な壁に阻まれて悩むという状況に陥って、無駄な負のスパイラルに落ちることが、少なからずあるんじゃないだろうか。

一つ、今回の経験で、親子関係も進展したな、と思ったけれども、これは親子関係の問題ではなくて、自分の問題解決の姿勢のような気がする。

人間関係だから、特に家族関係だと、近すぎてというか自分を構成する前提すぎて、つい悩む方向に行ってしまい、悩むのも面倒なので悩むのもやめて、問題や関係性をそのままにして放置した結果、連綿と続いてしまうのかもしれません。

コミュニケーション力が高いと、親子関係もうまく行っている、というわけでは、周りを見る限り無さそうですが、割り切る力が強い人ほど、なんとか上手くやっているように思います。

翻って自分は、コミュニケーション力が低いとは思わないけれども、割り切る力が強くないし、問題を先送りにする能力も高い、ネガティブポイントがダイレクトに効いてしまっていました。
優秀、有能な友人は、いて助かる、いるに越したことはない、自分にとってプラスである、と改めて思いました。

僕は今回たまたま、ライブイベントきっかけで気付けましたが、もし親子関係がこじれているような場合は、一旦冷静に考えてみては如何でしょうか。(自分が今後も冷静に考えて対応できる自信はそんなにないですが)

終わり。

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