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小説「洋介」 2話

 あの日から一ヵ月。
いまだに石は浮かない。

 今も夕暮れ時。
あれから何度夕日をみてもあの感覚にはならない。

 そもそもやろうとしてできるものではないのかもしれない。
期待してしまっている分、期待できていないのかもしれない。
もうどんな感覚だったかもはっきりと思い出せない。
あの時の記憶は薄れてしまっている。

 そのときふと、河原からななめ右上を見てみると、
ベビーカーに乗っている赤ん坊とその母親を見た。
その時、心が緩んだのを感じた。

その瞬間、その心の隙間に入り込むように、遠くにいるはずの夕日で赤く染まった赤ん坊に、グンッと目が近づいた。

 どろり、と、頭の中で固まっていたものが柔らかくなった気がした。その時、閃いた。
(力むな、逆だ。力は抜くんだ。)

 そこで夕日に体を向き直して、一度目を閉じ、体から力が抜けるイメージを浮かべた。
脳みそが溶ける感じ。
ゆっくりと、スーッと力が抜けていく。
心の真ん中にある石が、暗い水中をスーッと落ちていく感じ。
そしてそれが底についたとき、あの大きな力に体が再び包まれた。
ああ、これだ。なんと心地いいんだろう。
すると沸々と、あの時の心の石が熱せられるあの感覚が静かに湧き上がってきた。

心は熱くなっていくのに、頭の中は妙に冷静で、
一点に集中しているのに周りが見えているような、
そんな感覚。
どこに集中しているのかといわれるとわからないけど、これが心なんだろう。心がどんなっていくのかに、集中した。

心の熱がどんどん湧き上がっていく中、
カタカタと音がした。

その時、スーッと目の前に石が浮いてきた。

わ!驚く、と落ちてしまうととっさに思って、
頑張って驚かないようにしたが、徐々に集中が現実に引き下ろされていくような、熱が冷めていくような感覚の中、石はスーッと落ちていった。

 一連が終わり、ふと周りを見るとまだ明るい。
体感ほど時間は経っていなかった。
後ろを振り返ると先ほどの母親の背中が見えた。
対岸を見ると正面に小さな教会の十字架が小さく見えた。

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