『公園物語』 その16
二週間に一度、ぐらいのペースで公園に行って絵を描いた。
娘のおかげで全然怪しくない。孤独もない。
ブランコぐらい押しますよ。こんなに助かってるんだから。
そうすると、学校帰りの小学生が公園の横を通る。
絵に引き寄せられるように近づいてくる。
「なにしとんー?」
「あ! 前もおったおっちゃんや!」
「前、ここでギター弾いてたやろー?」
僕も有名になったもんである。
高学年の女子は、娘のブランコを押してくれる。
僕は絵に集中できる。
前と同じように、100均で買った小さな画用紙のセットと絵の具を用意していた。
長く近くに留まる子には「描く?」と誘うようにした。
そうすると、ある子は小さく、ある子は本当に自由に描いた。
容赦無く絵の具を使うその姿に、
「もったいない」をグッと飲み込んで、そのままにした。
そうすると本当に良い絵ができた。
「もったいない」に支配されている自分を知った。
大人はたくさん縛られている。
自由の故に縛られている。
できるけどできないことがたくさんある。
子どもたちの絵は描き出しから勉強になった。
思いもやらないところから始める。
思いもよらない筆の動きをする。
そんな自由を、僕も欲しい。
そんなとき一人の少年が言った。
「これやっててなんになるん?」
「こんなんやって意味あるん?」
「いや!あるがな!!
楽しいやん!!」
「ふーん。じゃあおれも描こーっと」
帰り道、あの一言が気になった。
なんも考えずに言ったんだろうけど、
そこには色々詰まってる気がした。
なんの意味があるのか。
将来に楽に立つのか。
これは良いのか、悪いのか。
「やりたい」より先に出てくるあれこれ。
効率的に、有意義に、将来のために。
そんな「評価」の中に、生きているんじゃないか。
おれたちは。
夕日の中、立ち止まる。
今、僕がやっていることにはどんな意味があるんだろう。
これは誰かの役に立っているんだろうか。
人生の使い方として、もったいなくないのかな。
道の脇に小さな花があった。
綺麗だった。
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