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お盆と命日がやってくる。

気が早いのもあるが、こうも暑いとまた夏がやってくる!何しよう何しよう♪と楽しい気持ちになり、そわそわしてしまう。

お盆は少しわくわくする。
会いに来てくれるんだぁ!と胸躍らされるから。
(いやこちらがお迎えする立場でしょうが…って話なのだけど笑)

母とお盆に「きゅうりの馬と茄子の牛さんをお飾りするんは、馬さんに乗ってはよ来て~!ってことで、牛さんでゆっくり帰ってよぉって意味なんよなぁ?😊」と私が言うと「よぉ知ってるなぁ~そうやでぇ😊」と笑いながら話をしたことが頭に思い浮かび、幸せな気持ちになる。

母は早くに両親を亡くしていたから、本当によく祖父母の話をした。
その度に、涙を流す日もあれば、私が祖父母が書いたような手紙を再現して母に渡すと嬉し涙で号泣してくれた日もあった。

そんな気持ちはどういうものか、何故しきりに父母の話を多くしてしまうのか、今になって本当にわかる。

命日は9月28日。
命日前後は酷く感情が揺れ動くと知っていたが、夏が来たり、真っ青な空を見るとやはり辛い。

まだ二年も経ってないのだから、頻繁に打ちひしがれてしまうのは仕方ないことなのかもしれない。

未だに「あぁこの話は父に話してもうざがられるだけだろうなぁ」、「こんな話は母としたいなぁ。5時間くらいは熱く語り合ってそうだなぁ。それでそれですごく元気が出て、何者にも変え難い幸せの中にいる!って思えるんだろうなぁ」

とずっと淋しさと恋しさと後悔に苛まれては、心のリュックサックに仕舞い、歩みを進めてきた。

思い出しすぎてしまうとつらくて元に戻ってくるのが大変だから。

お葬式の時から色んな方が支えてくれた。

年の離れた年上のいとこの「乗り越えられなくていいんじゃない?乗り越えられる訳ないでしょう?笑」

そう。立ち向かおうとするだけ無駄…笑
「悲しいね」「悲しいよねぇ泣きな泣きな」と母や友達に背中を摩ってもらっていることを想像して蹲って泣く方が早い。
ファイティングポーズを決めるよりも、受け入れる。溢れ出るなら放流、垂れ流す。

「私も経験があるんですよ。その時は泣いてください。もう吐き出しきってください。」

ツイキャスの占い師さんに仰って頂いた言葉。
ちょうどその日は一周忌法要でホテルに滞在していた時だった。

元気で迷惑をかけない娘を演じ、母の死なんてさほど悲しくも何ともない親戚が集まり、ただ無事に法要を行うことに必死だったからか、涙でパンパンに腫れ上がった自分を抱えきれなくなってしまった。

そのお言葉通りにあえて咽び泣いてみたのだけれど、頭が痛い程に泣いてしまった。

ホテルの周りは母とめいっぱいのオシャレをして、女同士特有のあのひたすら長い話をしながら出かけた場所だった。
そんな所にちっぽけな私が一人歩いていても、ちっとも楽しくなかった。

目に入る母娘連れ。
「お洋服でも買いに来たんだろうな。あ、肉まん買うのね。」

妬んだり、憎んだりする訳でもないけど、ただひたすら虚しくて自分が可哀想だった。

僕が笑顔を作ってあげると言い、外の世界に連れ出してくれて、沢山傷む心に寄り添ってくれた人。
綺麗な水彩のお手紙を綴って、気持ちを共有して下さった方。
「そんなことがあったんだね。」と言う言葉で包み込んでくれたり、自分に置き換えて想像すると辛すぎると言いながら涙で目を潤ませてくれた方。
恨みや怒りは消えないけれど、いつでも頼っておいでと言ってくれる父。

しんどいこと、傷や痛みを吐き出すことの大切さを知った。
心に染み込みよ~く効く薬のような気持ちを、沢山の方が私にくれた。

ひとつの集約された点から繋がっていくように、その人それぞれのありとあらゆる形で助けて頂いた。

それもまたギフトなのだと思う。
本当に何度も何度も思い返してはその都度私を救ってくれる。
感謝の気持ちでいっぱいだ。

普段は、同居をして、どこへ行くにも共に行動している楽しい気持ちで過ごしている。

正直、なるべく落ちてしまいたくないから、忘れたくないのに、頭の範疇から離して、ほわっとした距離を保つ日もある。
(本当は一分一秒も離したくないんだけれど、もし生きていても会社に行けば会社モードに切り替えるし、それで良し。)


そうやって「大人らしい生活」を送る日々をやりこなしていても、悲しみで胸がいっぱいになる日が来る時は来る。

仕方ない。

元来「仕方ない」という言葉が嫌いで、どうにか変えようと足掻き、覆してやると躍起になり反省したりするのが私で…笑

「日和薬」も嫌いだった笑
会社への通勤電車の中ではいつも泣いていたから。

母が口ずさんでいた曲を思い出したり、真っ青に晴れ渡る空があまりにも私の心境と違い、涙がつらつら止まらなくなる毎日で「いや日増しによくなるなんて絶対嘘ですやーん!笑」と思っていた。

未だに「母の死」と書くのすら不愉快なので、友人には「空へ引越し」と書いたりする。

若くして親族を亡くした自助グループへ足を運んだり、ミディアムシップに興味を持ったりもした。
笑ってしまう程ずっとずっと辛かった。

そんな中で、ちょっとした夢も出来た。
第一志望の夢が他にある為、本当にちょこっとした展望。

「父母や兄妹を亡くした方達が辛い時に書き込める掲示板を作りたい。」

旦那様を亡くされた方が描かれた実体験の漫画が掲載されているサイトがあり、そこに感情を吐露できる掲示板がある。
そのイラストやその運営者の方からのお言葉にもとても助けられた。
だから、それの父母兄妹バージョンを作りたいのだ。

驚いたことがあるのだが、娘を亡くした気持ち、ペットを亡くした気持ち。それらはそれぞれ違う!と怒っていた方がいた。
私は、確かに気持ちは違えど、傷みは似たようなものだと思っていたから、一緒にまとめられることに不愉快だと感じる方もいることに驚いた。

その気持ちは決してわからなくはないし、やはり全く同じ立ち位置の方がほっとしたのも事実だったが、時折、分かちあったからといってただ辛いことを思い出しただけだったかもしれない…と思ってしまう日もあったので、まだ制作にはかかれていない。
書きなぐるだけでも落ち着く時もあるので、創設したい気持ちはほんのり残っている。


悩み中。保留状態。

亡くなった直後は、本当に至って冷静に後追いをして、命に終止符を打つ気でいた。
母の存在しない生活に何の価値も見い出せなかった。

いつぞや母と「どちらかが死んだら、本当に何の名残惜しさもなく逝けるよね~(°σ¨_°) お葬式とかは歯を食いしばって執り行うけど、あとは本当にスーッとさらさら気持ちよくそちらへ向かうね~なんつって笑、逝くよね」なんて話をしていたから。

母との思い出の写真、母がくれたジュエリー、彼や友達がくれた手紙、本、好きなぬいぐるみ、お花、ブルボンのちょこあ~んぱん

大好きなもので浴室を飾って、自死したかった。

交際している彼とお通夜の日に喧嘩をして、その時にこの構想を話してしまったのだ。
男泣きをして止めてくれた。
かまってちゃんのようで今思うと情けなさもあるが、至極真面目に考えていたことだった。

一生懸命生きてきた。
母が大好きと言ってくれた私のままで、
いやそれよりちょっと成長して、生きてきた。

両手で抱え切れないほどの哀しみで、また床に蹲って背中を震わせて大声で泣く日が、何度も何度も何度も嫌という程また襲ってくるだろう。

そんな時は、両手で抱え切れないほどの愛情を、形を変えてずっと送ってもらえていることを忘れずに生きていく。

あまりにも辛ければ、周りの人に少し手伝ってもらってもいいかもしれない。

お土産話は多い方が楽しいと思うから。

ずっと大好きだよ。

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