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砂場ミニストリーの今 2023/2/28

小さなことからコツコツと
できることからできる分だけ

去年5月、自分の実家近くに引っ越した。
家の前に広い公園があった。めっちゃいいなと思った。しかし、砂場が草ボーボーだった、、、

一歳の娘が砂場で遊べるようになってきた時期だったため、そこが残念だった。
そこで!始めたのだった。

始めたてのことはこちら(『砂場を復活させる』)から!

それが去年のこと、
草は抜き終わったが、雨が降ったらまたはえて、、、そんな感じで永遠に終わらないかと思いきや、冬になって一気に綺麗になりました!!

そして、、、

「ひ」トンネルにもなってます。

こんなに遊べるようになりました!!
ちなみにこれは一緒によく遊ぶ近所の小学生と作りました。

隅っこに落ち葉はあるけど、はえてはない!
カブトムシの幼虫みたいなのはいたけど、、、
アリもいない!!


そして今は2箇所目に着手。

公園清掃のボランティアの人と仲良くなって、器具も貸してもらえました。

1時間ぐらい草を取って、
高い山を作って帰りました。

今日遊んだ小学生が、
「あの山、あんたが作ったん〜?壊しといたで〜」
と言ってて、
泣きそうになりました。嬉しくてね。
遊んでくれるといいなぁ。

草を抜いてると、静かに考え続けることができます。
ぐるぐる、自然と考え始めているのです。
そして、今やっていることは無駄じゃないのか。
本当にやる意味があるのか?
もっとやるべきことがあるんじゃないのか?
もっといいやり方があるんじゃないのか?
とかいう思いが、ふわふわと浮かんできます。

でも、無駄じゃない。何かをやることは、意味がある。

そう思ってグッと嬉しくなってくる。みたいなプロセスをたどりました。
逆に自分の「やりたい気持ち」をしっかりと掴める。

組織的にやること、継続的にやること、なども考えさせられました。
組織的になると、義務感が生じます。
継続的にやると、どこかに疲れが出てくるかもしれません。
長続きしないと意味がないのか、意味があることは大きくして続けていかないと意味がないのか。
そんなことはない。
その一回一回に意味があるし、それだけでいいんじゃないか。
逆に組織的に、継続的にやることに意味はあるのか?
いや、それはあるに決まってる笑 その方がやれることは格段に増える。

みたいなこともぐるぐる考えるのです。それが良い。

その上で、
「それ、無駄」って言うことの残酷さも思いました。
自分がそうやって扱ってきたものはないか。
そうやって傷つけてきてはいないか。
それこそが、差別意識だなぁと思うのです。
無駄なことなんてない。間違うことはある。正しいこともある。
でも無駄じゃない。後に喜ぶために。

と、つまりは、砂場ミニストリーができて嬉しいってことです。
それも気が向いた時に、できる分だけ、そんな感じがいいなって思うのです。
娘も遊べるし。
あと公園に居続ける「理由」ができるし←実はこれでかい。
人と繋がれる可能性がずっとあるっていう。

応援ください(^ ^)

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