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箴言13章の秘密

僕は箴言13章を誤解していた。
所々、意味がわからないところ、今まで言ってたことと矛盾するところがあるのだ(口語訳聖書)

具体的には、8節と23節(23の方が重要)
今回、「進言」プロジェクトの中で、口語訳聖書の訳が違うことがわかり、本当の意味を悟ることができたので記す。


まずは8節
「人の富はその命をあがなう、しかし貧しい者にはあがなうべき富がない。」(口語訳)

ここまでは富に対してネガティブな、というか、富よりも神っていう感じだったのに、急に富が良いものに。
貧しいものでも神に従うものは良い、みたいな感じだったのに急にマイナスな感じに。

これはおかしい。

そこで新改訳2017とKJVを参照する。
するとまったく逆の意味になった。

「人の富はその人の命の身代金となるが、貧しい者は脅しを聞くこともない。」
このような意味だった。
富はその持つ人にとって人質のように使われてしまうが、貧しい者は脅される富がないためその心配もいらない。

その前の7節は
「富んでいるように見せて何も持たない者がいる。貧しいように見せて多くの富を持っている人がいる。」だ。
箴言はぶつ切りのように見えて、実は流れがある相互関係がある。忘れてはいけないこれは聖書だ。
すべての貧しいものではないが、お金の心配から開放されている貧しい人は、ある意味で富を持つものよりも安心を持っているのかもしれない。
安心安全保証たっぷりの日本社会で生きている我々にはわからないのかもしれないが、これは私に刺さった。

ちなみに今、「隅田川のエジソン」という本を読んでいるが、このことを思わせるとても良い本だ。おすすめ。

次に23節「貧しい人の新田は多くの食糧を産する、しかし不正によれば押し流される」(口語訳)
あまり意味がわからなかった。。。

これも一見、貧しい人が可哀想というように見える。それは新改訳2017でもそう。
「貧しい者の耕地に多くの食糧があっても、それは不当に取り去られる。」

しかし、これには秘密があった。
前後の節にあった。

まず23節の本当の訳は
「貧しい者の耕地に多くの食料があっても、不当な判決によって破壊されることがある。」
このようなニュアンスだ。
不正によって、破壊されることがある、ということだ。

そしてその次の24節が重要なのです。個人的にはこの前にBut (しかし)が入るべきに思う。
「むちを加えない者はその子を憎むのである。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。」(口語訳)
  ※ここは新改訳2017も同じような感じ。

ああ、これは神の子として扱われる時の試練の話ではないだろうか?
そう閃いてすごくクリアになった。
愛するがゆえに懲らしめられる時もあるのだ。
それに「つとめて」とある。「つとめて」という言葉に私は「辛い」という感情を読み取る。愛を感じる。


そして、その直前、直後に正しい者に対する約束がある。ここにも愛を感じる。
「善良な人は子孫に財産を残し、罪人の財産は正しい人のために蓄えられている。」
「正しい者は食べてその食欲を満たし、悪人の腹は満たされない。」

つまり、最終的に正しいものには祝福を約束されているのだ。

箴言で言う正しい者は深い。ただのルールを守っている人のことではない。
もっと深く知っていく必要があるが、個人的には神の知恵を求めている者のことだ。
悟る者というのも良く出てくる(結局同じこと?)

神が子として扱う時、むち打つということは、ヘブル人への手紙12章5節〜にもある。
主の訓練があり、むち打たれること、子として扱っているのだ、ということが書かれている。
子として扱うからこそ、努めて、つまり辛いけど、愛する子を懲らしめるのだ。

そのことが箴言にも書かれているということ、それを伝えたい。

このところ、進言プロジェクトとして、箴言を書き写すことをしている。
口語訳、新改訳2017版、KJVを見比べて、噛み砕いて。(箴言の中身を変えてしまわないようには努めている)
そしてNoteにUPしていっている。父から子への語りかけとして読む、というアイデアで。

今ローカルでは19章まで、UPしているのは3章までだが、思う。
「箴言、まじすげえ。」

箴言にも流れがあって、相互関係がある。
そして福音書でイエスが語る知恵が箴言にもあると感じる。
神学的に箴言ってどういう扱いなんだろう?めっちゃ重要やと思うんやけど。全部詰まってるんちゃうかとさえ思う。
軽い扱いされてるなら、おれが箴言の伝道師になりたい笑

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